銀杏とは?
街路樹として高い人気、黄色く染まるイチョウ並木は秋の風物詩
DATA
学名は「Ginkgo Biloba」、英名は「Ginkgo」または「Maidenhair Tree」。「公孫樹」とも表記。
イチョウ科イチョウ属の落葉高木。
春の4~5月にかけて、葉の付け根に尾のような雄花、柄のある2個の胚珠(はいしゅ)をもつ雌花をつける、観賞されるのは中央が2裂した扇形の葉で、晩秋の11月~12月にかけて鮮やかに黄色く色づく。
中国原産といわれ日本への正確な渡来時期は不明、日本の北海道、本州、四国、九州の全国に自生。
高さは20~30mで大きいものは40mぐらいまで成長する。
名前の由来
「イチョウ」の名の由来は中国名「鴨脚」の、宋代の音「イーチャオ」が訛ったもの、葉がアヒルの水掻きのある足に似ていることからこの名がついたという。
漢字名の「銀杏」は、種子が銀白で形が杏(あんず)の果実に似ているところから、「ギンナン」は唐音の「ギンアン」からの転訛。
別名の「公孫樹」は、成長するのに時間がかかり、祖父(公は祖父の尊称)が種をまいても実がなるのは孫の代になることに由来。
学名の「Ginkgo」は、日本名「銀杏」の音読み「ギンキョウ」が元で、その綴りが誤植されたもの。「Biloba」はラテン語からで葉が大きく2裂することにちなんだもの。
歴史
「生きた化石」
イチョウ科の植物は1億5000万年前に地球上に出現してジュラ紀に全盛期を迎え、日本を含め世界各地で化石が出土しているが、約170万年前の氷河期にほぼ絶滅し、イチョウは唯一現存する種。このため「生きた化石」としてレッドリストの絶滅危惧IB類に指定されている。
イチョウの出現記録として最古のものとされるのが11世紀初めの「欧陽文忠公集」で、宋代の中国で唐宋八大家の一人・欧陽脩が詩に詠んだのが最初、その記述から原産地は現在の中国安徽省の宣城市付近と推測されている。
日本への伝来
日本に伝来した時期については原産説、仏教とともに伝来したとする説、鎌倉期など諸説ある。
この点1500年前に百済から伝えられたという長崎県対馬市琴(きん)の「琴のイチョウ」を筆頭に、日本最大の青森県深浦町の「北金ヶ沢のイチョウ」、岩手県久慈市長泉寺の大イチョウ、鶴岡八幡宮の大銀杏など、日本各地に樹齢1000年前後と称する巨木がたくさんあるが、もしこの時代にイチョウが存在していたとすると「万葉集」「古今和歌集」といった古典にもそれらしき記述がまったくないという不自然さが残る。
ちなみに確実な記録として残っているのは室町後期の1370年頃、南北朝時代の臨済宗の僧で東福寺・南禅寺などの住持も務めた虎関師錬の「異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)」で、この頃には日本各地に広まっていたものと考えられている。
利用・用途
観賞用
全国各地に自生するほか、公園や学校や神社などに植えられ、また街路樹としては樹種別で最多といわれる。
晩秋に黄色く色づいた「イチョウ並木」は秋の風物詩の一つ。鉢植えや盆栽などで栽培されることも。
防火樹としての役割
また火に強い性質があることでも知られ、江戸時代には防火樹として火除地に多く植えられたという。京都の西本願寺や本能寺で大火の際にイチョウが寺や人々の命を守ったという話は有名。
食用
種子は「銀杏(ぎんなん)」と呼ばれ食用となる。独特の苦味と若干の臭気があるが、独特の食感と歯ごたえが人気で茶碗蒸しなどの具に使われたり、煎ったものを酒の肴としたりしている。
ぎんなんの収穫を目的とした栽培品種もあり、愛知県稲沢市(旧中島郡祖父江町)が生産量日本一。
栄養価も高くでんぷん、カロチン、ビタミンCなどを多く含みミネラルも豊富だが、けいれんなどの中毒を引き起こす成分も含まれているため食べ過ぎには要注意。
薬用
古くから葉は「銀杏(ギンキョウ)」、種子は「白果(ハクカ)」という名前で生薬としても用いられており、鎮咳や去痰、滋養強壮、夜尿症の改善などの効果が期待できるという。
またドイツなどヨーロッパではイチョウ葉エキスが医薬品として認証されており、臨床試験で動脈硬化、脳梗塞、脳卒中、心臓病、痴ほう症、アルツハイマーなどの改善が報告されている。このため日本で採取したイチョウ葉が大量に輸出されているという。
その他
幹は木材として天板や家具、碁盤や将棋盤などにも使われる。
乳イチョウ(乳銀杏)
イチョウの中には根の一種である気根が幹や枝から乳房のように多数垂れ下がっているものがあり、その姿から「乳イチョウ」と呼ばれる。
鬼子母神など安産や子育ての信仰対象とされており、母乳がよく出るようにと祈願する女性も多いという。
京都では亀岡市の丹波国分寺跡に建てられた丹波国分寺の境内にあるものがよく知られている。