京都市東山区三条大橋東三丁目下る長光町、東山三条の交差点から三条通をやや西へ進んだ交差点を南へ入った路地にある神社。
社伝によると、794年(延暦13年)の平安京の造営に際し、第50代・桓武天皇は大内裏鎮護のため都の四方四隅に守護神として素戔嗚尊を祀り「大将軍」と称したのがはじまり。
当社はこのうち東方の社として創建されたものですが、とりわけ平安京の東のこの地は京の七口の一つ「三条口」の要地に当たり、邪霊の浸入を防ぐ意をもって重要視されていたといいます。
また当地には平安中期に関白・太政大臣として活躍した藤原兼家(ふじわらのかねいえ 929-90)の主邸である「東三条殿」があったとされています。
藤原兼家は平安中期の公卿で、藤原氏摂関政治の最盛期を築いた藤原道長の父にあたる人物。
兄の兼通(かねみち)と関白職を争うも、兄の死後に花山天皇を退位させて外孫にあたる一条天皇を擁立し、天皇の外祖父として摂政、次いで関白となり権勢を振るいました。
兼家の死後に子の藤原道長によって兼家の神像画が合祀されて東三條殿の鎮守となったとされますが、東三條殿は後に起こった「保元の乱(1156)」および「応仁の乱(1467~77)」などの被害を受けて焼失。
現在本殿には素盞嗚尊(すさのおのみこと)を主神として、また相殿には関白・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)が祀られており、「東三条社」としてその名跡を留めています。
また一帯はかつては「鵺の森(ぬえのもり)」とも呼ばれ、「平家物語」にみられる「源頼政(みなもとのよりまさ)の鵺退治伝説」の舞台となったとされています。
そして境内にはその伝説を偲ばせるように、樹齢800年と伝わるご神木の大イチョウの大木があり、神社のシンボル的存在となっています。
行事としては5月下旬の例大祭(神幸祭)にて神輿渡御があり、氏子区域を練り歩きます。
なお東三条のほかに京都には現在、大将軍神社として
【北】西賀茂大将軍神社、今宮神社大将軍社
【南】藤森神社大将軍社
【西】大将軍八神社
が現存しています。