京都府亀岡市千歳町(ちとせちょう)出雲、JR亀岡駅より北へ約5kmほど、亀岡盆地の北東部に位置する御蔭山(みかげやま、千年山・御影山とも)の山麓に鎮座する神社。
式内社(名神大社)で丹波国一宮。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁に属さない単立神社です。
旧称は「出雲神社」といい、また別称として境内背後に千年山(ちとせやま)(御蔭(みかげ)山、御影山)を神体山にもつので「千年宮(ちとせぐう)」ともいう。
更に「丹波国風土記」における大国主命が当社より出雲大社に勧請され創建されたとの記述から「元出雲(もといずも)」とも通称されています。
主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)とその后神・三穂津姫命(みほつひめのみこと)の2柱。
このうち大国主命は「古事記」や「日本書紀」に見られるように、「因幡の白兎(素兎)」で知られる慈愛に満ちた神様で、末社に祀られている少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)と共に国土経営に尽力し著しい功績を残しています。
また三穂津姫命は八百万神に先駆けて天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、神産巣日神(かむむすひのかみ)とともに最初に高天原(たかまがはら)に現れた造化三神のうちの一神で、天照大神(あまてらすおおみかみ)とともに天祖(天皇の祖先)として尊ばれている高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の娘神で、大国主命の国譲りの際に、父神の命により后神となりました。
そして亀岡市から京都市へと流れる桂川の別名「保津川」は、三穂津姫命の「みほつめひめ」から命名されたともいわれています。
創建年代は不詳ですが、社伝によれば元明天皇の「和銅2年(709年)10月21日」、勅命により御蔭山の麓に「社殿を造営」とあり、それ以前から存在していたと考えられています。
また境内に横穴式石室を持つ後期古墳があるほか、神社の西南には口丹波最大の前方後円墳である千歳車塚古墳が残されていることから、一帯には古くから御蔭山を神体山として祀る氏族がいたと推測されています。
現代においては一般的に「出雲社」といえば出雲国(現在の島根県)の「出雲大社(杵築大社)」を連想させ、また有名な鎌倉末期~南北朝期の随筆家・吉田兼好(よしだけんこう)の「徒然草」第236段においても「丹波に出雲といふ所あり、大社をうつしてめでたくつくれり」とあるように、出雲大社の祭神を分祀して創建されたと考えられていたようです。
しかしその一方で「丹波国風土記」においては「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」と記されており、和銅年間(708-15)に、大国主命が当社より出雲大社に勧請され創建されたとまったく逆のことが記載されており、真偽は明らかではないといいます。
ちなみに元々は「杵築大社(きづきたいしゃ)」と呼ばれていたものが「出雲大社(いずもたいしゃ)」称すようになったのは明治時代の1871年(明治4年)のことであるため、江戸時代までは出雲といえば当社を指すのが一般的であったとも考えられています。
国史の初見は「日本記略」における818年(弘仁9年)12月16日条に「丹波国桑田郡出雲社、名神に預る」と名神(みょうじん)に列せられたとの記事で、845年(承和12年)には従五位下、910年(延喜10年)には正四位上に昇位しています。
そして「延喜式(えんぎしき)」の制度の下では「丹波国桑田郡出雲神社」として名神大社に列し、丹波国一宮(いちのみや)として栄え、また1292年(正応5年)には、雨乞いの功を示したことから神階が最高位の正一位まで昇り、中世には蓮華王院(三十三間堂)の御領とも関連して社勢が盛んであったといいます。
1871年(明治4年)5月14日の明治維新における近代社格制度においては国幣中社とされ、第二次世界大戦後に出雲神社から現在の「出雲大神宮」に改称し、また神社本庁には属さない単立神社となっています。
現在の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の本殿は、室町時代の1345年(貞和元年)に足利尊氏により建立されたもので、重要文化財に指定。
この他に境内社は古くは36か所あったとされていますが、兵火によって失われ、現在は摂末社合わせて8社が境内に点在しています(摂社が上社と黒太夫社の2社、末社が6社)。
また一度も枯れたことのないという御神山から涌き出る霊水「眞名井の水」はどんな病にも効く痛み止めの水であるといわれ、「京都銘水百選」にも選ばれており、自由に汲んで持ち帰ることができます。
大国主命とその后神・三穂津姫命の由緒から「縁結び」のご利益で有名なほか、他にも眞名井の水より「長寿」「金運」などのご利益でも知られています。
また境内の本殿裏に「磐座」が鎮座するなど、自然崇拝の形態が色濃く残っており、近年は各界の著名人の紹介や口コミになどにより、京都随一のパワースポットとして紹介されて人気を集めています。
行事としては「例祭」が社殿造営の由緒により毎年10月21日に開催されているほか、それ以外にも1月15日の「粥占(かゆうら)祭」、4月18日「鎮花祭(はなしずめのまつり)」などが有名です。
とりわけ4月18日の「鎮花祭」では雨乞い行事として京都府の無形文化財の「出雲風流花踊り(ふりゅうはなおどり)」が奉納されることで知られています。
なお「出雲」を社名としているものの、島根県の出雲大社や同じ亀岡市内の下矢田町にある出雲大社京都分院とは別法人の神社ですが、出雲大社との交流は深いようで、参道に立つ「国幣中社 出雲神社」の社名標や、2014年(平成26年)に造られた正面の石碑「丹波國一之宮 出雲大神宮」の揮毫は、いずれも出雲大社の歴代宮司によるものです。