京都市北区小野下ノ町、紅葉の名所として知られる高雄から国道162号(周山街道)を更に北へと進んだ山間にある雲ヶ畑・中川とともに「北山三村」の一つに数えられる「小野郷」の地、清滝川と岩谷川が合流する北区役所小野郷出張所のそばに鎮座する神社で、小野郷地区の産土神。
御祭神としては「本殿(岩戸社)」に天御衣織女稚姫神(あめのみそおりひめわかひめのかみ)、弥都波能売神(みづはのめのかみ)、瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)のいずれも水にまつわる女神3柱が祀られていて、また本殿の右側には落葉姫命(おちばひめのみこと)を御祭神とする摂社「御霊社(落葉社)」が並ぶという珍しい形式となっています。
当社の創建年代は不詳ですが、いずれも平安前期には既に祀られたと考えられており、「岩戸社」は「天津石門別稚姫神社(あまついわとわけわかひめ)」、一方「落葉社」は「堕川神社」の名で、共に平安中期927年(延長5年)にまとめられた当時官社に指定されていた全国の神社一覧「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載のある延喜式内社であったと考えられています。
そして墜川神社(おちかわじんじゃ)については、社前で清滝川・岩谷川・笠谷川が合流する、即ち「落ち合う」ことから、それがいつからか「落葉神社」と呼ばれるようになったといわれています。
この点、小野郷の地は清滝川の上流に位置し、平安京遷都にあたっては「小野山」と呼ばれて主要な調木地の一つに選ばれ、寛仁年間(1017-21)には上賀茂神社(賀茂別雷神社)の神領となり、次いで天皇家の御領となった土地柄で、岩戸社はその小野郷の小野上村の産土神、落葉社は小野下村の産土神として厚く崇敬されていました。
しかし江戸初期の元和年間(1615-24)に岩戸社が火災に遭ったことから、落葉社に合祀されて「岩戸落葉神社」とされ、現在に至っているといいます。
ちなみに「源氏物語」の登場人物の一人である女二の宮の別名「落葉の宮(おちばのみや)(落葉姫)」の名前は、彼女が当地を閑居の地とした事にちなんだものだといいます。
物語では朱雀天皇の第2皇女であった女二の宮は、柏木の正室として降嫁しますが、夫・柏木は女二の宮を顧みることなく自分の異母妹である女三の宮と不義の末に病を得て、親友・夕霧に後事を託して亡くなります。
「落葉の宮」の名はその柏木が女三の宮を愛し落葉の宮との結婚を悔いて「もろかずら 落ち葉を何に 拾いけん 名は睦ましき かざしなれども」と詠んだことから呼ばれるようになったものです。
その後未亡人となった女二の宮(落葉の宮)は傷心のまま当地に隠棲しますが、後を託された夕霧の訪問を度々受けるようになり、夕霧は物静かで奥ゆかしい彼女に次第に惹かれていく、というストーリーになっています。
現在の境内には高さ20mを超える銀杏の大木が4本あり、秋には黄葉の名所として近年人気が高く、中でも落葉が進んだ時期に見ることができる境内一面が黄金色の絨毯が敷き詰められたかのように黄色一色に染まる光景は息を飲む美しさです。
そして11月中旬には年に1日だけのライトアップも開催され、バザーや奉納演奏なども行われて多くの参拝客で賑わいます。