概要
1889年(明治22年)の町村制の施行により亀岡町および各村が発足(1町17村)
1955年(昭和30年)、亀岡町と篠村・樫田村の2村を除く15村が合併し亀岡市が発足(1市2村)
1956年(昭和31年)、船井郡より東本梅村を編入
1958年(昭和33年)、西別院町の牧・寺田地区が大阪府豊能郡東能勢村(現 豊能町)に、樫田村が大阪府高槻市に編入
1959年(昭和34年)、篠村が亀岡市に編入され、南桑田郡は消滅(1町17村で18地区を構成)
1889年(明治22年)の町村制の施行により亀岡町および各村が発足(1町17村)
1955年(昭和30年)、亀岡町と篠村・樫田村の2村を除く15村が合併し亀岡市が発足(1市2村)
1956年(昭和31年)、船井郡より東本梅村を編入
1958年(昭和33年)、西別院町の牧・寺田地区が大阪府豊能郡東能勢村(現 豊能町)に、樫田村が大阪府高槻市に編入
1959年(昭和34年)、篠村が亀岡市に編入され、南桑田郡は消滅(1町17村で18地区を構成)
市の中心部
亀山町の各町および中矢田、三宅、下矢田、古世、上矢田、安町、荒塚、追分、余部、宇津根の各村が合併
明智光秀が丹波統治のため古世地区に丹波亀山城を築き城下町を形成
JR山陰本線(嵯峨野線)の駅で島式ホーム2面4線の地上駅。 2008年建替の駅舎の流線形の屋根は保津川下りの舟と波をイメージ。 南北に伸びる陸橋のどかめロードに観光案内所、ギャラリースペース、展望デッキ、駅北口から徒歩5分に保津川下りの乗船所も。 京都大阪のベッドタウンとして発展する亀岡の代表駅
鍬山神社御旅所
亀山藩初代藩主・松平信岑が主祭神
亀山城大手門跡
信長の第四子の羽柴秀勝が亀山に入り、父の菩提を弔うため本寺に墓を建立
本寺の毘沙門天は亀山城二の丸に安置されていたもので、6/2には信長公忌に合わせて毘沙門天まつりを開催
摂社に安行山晴明神社
12/1に安行山稲荷大明神お火焚祭
例祭(秋祭)にて氏子神輿と子供神輿
8月下旬の地蔵盆の時期に西つつじヶ丘自治会主催で開催される西つつじヶ丘夏まつりでは、子供達が作った手作り子供みこしが町内を練り歩きながら祭会場へ向かう
篠、王子、山本、馬堀、柏原、野条、広田、森、浄法寺の9か村が合併
鎌倉・南北朝時代を通じて源氏の一拠点であり、足利尊氏の挙兵の地となったエリア
嵯峨野観光鉄道の駅で単式ホーム1面1線の地上駅。 トロッコ列車の亀岡側の発着駅だがJR亀岡駅までは約3kmあり西に約500m、徒歩10分のJR馬堀駅の方が近い。 駅前から京馬車が出ており保津川下り乗船場まで25分の馬車の旅が楽しめる。 駅舎2階に喫茶・軽食店、駅ショップにはトロッコオリジナルグッズも
トロッコ亀岡駅そば
川向いの請田神社とともに保津峡開削の伝承に関連する神社
舟筏無難銘石灯籠が市有形民俗文化財
紅葉の名所
足利高氏の倒幕挙兵地・京都六波羅攻略の起点として市の史跡
9月中旬の放生会では奉納相撲と露店
1876年(明治9年)、南保津村・北保津村が合併し保津村となる
1889年(明治22年)の町村制の施行により、保津村が単独で自治体を形成
JR山陰本線(嵯峨野線)の駅で相対式ホーム2面2線の高架駅。 保津峡の山間部、両側をトンネルに挟まれた保津川にかかる橋梁上にあり、周辺に人家はないが約4km北に柚子の里として有名な水尾集落がある。 1989年に現在地に移転し徒歩15分の距離の旧駅舎は1991年よりトロッコ保津峡駅として再開業
式内論社
保津峡入り口の「大堰川」から「保津川」に名が変わる地に鎮座し、川向いの桑田神社とともに保津峡開削の伝承に関連する神社
10月21日の秋大祭は「保津の火祭り」とも呼ばれ、頓宮・保津八幡宮まで神霊を迎える
12月上には火焚祭
河原尻、勝林島の2か村が合併
河原尻の氏神
秋祭で神輿、4月に献花祭
ケヤキが亀岡の名木、亀岡の自然100選
1875年(明治8年)、近世以来の出雲・中・江島里・小口の4か村が合併し千歳村となる
1889年(明治22年)の町村制の施行により千歳、国分、毘沙門の3か村が合併
奈良時代に聖武天皇の詔によって建立された国分寺の跡で国史跡
現在の本堂、山門、鐘楼は1774年(安永3年)から9年をかけて再建されたもの
「おはつきいちょう」と呼ばれる大イチョウ・カゴノキ・ムクノキが市天然記念物
2月の下旬に野焼き
1875年(明治8年)、近世以来の美濃田・山階・印地・杉の4か村が合併し旭村となる
1889年(明治22年)の町村制の施行により、旭村が単独で自治体を形成
本殿が府登録文化財、境内及びその周辺が府環境保全地区
馬路村、大芝原新田が合併
嵯峨の大沢池・広沢池とともに京の三沢
春まつりで子供みこし
式内
10月16日の例祭に、1年間に誕生した子供全員の祈祷をする慣例
吉田、穴川の2か村が合併
11/20の穴川のえびすさんでは社前の露店にて商売繁盛の福笹が売られ「口丹波のえびすさん」として親しまれる
新米の入った神札を持ち帰り、翌朝のご飯に炊き込んで食べると家内安全に暮らせると伝えられている
寺、法貴、中、春日部、犬飼、西条、南条、重利、穴太の9か村が合併
円山応挙ゆかり
応挙は穴太に生まれ、金剛寺に入門した後、和尚に画才を認められて京都に行き、その才能を開花させた
寄進された多数の応挙作品が保管され国の要文
毎年11月3日には収蔵されている「群仙図」の無料特別公開
つつじ
本殿が京都府登録文化財、境内が府環境保全地区、社叢が府自然200選
10月下に秋祭神幸祭の神輿は6つの村の氏子から担ぐ者が輪番で決められ別名「六華祭」
厄払いの柿、餅をまく神事も同時に行われ、神輿は亀岡でも一番重いと言われる立派なもの
佐伯、太田、天川、鹿谷、柿花、芦山、奥条の7か村が合併
丹波路「酒の館」
11月下の稲荷大明神大祭は文久年間より行われており、当日は子どもみこしが出てにぎわう
紅葉
唐から帰国した空海が春日明神の使いである白鹿に導かれ、松の枝にかかっている独鈷杵を見つけた場所とされる空海ゆかりの山寺
本尊の千手観音は空海が香木を用いて一刀三礼して千手観音を刻んで安置したものとされ市指定文化財
眼病に霊験あらたかで、4月17日と7月17日には千日まいり
山門からの眺望が見事で、冬には雲海が一望できる
北ノ庄、湯井、拝田、川関、千原、今津、高野林、小川、小林の9か村が合併
明智光秀が内藤氏の居城である八木城を攻める際、ここで戦勝祈願をしたと伝わる
秋祭りに子供神輿(本神輿は老朽化のため飾り神輿に)
9/6には湯立神楽
大井神社の神職が兼任
2/19に拝田厄神大祭
宮川、猪倉、神前の3か村が合併
谷性寺に隣接
手作り子供みこし
旧丹波桑田郡に十九座ある延喜式内社の一つで、昔は神野神社と呼ばれていた
子供神輿のほか、節分祭は暗くなる頃から行われ、無病息災を願って、大きな生の火を焚く
また下賀茂神社の祭神の母で上賀茂神社の祭神の祖母の伊可古夜日売が祀られていることから、この神縁によって京都三大祭の一つ「葵祭」には宮川神社の氏子23名が毎年参列している
府指定文化財の本堂は亀岡市内では唯一の中世にさかのぼる仏堂
鎌倉時代の五重石塔は国指定の重文
西加舎、東加舎、井手、平松、中野の5か村が合併
文覚上人により開創
十三重塔が国の重文のほか、表門は明治時代に破却された亀山城の移築城門
美しい庭園と紅葉
総早苗振り祭は成長した稲苗を神前に供え、成育のお礼をのべ、併せて秋の豊作を祈願もので、神饌として小麦の半つき餠を神前に供え、氏子にもこの供物が配られる
9/15の放生会では各戸が思い思いの神饌を供え、大祭を行なった翌日に御礼が各戸に配られる
境内では、終日大かがり火がたかれる
1889年(明治22年)の町村制の施行により、南大谷・若森・赤熊・大内・中野・松熊の6か村が合併
1956年(昭和31年)、亀岡市に編入
1958年(昭和33年)、旧村域の一部(若森・南大谷)が園部町に編入
湯立
湯立 自然石の末社
土ヶ畑、千ヶ畑、広野の3か村が合併
後水尾上皇ゆかり
歴代天皇により下賜された御物・古文書・美術品など多数保存
庭園は京都府の名勝で、コウヤマキは市天然記念物
旧千ヶ畑村の氏神
神仏習合時代は牛頭天王を祀るいわゆる祇園さんで、明治以降は素戔鳴尊が主祭神
境内は亀岡の自然100選
正月の歳振り神事はその年の恵方に向かって樒(しきみ)を高々と掲げて「ワハハッ」と声高らかに笑いをする珍しい神事
8/24のサンヤレ(火伏せの行事)は市無形民俗文化財
東掛、神原、小泉、栢原、鎌倉、倉谷、南掛、湯谷、大野の9か村が合併
子供神輿?
本殿が府登録文化財
広大な社叢を有し、境内が府環境保全地区
12月にお火焚祭
子供神輿?
9/24に石田梅岩墓前祭
柚原、万願寺、大槻並、笑路、犬甘野、神地(現 亀岡市)、寺田、牧(現 大阪府豊能郡豊能町)の各村が合併
1958年(昭和33年)、旧村域のうち西別院町牧・西別院町寺田が大阪府豊能郡東能勢村(現 豊能町)に編入
犬甘野の御田が京都府無形民俗文化財
乳の泉(御手洗弁天の水)
12/6にお火焚祭