京都市左京区下鴨泉川町、下鴨神社の表参道入口そば、下鴨神社境内の糺の森の南に位置する下鴨神社の境内摂社。
正式には「小社宅(おこそべ)神社」といいますが、元は賀茂川と高野川が合流する只洲(ただす)の河原に祀られたことから「河合神社」と呼ばれています。
創建された時代は不明ですが、858年(天安2年)に古来より霊験が著しいとされる神を祀る「名神大社(みょうじんたいしゃ)」に列せられており、近代に入り明治初期の1887年(明治20年)に下鴨神社の第一摂社となりました。
現在の社殿は、下鴨神社の1699年(延宝7年)に行なわれた一定の周期ごとに新殿を造営して旧殿のご神体を移すいわゆる「式年遷宮」の際に、古殿舎を修造したものです。
祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)ですが、この点、下鴨神社の祭神で上賀茂神社の祭神・賀茂別雷神(かもわけいかずちのみこと)の母にあたる「玉依媛命」とは別の神様で、神武天皇の母君で、子供の成長を守る「女性の守護神」であり、安産・育児・縁結び・学業・長寿の神様として信仰を集めています。
中でも玉のように美しい女性だったいう祭神にちなんで古くから「美人の神」「女性の美」にまつわる神様として信仰を集めており、とりわけ女性に人気のスポットとして知られています。
そしてその人気の理由の一つが、日本古来の柄鏡(えかがみ)(手鏡)の形をしていた珍しい「鏡絵馬」で、参拝者はこの絵馬の顔の描かれた表面に、自らのメイク道具や神社で用意されているクレヨンを使って化粧を施し、裏面に願い事を書いて奉納するのですが、境内の絵馬掛けには化粧を施し奉納された鏡絵馬がズラリと並んでおり、そのどれもが個性的な表情をしています。
この他にも「カリン美人水」も人気を集めています。
また日本三大随筆の一つで「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」の書き出しで始まる「方丈記」を著したことで知られる鴨長明は、河合神社の神職(禰宜)の家柄に生まれたものの禰宜になることは叶わず、世を嘆いて「方丈記」を書いたといわれており、境内には長明の資料館や、移動に便利な組み立て式の草庵で長明が執筆を行ったと伝わる「方丈」を復元したものが展示されています。