京都府亀岡市ひえ田野町佐伯、JR亀岡駅より西へ約5kmほどの湯の花温泉へ向かう道の途中に大鳥居を構える神社。
現在の宮前町猪倉、稗田野町全域、吉田、並河、宇津根を範囲とする佐伯郷の産土神として祀られ、近年は悪病退散やがん封じ、女性の守り神としても親しまれている神社です。
社伝によるとその歴史は古く、約3000年程前に原生林を切り拓いて田畑を造りこの地に住み着いた人々が、食物の神、野山の神を祀り、収穫した穀物を供えて五穀豊穣と子孫の繁栄を祈り捧げていた場所とされ、現在の社殿の裏の鎮守の森の中にある土盛りはその当時の古代の祭祀跡といわれています。
その後時代は流れて大和朝廷の基礎ができ上がった709年(和銅2年)に丹波国の国守として派遣された大神朝臣狛磨が、朝廷の指示によって土盛の前に社殿を造営して佐伯郷の産土神として祀り、国の安泰と五穀豊穣を祈ったのがはじまりと伝えられています。
その後平安中期の927年(延長5年)にまとめられた当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である「延喜式神名帳」にもその名が見られ、更に鎌倉時代の1260年(正元2年)には神宮寺が建てられ、男山八幡橋本坊(現在の石清水八幡宮)の末寺「稗田野八幡宮」「稗八幡宮」などと称して厄除・開運・難病退散の宮寺として栄えますが、明治初期の「廃仏毀釈」によって神宮寺がが廃止されると社名を元の「稗田野神社」に戻し、現在に至っています。
現在の本殿は江戸中期の建造物で京都府の登録有形文化財であったものが1990(平成2)年の火災で全焼した後、1992(平成4)年に再建されたものです。
祭神としては伊勢神宮の外宮に祀られる豊受大御神と異名同神の神様とされ穀物の起源神で食を司る女神・保食命(うけもちのみこと)のほか、山の守護神として有名な大山祇命(おおやまずみのみこと)、そして野の神様で田畑の作物の守り神である野椎命(のづちのみこと)のの3柱が祀られており、古くより五穀豊穣の守護神として知られ、「ひえ田野」の社号も諸説あるものの稲・麦・粟・稗・豆の五穀の神である保食命にちなんだものといわれています。
また近年は悪病退散や健康長寿の霊験あらたかな社として、とりわけ境内にある樫の木の瘤を撫でると癌(がん)を吸い取ってくれるとされ「がん封じ」のご利益で有名なほか、3柱の祭神のうち保食命および野椎命の2柱が女神で、残る1柱の男神・大山祇命も日本最長寿の岩長姫や日本最美人の木花咲耶姫の父神であることから、「女性の守り神」として若い女性も数多く参拝に訪れるといいます。
その他にも願い事を強く明確に念じながらくぐると願い事を達成する気力を授かるという「石の環くぐり」や、意欲と気力を授かる石といわれる「必勝祈願石」など、パワースポットやご利益スポットが数多くあることでも有名です。
行事としては毎年8月14日に開催され、丹波の三大祭・丹波の奇祭ともされる「佐伯燈籠祭(さえきとうろうまつり)」が有名。
平安初期の859年(貞観元年)には清和天皇が勅使を遣わし稲の成育を祈願させたといい、更に鎌倉時代の1229年(寛喜元年)には後堀河天皇よって5基の「神灯籠」が下賜されたといい、これを祝って五穀豊穣を願う農民の祭りとして始まったといわれています。
旧佐伯郷に属する稗田野神社・御霊神社・河阿神社、若宮神社の4社が合同で行う五穀豊穣を祈願する神事でであると同時に、孟蘭盆の灯籠行事が結びつくという、盆行事と豊作の祈願の合わさった全国でも珍しい祭りであり、徳川中期以降に丹波の大祭として全国に知られ、1985年(昭和60年)4月に京都府の無形民俗文化財、更に2009年(平成21年)3月には文化庁より国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
5基の神燈籠と1基の台燈籠を中心に五穀豊穣祈願の祭りが斎行され、このうち5基の「神燈籠」は当時の稲作の様子を人形を使って5つの場面(御能、種蒔き、田植え、脱穀・臼摺り、石場搗)に表わしたもので、神輿とともに氏子地域を練り歩き、「台灯籠」と呼ばれる移動式の小さな舞台では、日本最小の背丈30cmほどの串人形を操り人形浄瑠璃が演じられるほか、夜には5基の神燈籠と神輿が追いかけっこをする「燈籠追い」や、神輿と大太鼓がぶつかり合う「太鼓掛け」など勇壮な神事も行われ、境内には夜店が数多く立ち並び、浴衣姿の人たちが大勢繰り出して賑わいます。
最後に2009年(平成21年)に新たに創建された「稗田阿禮社」は、太安万呂とともに「古事記」の編纂に関わった稗田阿礼(ひえだ のあれ 生没年不詳)が丹波国佐伯村で生まれたという伝説を受けて建立されたもので、学問・文学・芸能のほか、縁結びにもご利益があるといい、「稗田野神社」の社号の由来についてもひえ田氏を祀る社とする説もあるといわれています。