京都府亀岡市上矢田町、亀岡市南部の面降山(めんこうやま、天岡山)東麓に鎮座する神社。
境内には「鍬山宮」と「八幡宮」の2棟の本殿があり、それぞれに大己貴神(大国主命)および誉田別命(応神天皇)を祀っています。
このうちまず鍬山宮の祭神・大己貴命(おおなむちのかみ)(大国主命(おおくにぬしのみこと))は天照大神と月読命と共に三貴神とされる素盞鳴尊の御子、または六世の孫とされる神で、出雲神話の国造りの神話で有名。
「大国さん」として親しまれ、国土経営や農業、疫神送り、医薬温泉、また縁結びの神として古くより崇敬されていますが、同社では丹波の国を造ったとされる丹波国造伝説の神でもあります。
社伝によると太古の昔は「丹の湖(にのうみ)」と呼ばれる赤土の泥湖であったという亀岡盆地の南端の黒柄山に、大己貴命によって集められた8人の出雲の神々(八柱神)が降臨。
神々たちは一艘の樫船に乗り、鍬(くわ)や鋤(すき)を使って盆地を開拓し、浮田(請田)の峡(現在の保津峡)を開削して溜まっていた水を山城国へ流すことで肥沃で豊かな農地に変えたといいます。
そして大己貴命の神徳に感謝した里人たちの手により天岡山の麓に祀られたのが神社のはじまりで、また開拓の際に神々たちが使った鍬を山のように積み重ねたことから「鍬山大明神」の名で呼ばれるようになったとも伝わっています。
また社田として楽田・油田・華田・八日田・相撲田・馬場田・雑用田・奉射田の八種の神田を持っていたことから「八田」と呼ばれ、後に源頼政が当地を拝領するにあたって「矢田」に改めたといい、古くは、八田社、矢田社とも呼ばれていました。
その創建は709年(和銅2年)と伝えられ、平安中期に編纂された「延喜式神名帳」にも丹波国桑田郡十九座の一社として「丹波国桑田郡 鍬山神社」と記載され、式内社に列しています。
次に鍬山大明神の横に祀られている八幡宮社の祭神・誉田別尊は、社伝によれば平安末期の1165年(永万元年)4月8日に天岡山に降臨。
降臨の際に弓矢を負った武人の姿であったことから八幡宮として祀られることになったといい、またその後社殿に嫗の舞楽面が降り、皇居に降った翁面と合わせて神宝として当社に祀ったと言われ、このことから天岡峯は面降山とも呼ばれるようになったといわれています。
当初は面降山の裏手、現社地から北西へ800mほどの医王谷にあったといい、面降山をはじめ、周辺は多くの古代遺跡が残されています。
社殿が現在地に遷されたのは、江戸初期の亀山城主・岡部長盛の時代で、 1609年(慶長14年)に両宮が現在地に遷されたのち、翌1610年(慶長15年)に社殿が建立されました。
鳥居をくぐって参道の橋を渡り、石段を上がって拝殿まで来ると、更に一段高いところに二宮の本殿が並ぶようにして建てられています。
このうち向かって左側が鍬山宮、そして右側が八幡宮で、鍬山神社の向拝には神紋である二羽の兎、一方の八幡宮には八幡神の使いである二羽の鳩の神紋が見られます。
このような配置で祀られているのは その昔、鍬山明神と八幡神が不和となって兎と鳩が争うこととなったとき、左に鍬山社、右に八幡社を同規模・同形式で建て、間に小池を設けたことで争いはなくなったためといわれており、一間社流造の社殿はともに京都府登録文化財にも登録されています。
祭神は口丹波開発の神として崇敬されるほか、大国主命を祀ることから「縁結び」や「安産」のご利益で知られています。
また984年(永観2年)に日本で最初の医学書「医心方」三十巻を著したといわれる丹波康頼は医王谷出身で鍬山神を崇敬していたと伝えられ、「医王谷」の名は医学に精通した康頼に由来するほか、この由緒から同社は「医療」の神様としても信仰を集めています。
行事としては毎年10月下旬に開催される例祭で秋季大祭の「亀岡祭」が有名で、亀岡を代表する秋祭りであるとともに、京都三大祭りの一つである八坂神社の「祇園祭」を彷彿とさせる11基の山鉾が建てられて祇園囃子を奏でられることから「丹波の祇園祭」「口丹波の祇園祭」「亀岡の秋祭り」として知られています。
神社の創建と同じ頃に大堰川の氾濫による水害封じを祈願するためにはじめられ、戦国時代の1576年(天正4年)に丹波に侵攻した明智光秀によって一時廃されたものの、延宝年間(1673~81)に町衆の熱意によって復興されました。
この点、1681年(延宝9年)には杉原守親が「祭礼中興記」を記して祭礼を再興し、同年に城主の松平忠晴から神輿が寄進され、以来「例大祭」は口丹波一の大祭「亀山祭(のち亀岡祭)」として賑わったといいます。
「神幸祭」にて鍬山・八幡両宮の神輿が御旅所の形原神社まで渡御した後、23日の「宵々山」と24日の「宵宮」には、提灯の灯りに照らされた山鉾や花灯路などが城下町を幻想的な雰囲気に包み込みます。
また25日の本祭では、総勢11基の豪華な山鉾が、太鼓や笛、鉦の演奏とともに亀岡の城下町を力強く巡行するほか、同日には神輿も御旅所の形原神社を出発した後、鍬山神社へと還幸していきます。
この山鉾行事は京都府の登録無形民俗文化財にも指定されています。
また境内には数多くの楓が植えられており、紅葉の名所としても知られていて、その色鮮やかな美しさから「矢田の紅葉」と称されています。
見頃の時期の11月上旬からは、2つの本殿の周辺や境内参道などが燃えるような真っ赤な紅葉に包まれるほか、本殿に向かって右側の心字池周辺の紅葉も美しく、ライトアップ期間中は闇夜に浮かぶ約850本もの紅葉と参道に並ぶ赤い灯籠が境内を彩ります。