概要
1938年(昭和13年)8月1日、新舞鶴町・中舞鶴町・倉梯村・与保呂村・志楽村が合併して東舞鶴市が発足
1942年(昭和17年)、軍域の拡大に伴い東大浦村・西大浦村とともに朝来村が東舞鶴市に編入
泉源寺、市場、溝尻、浜、北吸
1906年(明治39年)、7月1日、倉梯村の一部(大字北吸・浜・溝尻・森・行永)・志楽村の一部(大字市場および泉源寺の一部)が分立して新舞鶴町が発足
三条商店街・七条商店街・八島商店街・大門商店街
舞鶴鎮守府御用達
舞鶴東港に面した潮路通りに立つ近代的な建物の商工観光センター。 1階には観光情報プラザのほか名産品の販売、近海の魚に直接触れられるふれあい水槽、6階には舞鶴東港を一望できる展望台。 5階にコンベンションホール・ホワイエ、3階の舞鶴商工会議所では舞鶴の経済振興のため様々な活動に取り組む
舞鶴東港から舞鶴湾をクルーズする不定期の観光遊覧船。 1901年に舞鶴鎮守府が開庁し軍港の町として発展してきた東舞鶴地区ならではのクルージングが楽しめる。 赤れんが桟橋を出発し造船所や赤れんが倉庫群のほか、港や桟橋に停泊する海上自衛隊の護衛艦やミサイル艦、補給艦を間近で見ることができる
東舞鶴に12棟ある赤れんが倉庫群の一つで1903年旧舞鶴海軍兵器廠の魚形水雷庫として建設。現存する鉄骨構造のれんが建築物としては国内最古で、1993年世界でも珍しいれんがをテーマにした博物館に。 四大文明をはじめ世界のれんがを収蔵・展示するほか、その魅力や歴史を映像や模型を使い楽しく紹介
式内社
余部上、余部下、和田、長浜
1902年(明治35年)に余内村の一部であった大字余部上・余部下・和田・長浜が分立して余部町が発足
1919年(大正8年)11月1日 - 余部町が改称して中舞鶴町となる。
1901年舞鶴鎮守府が設置され軍港の町として発展してきた舞鶴に1964年旧海軍機関学校大講堂の一部を利用し開設。 初代長官東郷平八郎の資料・遺品や旧海軍の記念品などを展示。日露戦争時の旅順港閉塞決死隊「福井丸」の絵画は有名。 記念館から徒歩10分の自衛隊桟橋には護衛艦も停泊し間近で見学できる
森(森・森町・森本町・丸山町・丸山口町・丸山中町・丸山西町)、行永(行永・行永東町・七条中町・倉梯町・倉梯中町・金屋町・北浜町・南浜町・八反田北町・八反田南町)、多門院、堂奥
1889年(明治22年)の町村制の施行により北吸・浜・森・行永・多門院・堂奥・溝尻の各村が合併
1906年(明治39年)、大字北吸・浜・溝尻・森・行永は新舞鶴町の一部となる
ツツジ
市の南東端
与保呂、常、木ノ下の各村が合併
市の東部、東舞鶴市街の東方一帯(小倉、鹿原、田中、吉坂、安岡、松尾)
1889年(明治22年)の町村制の施行により市場・泉源寺・田中・安岡・小倉・鹿原・吉坂・松尾の各村が合併
1906年(明治39年)、大字市場および泉源寺の一部は新舞鶴町の一部となる
JR松尾寺駅旧駅舎を活用
市の北東部、東舞鶴市街地の北東一帯(笹部、杉山、登尾、岡安、白屋、長内、朝来中、大波、吉野)
杉山・笹部・登尾・岡安・白屋・長内・吉野・朝来中・大波上・大波下の各村が合併
1942年(昭和17年)、東大浦村・西大浦村とともに朝来村が東舞鶴市に編入
パターゴルフ・キャンプ・陶芸館
1942年(昭和17年)、朝来村とともに東大浦村・西大浦村が東舞鶴市に編入
市の北東端
河辺中、西屋、室牛、河辺由里、観音寺、河辺原、栃尾、大山、田井、成生、野原の各村が合併
市の北東部、東舞鶴市街から舞鶴湾を挟んだ対岸
中田、赤野、多祢寺、小橋、三浜、平、佐波賀、千歳、大丹生、瀬崎の各村が合併
小橋の精霊船
引揚記念公園・引揚桟橋・クレインブリッジ 「岸壁の母」の歌で全国に知られる舞鶴港を見下ろす高台にある。 舞鶴港が第二次世界大戦終結後1945年から13年にわたり旧満州やシベリアなどから66万余人の引揚者を迎え入れた歴史を今に伝える。 周辺は公園として整備され平和の群像やカリヨンの鐘、歌碑のほか桜やツツジ、椿など四季の草花も楽しめる
舞鶴港へのクルーズ船の入港が見える
レストラン「エムズデリ」、日本初の海上プラネタリウム「エル・マールまいづる」
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、加佐郡に舞鶴町が発足
1936年(昭和11年)8月1日、四所村・高野村・中筋村・池内村・余内村の5か村を編入
1938年(昭和13年)8月1日、市制施行して舞鶴市(旧舞鶴市)となり、加佐郡より離脱
市の中部、西舞鶴市街の東方一帯(円満寺、上安久、下安久、福来、倉谷、清道、天台、上安、和田)
1889年(明治22年)の町村制の施行により円満寺・上安久・下安久・和田・長浜・福来・倉谷・清道・天台・上安・余部上・余部下の各村が合併
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、大内・職人・魚屋・丹波・平野屋・本・竹屋・寺内・西・新・紺屋・朝代・引土・引土新・堀上・吉原、北田辺・南田辺・松陰・京口・宮津口が合併し舞鶴町が発足
田辺城は戦国時代信長の命で丹後を平定した細川氏が築いた城で舞鶴城の別名は市名の由来に。 関ヶ原前哨戦・田辺城籠城戦の舞台となり京極氏、牧野氏と城主が交替し幕末まで続く。 現在は公園として整備され石垣跡や細川幽斎の古今伝授の碑、復元された城門の2階が資料館。 春は桜、5月には田辺城まつりも
桜・ヤギ
式内
大和橋(朝代神社や円隆寺より北へ、魚屋大森交差点の東)で吉原の万灯籠
市の北西部、舞鶴湾の西岸(上福井、下福井、喜多、大君、吉田、青井、白杉)
1889年(明治22年)、町村制の施行により上福井・下福井・新宮・喜多・大君・吉田・青井・白杉の各村が合併
1894年(明治27年)、大字新宮が大字下福井・喜多に編入され7大字となる
西舞鶴の市街に近い国道175号沿い、府内最大の水産基地舞鶴港に位置し日本海最大級の海鮮市場を持つ道の駅。 新鮮で安く種類も豊富で、獲れたての魚や水産加工品は購入はもちろんその場で海鮮焼きや刺身にして味わえる。 レストランや土産店も併設。舞鶴かに、舞鶴かまぼこ、夏限定の岩がき丼などが人気
舞鶴市吉田地区、曹洞宗の小寺だが境内は「吉田のしだれ桜」で有名な舞鶴有数の桜スポット。 戦国時代に田辺城主・細川幽斎が京都吉田山から桜を移し植えたと伝わり吉田の地名の由来に。 高さ8m、樹齢300年と80年の古木2本は市文化財で満開時はまるで桜の滝のよう。夜にはキャンドルイルミネーションも
市の中部、西舞鶴市街の南東一帯、舞鶴若狭自動車道・舞鶴西インターチェンジの周辺
今田、堀、池内下、布敷、別所、上根、寺田、白滝、岸谷の各村が合併
ずいきみこしは1936年まで
市の南西部、西舞鶴市街の南西一帯
野村寺、高野由里、城屋、女布の各村が合併
城屋の揚松明
1928年(昭和3年)10月1日、丸八江村・東雲村が合併して八雲村が発足
1955年(昭和30年)、岡田上村・岡田中村・岡田下村・八雲村・神崎村が合併して加佐町が発足
1957年(昭和32年)、加佐町が舞鶴市に編入
市の北西部、由良川の河口右岸(蒲江、油江、東神崎、西神崎)
蒲江・油江・神崎の各村が合併
市の北西部、由良川の右岸、京都丹後鉄道宮豊線・東雲駅の周辺(八戸地、和江、丸田東、丸田西、八田、三日市、上東、下東、水間、水間下、中山)
1889年(明治22年)の町村制の施行により、三日市・上東・下東・中山・水間の各村が合併し東雲村が発足
1889年(明治22年)の町村制の施行により、丸田・八田・八戸地・和江の各村が合併し丸八江村が発足
1928年(昭和3年)、丸八江村と合併して八雲村が発足
森鴎外の山椒太夫ゆかり
市の南西部、由良川の両岸、国道175号沿い
久田美、志高、大川の各村が合併 真壁?
加佐郡名神大社、由良川一帯の総鎮守
市の北西部、由良川の左岸、岡田川の流域
上漆原、下漆原、長谷、下見谷、西方寺、河原、岡田由里、富室の各村が合併
市の南西端、綾部宮津道路・舞鶴大江ICの周辺(滝ヶ宇呂、小俣、地頭、大俣、上村、小原、宇谷、桑飼下)
桑飼上・桑飼下・地頭・大俣・滝ヶ宇呂の各村が合併
地頭太鼓・大俣太鼓は市指定文化財