大浦半島西、国内3位の高さ3.5mの金剛力士像が見所
真言宗東寺派。大浦半島西、舞鶴湾を望む標高556mの多禰山中腹に位置。
聖徳太子の弟麻呂子親王が丹後で起きた叛乱平定を感謝し祀った七仏薬師の一つ薬師瑠璃光如来を本尊に587年創建。
重文で国内3位の高さ3.5mの金剛力士像に創建当時の萩の柱が残る本堂、鐘楼を兼ねる珍しい仁王門も見所。萩の名所
多禰寺のみどころ (Point in Check)
京都府舞鶴市多祢寺、舞鶴市の北東にある大浦半島の西、舞鶴湾を望む標高556mの多禰山の中腹、海抜300mに位置する真言宗東寺派の寺院。
山号は医王山(いおうざん)、本尊は薬師瑠璃光如来。
創建の詳しい経緯は不明ですが、「多禰寺縁起」によれば飛鳥時代の587年(用明天皇2年)に用明天皇の第3皇子で聖徳太子の弟・麻呂子親王(まろこしんのう)は丹後国で起きた鬼賊による反乱を「七仏薬師の法」の法力にて平定し、その加護に感謝して丹波に7か所の寺院を立てそれぞれに七仏薬師を祀ったといい、この七仏薬師の一つで親王の護持仏であった薬師瑠璃光如来を勧請し本尊として安置したのがはじまりとされています。
平安時代に入ると七堂伽藍が整備されて近隣の郷村の菩提寺として栄え、室町期以降も数多くの安堵状や寄進状が残るなど、丹後の有力者の庇護を受けたといい、その後は相次ぐ戦乱で往時の寺勢はないものの、西国薬師四十九霊場の第30番札所として、とりわけ目と耳にご利益のある仏様として信仰を集めているといいます。
現在の本堂は1824年(文政7年)の再建ですが、本堂内部には飛鳥時代の創建当時のものがそのまま残るという萩の大木が2本使われた「はぎの柱」が現存しているといい、本尊・薬師如来坐像のほか脇侍として日光・月光菩薩および十二神将、更に不動明王と毘沙門天が安置されています。
その他にも、また梵鐘が吊り下がり鐘楼も兼ねる珍しい「仁王門」があるほか、重文で東大寺の南大門、清水寺の仁王門の仁王像に次ぐ国内3位の高さ3.5mを誇る金剛力士立像をはじめとした平安・鎌倉・室町期を中心とした貴重な寺宝を宝物殿に数多く所蔵しており、事前予約をすれば拝観が可能となっています。
更に山上にある境内の駐車場からは舞鶴湾の素晴らしい眺望が広がるほか、境内の「萩苑」にて約300本の白萩(シラハギ)が咲き乱れる萩の名所としても知られています。