京都府舞鶴市万願寺、JR・丹鉄の西舞鶴駅の南東約1.7km、万願寺とうがらしの発祥の地である「万願寺地区」の山間の静かな場所にひっそりと伽藍を構える、鎌倉期建立、創建800年以上の歴史を持つ真言宗御室派の寺院で引土にある円隆寺の末寺。
正式名は「西紫雲山 不動院 満願寺」で山号は西紫雲山、本尊は十一面観世音菩薩坐像。
鎌倉初期の1218年(建保6年)、比叡山の大法師である弁円上人がこの地に白衣の老翁のお告げを得て十一面観世音を彫り、堂を建て本尊を収めて創建。
観音大士が京洛の西方のこの地に人々を救うため現われ紫雲たなびいたことから山号を「西紫雲山」、また弁円上人の心願が満たされたとして寺名を「満願」と号し、更に万人の願いを聞き届けてくれる寺として字名は「万願寺」とされたといいます。
かつては惣門があり七堂伽藍で荘厳を極めた大寺でしたが、室町後期の永禄年中(1570年頃)に火災のため焼失し、その後、江戸前期の寛文年間(1661-73)に宥宣大僧都によって中興された後、1969年(昭和44年)に現在の場所に移築されました。
現在は江戸中期の1767年(明和4年)に改築されたと伝わる本堂だけが残るのみとなっていますが、本尊の木造「十一面観世音菩薩坐像」は像高133cmの寄木造で、十一面観音としては珍しい坐像、作者は背板の墨書から鎌倉時代の仏師・観賢とされ、諸願とりわけ眼病に霊験あらたかな御仏として広く朝野の崇敬を集めていますが、33年に一度開扉される秘仏であり、直近では2002年(平成14年)に公開されています。
また本尊の脇侍として鎌倉期作の不動明王と毘沙門天の立像も祀られていて、十一面観世音菩薩坐像と合わせて3体が2010年(平成22年)に京都府指定文化財に指定されています。
2019年には創建期の遺構である鎌倉時代の建物の礎石跡2か所や室町時代の建物の礎石跡などが発掘され、また河北省の磁州窯で作られたとみられる宋代の稀少な壼の破片も出土し、ニュースでも取り上げられるなど話題となりました。
そしてこの「満願寺」のある京都府舞鶴市の「万願寺」地区の名を冠し、代表的な京野菜の一つとして知られているのが「万願寺とうがらし(万願寺甘とう)」です。
唐辛子の一種ですが辛味はなく、柔らかくて甘味があり、種が少なく食べやすいのが特徴で、その一方で果肉は大きくて肉厚、その大きさから「とうがらしの王様」とも呼ばれていて、歴史に磨かれた特徴ある農林水産物の中で、品質・量に特に優れているとして京都府が認証している「ブランド京野菜」にも指定される逸品。
今から約100年ほど前の大正末期から昭和初期、明治以降は対外貿易の拠点として海を介して海外との強いつながりのあった舞鶴において、京都の在来品種である「伏見のとうがらし」と海外の品種との自然交雑により誕生したと考えられていて、地元住民の間でも美味しいと評判でした。
もっとも栽培はとても難しく、当時は自家野菜としてとうがらしの栽培に適したと思われる万願寺地区のごく限られた地域の農家で栽培されるのみでした。
しかし台木の発見による継木栽培や育種、独自の工夫を加えた土づくりや防除など、産地をあげての努力と熱意の結果、第二次世界大戦以降は舞鶴市全域、2006年(平成18年)には隣接する綾部市・福知山市といったJA京都にのくに管内まで栽培が広がり、2008年(平成20年)7月には「万願寺甘とう」として商標登録もなされ、夏の京野菜を代表する商品として全国に出荷されています。
収穫・出荷時期は5月上旬から9月中旬にかけてで、歴史ことまだわずか100年ほどですが、シンプルに丸ごと素焼きにしてかつお節と醤油をかけて食べる「万願寺甘とうの焼いたん」は、夏の京のおばんざいの定番の一皿となっています。