京都府舞鶴市松尾、舞鶴市と福井県大飯郡高浜町との境、その峰の美しさから「若狭富士」と称される標高699mの青葉山の中腹にある真言宗醍醐派の寺院。
山号は青葉山(あおばさん)、本尊は馬頭観世音菩薩坐像。
寺伝によれば、中国・唐からの渡来僧・威光が青葉山の峰を見て霊験ある唐の馬耳山に似た山であるとして登山したところ、松の大樹の下に馬頭観音を感得、708年(和銅元年)にこの松の木の下に草庵を結び馬頭観音像を安置したのがはじまり。
その後、平安後期の1119年(元永2年)には鳥羽天皇および美福門院の行幸があって寺領4000石を給わり、寺坊は65を数えて繁栄。
1716年(正徳6年)までに織田信長による兵火など5度の火災に見舞われますが、細川幽斎や京極家など歴代田辺城主の援助で復興され、本堂など現在の伽藍は1730年(享保15年)に牧野英成により整備されたものです。
本堂に安置されている本尊「馬頭観世音菩薩坐像」は3つの顔と8本の腕を持ち頭上に馬の顔がある観音様で、諸悪を断ち切るために憤怒の表情をたたえ、農耕あるいは牛馬畜産、交通の守護神であるだけでなく 、現代では競馬関係者やファンなどからも信仰を集め、西国三十三所の第29番札所となっており、三十三霊場の中で唯一の馬頭観音でもあります。
また美福門院の持念仏で絹本着色による藤原式仏画の典型的な例とされる国宝の「絹本著色普賢延命像」をはじめ、快慶作の阿弥陀如来坐像など多数の寺宝を所蔵しており、それらの多くは春・秋の各2ヶ月間、境内の宝物殿にて展示・公開されます。
行事としては江戸時代から伝わる珍しい宗教行事として国の重要無形民俗文化財にも指定されている「仏舞(ほとけまい)」が有名。
元々は4月8日の花まつりの行事でしたが、新暦となった現在は釈迦の誕生日を祝う花まつりを兼ねて1か月後の毎年5月8日に開催されています。
奈良時代に唐から伝えられたものといいますが、その由来や始められた経緯などは松尾寺の古い記録が焼失しており不明とされているものの、江戸初期に舞われていた記録が残っているといいます。
古くは松尾寺の寺坊の僧が舞っていたといいますが、寺坊が消滅した後は門前町の檀家たちで組織されている松尾寺仏舞保存会の人たちが継承し続けています。
「大日如来」「釈迦如来」「阿弥陀如来」の各如来をそれぞれ2人ずつ計6人の舞人が担当。
金色の仏面と光背を付けて本堂内の舞台に上がり、胸前にさげた鼓を打ちならしながら、楽人による雅楽「越天楽」の調べに合わせ優雅な舞を繰り返します。