「やわたのはちまんさん」として親しまれる厄除けの社
日本三大八幡社の一つ。王城鎮護のため平安京の裏鬼門(西南)にあたる男山山頂に大分宇佐八幡を勧請。厄除けのほか源氏が氏神とし必勝祈願のご利益。
徳川家光寄進の朱塗りの社殿は本殿や楼門など16棟が重文。
楠木正成手植えの大楠、信長塀も見所。表・裏参道に3つのハイキングコースもあり桜と紅葉が見事
石清水八幡宮のみどころ (Point in Check)
元々男山の一帯は京都を流れる木津川・宇治川・桂川の三川が合流して淀川となる場所で、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と明智光秀の戦いで知られる天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の水陸交通および経済上・軍事上の要衝として重要視される場所でした。
平安時代初期の859年、真言宗の祖である弘法大師・空海の弟子だった南都大安寺の僧・行教が大分の宇佐神宮で「吾れ都近き男山の峰に遷座して国家を鎮護せん」との神託を受け男山の峰に神霊を奉安。
それを受け清和天皇が翌960年に男山に社殿を造営したことにより、石清水八幡宮の歴史がはじまることとなります。
以後は朝廷から京都の南西・裏鬼門を守護する都の守護・国家鎮護の社として、東北・鬼門を守る比叡山延暦寺とともに厚く崇敬されようになり、天皇や上皇の行幸も64代・円融天皇以来240を超え、遠方の大分・宇佐神宮に代わり、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟と称されました。
その一方で武家からの崇敬も厚く、特に源氏とは源義家がこの地で元服し「八幡太郎義家」を名乗ったほか本拠地・鎌倉に鶴岡八幡宮を勧請するなど深い繋がりがありました。
そのためその後の源氏の広がりとともに全国各地に八幡社が建立され、八幡宮は全国津々浦々に4万社はあるといわれています。
その後も清和源氏の流れを汲む足利・今川・武田などが氏神とし「必勝」の神社として崇拝、織田信長や秀吉、徳川幕府からも庇護を受けました。
ちなみに元々この地にはは男山の中腹に湧き出る霊泉にちなみ、行基が「石清水寺」を創建しており、八幡神鎮座後も幕末までは「石清水八幡宮護国寺」と称する神仏習合の官寺でした。
しかし明治時代に入ると1868年「神仏分離令」をきっかけに廃仏毀釈が巻き起こり仏像・仏具の廃棄や宿坊の移転が相次ぐこととなり、そんな中で1871年には官幣大社に列せられ、社号も「男山八幡宮」と改称することとなります。
もっとも「石清水」の社号は1000年以上の創建以来の由緒深いものであることから、1918年には元の「石清水八幡宮」に戻され現在に至っています。
京都を代表する「厄除け」の神社
清和天皇が平安京を守護するため、都の裏鬼門(西南)にあたる男山山頂に厄除けの神として知られる八幡大神(応神天皇・神功皇后(安産)・比咩大神(交通安全)の3柱)を大分宇佐八幡宮より勧請し創建。朝廷から伊勢神宮に次ぐ宗廟として厚い崇敬を集めています。
社名は元々この地にあり男山中腹より涌き出る霊泉に因んで名付けられた「石清水山寺」に由来。
このため現在においても厄除けの社として多くの参拝客が訪れます。特に厄年の厄払いでは「女は立木さん(滋賀県の立木観音)、男は男山」といわれるほど信仰を集めています。
源氏の氏神として信仰を集める「必勝」の社
朝廷のみならず武士からも厚い信仰を集め、源義家がここで元服し八幡太郎と呼ばれ後に源氏の氏神となった経緯から「必勝」の神社としても知られています。また境内には鎌倉幕府を開いた「源頼朝ゆかりの松」も残されています。
ちなみにのちに源氏の本拠地・鎌倉に鶴岡八幡宮が創建されるなど、その台頭とともに全国に八幡社が建てられましたが、その中で石清水八幡宮は大分宇佐八幡宮、鶴岡八幡宮とともに「日本三大八幡社」とされています。
徳川家光が寄進、本殿など国宝・重文指定の貴重な建築物が多数
徳川家光の寄進で江戸初期の1634年(寛永11年)に再建された朱塗りの社殿は動物彫刻などで装飾された豪華絢爛な造りを誇ります。
そのうち本殿、外殿、楼門など18棟の貴重な建築物が国の重要文化財に指定されています。
更に2016年2月には本殿を含む10棟が新たに国宝にも指定されました(本殿、摂社武内社本殿、瑞籬、幣殿および舞殿、楼門、東門、西門、廻廊3棟)。
八幡造の本殿形式で現存最古かつ最大規模という歴史的価値のほか、古代の荘厳な社殿形式を保持しつつも、織田信長・豊臣秀吉・豊臣秀頼・徳川家光などの天下人たちにより施された近世的な装飾も兼ね備えた完成度の高い神社建築で、広く浸透した八幡信仰の象徴としても文化的意義があると評価されたといいます。
国指定史跡の男山全体が境内、参拝用のケーブルも設置
2012年(平成24年)に国の史跡に指定された男山全体が境内で山上の上院へは表参道・裏参道より徒歩で参拝できるほか、参拝用のケーブルも設置され数分で山上まで到着することもできます。
府指定天然記念物の楠木正成手植えのクスノキに桜、紅葉など豊かな自然
広大な境内には豊かな自然が残り、南北朝時代に活躍した楠木正成手植えと伝わる樹齢600年を超える大楠が京都府指定天然記念物に指定されています。
その他にも春は桜、秋は紅葉の名所としても有名で桜は男山全体で2000本あるほか、山上の展望台からは桂川、宇治川、木津川の三川が眺望でき、またせせらぎ、ひだまり、こもれびの3つのハイキングコースが設定され豊かな自然を満喫できます。
織田信長奉納の「黄金の樋」と「信長塀」
本殿を囲むように築かれた築地塀は戦国武将・織田信長の奉納、また本殿内には同じく信長の寄進と伝わる「黄金の樋」が残されています。
例祭・石清水祭は三大勅祭の一つ
毎年9/15に開催される例祭・石清水祭は清和天皇時代の863年より続く歴史と伝統を誇り、賀茂の葵祭・奈良春日大社の春日祭とともに日本三大勅祭の一つに数えられています。
白熱電球の実用化に八幡市の竹が貢献、発明王エジソンの記念碑も立つ
発明王として有名なトーマス・アルバ・エジソン(1847-1931)は男山の真竹を用い白熱電球の長時間点灯に成功したことから、境内にはエジソンの記念碑が立ち、その生誕日と命日にはエジソンの遺徳を偲ぶ行事も行われています。
また境内では竹製のエジソン合格祈願絵馬の授与も行われており、受験合格を祈願する多くの参拝者が訪れます。
パナソニックの創業者・松下幸之助が深く信仰
世界的家電メーカーとして知られるパナソニックの創業者で「経営の神様」とも称された松下幸之助が深く信仰したことでも知られています。