京都府八幡市八幡吉野垣内、石清水八幡宮の横を流れる川に架かる安居橋(たいこ橋)を渡って東へまっすぐ進んだ突き当たりににある臨済宗妙心寺派の寺院。
本尊は五大釈迦牟尼仏で、「らくがき寺」の別名で知られているユニークなお寺です。
開山は不明ですが、江戸初期の1670年に創建され、古くは神原町にあったとされています。
そして一時中絶の後、男山中腹にあった四十八坊の一つ「法童坊」に預かり置かれていました。
その後、今から200年前に京都・妙心寺(みょうしんじ)の和尚・単伝が人々の不慮の災難を救うために、荒れ放題だった寺を修繕し、けが除け・厄除けの救苦観音を安置して再興。更に江戸後期に禅宗寺院に改められるとともに現在の場所に移されました。
山門を入った正面に立つ大黒堂に安置されている「走り大黒天」は、南北朝時代に楠木正成(くすのきまさしげ)が、近隣にある石清水八幡宮の改修の際に武運長久を祈願して寄進した楠の木の株の残りから刻まれたものと伝わっています。
そしてこの大黒堂は1957年(昭和32年)に建立されて以来、大黒天に参拝して堂内の白壁に願い事を書くと叶うとされる「落書き祈願」で知られるようになり、「らくがき寺」の別名の由来にもなっています。
これは大黒堂建立の際、様々な人々の援助を受けたことに感謝し、大黒様に願い事が良く見えるようにと始められたもので、願い事は決められた場所にて自由に書き込むことができることから、堂内の白い壁には大願成就や商売繁盛、試験合格などの様々な願い事で真っ黒に。そして落書きで一杯になった壁は毎年年末には新しく塗り替えられるといいます。