山科疏水(琵琶湖第一疏水)

山科疏水(琵琶湖第一疏水)

桜と菜の花の黄色との鮮やかなコントラストが印象的

琵琶湖~京都までを結ぶ琵琶湖疏水の豊富な水は水力発電に利用され、西陣織の発展や日本初の路面電車開通など明治維新後低迷していた京都の復興に大きく貢献。 このうち山科駅北、四ノ宮~日ノ岡間約4kmの両岸は東山自然緑地として整備され桜並木が続く。特に安朱橋東側は菜の花の黄色との対比が鮮やか

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山科疏水(琵琶湖第一疏水)とは?(基本データ)

名前
山科疏水(琵琶湖第一疏水)(やましなそすい)
エリア
山科・醍醐
ジャンル

琵琶湖疏水 菜の花

建立・設立
琵琶湖疏水は1885年(明治18年)着工、1890年(明治23年)完成
1973年(昭和48年)、山科御陵・四ノ宮から日ノ岡間の疎水両岸の約4kmを「東山自然緑地」とし遊歩道などを整備、1978年(昭和53年)には完成
創始者
田辺朔郎(琵琶湖疏水工事主任)
第3代京都府知事・北垣国道(琵琶湖疏水施工を発意)
アクセス
  • 京都市営地下鉄東西線「山科」駅下車 北へ徒歩約10分(安朱橋まで徒歩約7分)
  • JR東海道本線(琵琶湖線)・湖西線「山科」駅下車 北へ徒歩約10分
  • 京阪京津線(大津線)「京阪山科」駅下車 北へ徒歩約10分
  • 京都市営地下鉄東西線「御陵」駅下車 北へ徒歩約5分
  • 京阪京津線(大津線)「四宮」駅下車 北へ徒歩約10分
  • 京阪バス「山科駅」(19・20・21・22・22A・24・24A・26・26A・28A・29・29A・45・47・48・循環系統)下車 北へ徒歩約10分
  • 名神高速道路「京都東IC」より約10分
駐車場
付近に民間・市営の駐車場あり
拝観料
なし
お休み
特になし
拝観時間
見学自由
住所
〒607-0000
京都府京都市山科区御陵山ノ谷~安朱東海道町
電話
075-761-3171(京都市役所上下水道局疏水事務所)
075-222-3586(京都市水と緑環境部緑地管理課)
075-643-5405(京都市南部みどり管理事務所)
FAX
-
公式サイト
日本遺産 琵琶湖疏水
びわ湖疏水船
疏水さんぽ [大津~山科さんぽ] 琵琶湖疏水記念館
琵琶湖疏水のご紹介 京都市上下水道局
琵琶湖疏水 文化遺産オンライン

山科疏水(琵琶湖第一疏水)の地図

山科疏水(琵琶湖第一疏水)のみどころ (Point in Check)

「琵琶湖疏水」とは?

「琵琶湖疏水(びわこそすい)」は琵琶湖の水を京都市へ流すため明治初期に作られた全長11.1kmの水路。

滋賀県大津市からトンネルや水路を開削して京都市まで水を引くという一大プロジェクトで、京都への飲料水の供給や水運、水力による発電、灌漑を目的として計画され、1890年(明治23年)に完成した第1疏水と、1912年(大正2年)に完成した第2疏水を総称したものを指します。

滋賀県大津市三保ヶ崎の琵琶湖取水点から長等山をトンネルで抜け、山科北部の山麓をめぐり(山科疏水)、蹴上に出ると約36mの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下り、蹴上の南禅寺船溜から西へと流れて平安神宮の南を通り(岡崎疏水)、夷川ダム、夷川発電所を経て鴨川へと出ます。

そして鴨川合流点から下流は鴨川沿いに南下していき、深草を経て伏見で濠川につながり、そのまま宇治川に放流されます。

このうち南禅寺船溜から鴨川合流点までを「鴨東運河」と呼び1890年(明治23年)に完成、それより下流は「鴨川運河」と呼ばれ1894年(明治27年)に完成しています。

この主流以外にも蹴上を分岐点とする「疏水分線」があり、南禅寺水路閣から北へ、哲学の道沿いに若王子から銀閣寺道まで流れた後、そこから西に転じて、松ヶ崎(松ヶ崎疏水)、吉田山の東北を経て、最後は堀川へと合流します。

「禁門の変」で京都市内の大半が焼け、また明治初期に東京に都が移り衰退しかかった京都の復興を図るため、第3代京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち 1836-1916)が琵琶湖の豊かな水源に着目し計画。

主任技師として選任されたのは工部大学校(現在の東京大学)を卒業したばかりの青年技師・田辺朔郎(たなべさくろう 1861-1944)で、 卒業論文「琵琶湖疎水工事の計画」で世界的に脚光を浴び、わずか21歳で工事責任者として抜擢され、後に近代日本の土木工学の祖といわれる存在となった人物です。

建設には当時の金額で約125万円、京都府の年間予算の約2倍という膨大な費用が投じられ、まず現在「第一疏水」と呼ばれている部分が1885年(明治18年)の着工の後、1894年(明治27年)に完成。

琵琶湖疏水工事は当時の日本における重大な建築工事は全て外国人技師の設計・監督に委ねていた時代にあって、全て日本人の手によって行った我が国最初の大土木事業であったといいます。

用いられた資材はレンガ約1400万個、木材300万才(300万立法尺)、セメント3万樽、ダイナマイト類7000貫目に及んだと記録されていて、このうちレンガはすべて国産のもので、京都府が疎水建設のための煉瓦製造工場を建設し供給されたといい、工場跡であることを示す石碑が地下鉄御陵駅の出入口付近に建てられています。

この琵琶湖疏水の主な目的は大阪湾と琵琶湖間の通船や水車を動力とした紡績業、そして潅漑用水や防火用水などでしたが、水力発電の有利性も注目されるようになり、1889年(明治22年)に日本初の水力発電所として「蹴上発電所」が建設され、1891年(明治24年)に送電を開始すると、この電力を用いて1895年(明治28年)には京都~伏見間で日本初となる電気鉄道「京都電気鉄道(京電)」の運転も始められ、京都の近代化と文明の発展に大いに貢献することとなります。

更に水力発電の増強と水道用水確保のため、第一疏水の開通から20年後の明治後期から大正初期にかけて「第二疏水」も整備されることとなり、1908年(明治41年)に工事がはじまり、1912年(大正2年)に完成していますが、流路はほぼトンネル(暗渠)となっているため、流れを実際に目にすることはないといいます。

琵琶湖疏水が開通し、水力発電が採用されたことで、新しい工場が生まれ、路面電車も走り出し、京都は再び活力を取り戻すとともに、今日の京都のまちづくりの基礎が出来上がったといえます。

琵琶湖疏水は今日においても京都に琵琶湖の水を供給し続け、科学技術等の発達によってその役割は減ったものの、蹴上浄水場へ供給する上水道の水源とという重要なインフラとしての役割を担い続けていますが、これとは別に建設から100年以上が経過し、その歴史的価値に着目し新たな観光資源としての役割も担うようになっています。

明治における日本の土木技術の水準の高さを示す画期的な事業であり、第1~第3トンネルの各出入口、第一・第二竪坑、日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡11号橋)やコンクリートアーチ橋(山ノ谷10号橋)、そして蹴上インクラインと南禅寺水路閣の計12か所が1996年(平成8年)に「国の史跡」に指定。
2020年(令和元年)には「京都と大津を繋ぐ 希望の水路 琵琶湖疏水」として文化庁選定の「日本遺産」にも認定されています。

また1989年(平成元年)8月9日には竣工100周年を記念し、疏水の意義を1人でも多くの方に伝え先人の偉業を顕彰するとともに、将来に向かって発展する京都の活力の源となることを願って、琵琶湖疏水のすべてが分かる資料館として「琵琶湖疏水記念館」も開館されました。

そしてその遺構はレンガ造りのレトロな雰囲気の近代建築であるものが多く、南禅寺の「水路閣」や「哲学の道」など新たな景勝地も誕生しているほか、近年は「蹴上インクライン」や「山科疏水」なども桜の名所として有名なスポットとなっています。

また2003年(平成15年)3月に京都府・大阪府・滋賀県の琵琶湖・淀川流域で開催された「第3回世界水フォーラム」の記念行事として開催されたのをきっかけとして始められ、近年は春の風物詩としてすっかり定着した岡崎疏水での「岡崎さくら・わかば回廊 十石舟めぐり」や、一時期は休止していた琵琶湖疏水の船運事業を2018年(平成30年)春に67年の歳月を経て新たに観光船として復活させた「びわこ疏水船」など、琵琶湖疏水を船で巡る乗船体験も楽しめるようになっています。

「山科疏水」について

琵琶湖からの水は、大津と京都の境に造られた第一トンネルを抜けた後、滋賀県大津市西端の藤尾地区から、山科東端の四ノ宮地区、安朱地区、御陵地区を経て、山科区西端の日ノ岡地区まで、山科駅の北、山科盆地北側の山麓をゆるやかに弧を描きながら流れ、蹴上へと続いていきます。

「山科疏水」は琵琶湖疏水のこれらの流路のうち、四ノ宮から日ノ岡までの約4.2kmを通る部分の通称で、一帯は四季折々に楽しめる豊かな自然環境が多く残るほか、多くの史跡や寺社仏閣、それに琵琶湖疏水に関する遺構なども残されており、「京都の自然200選(歴史的自然環境部門)」にも選定され風致地区として景観が守られています。

そしてこの山科疏水に沿って約3kmにわたって東山自然緑地の遊歩道が整備されており、四季折々の美しい景色を眺めながら、あるいは寺社仏閣や琵琶湖疏水に関連した史跡をめぐりながら散策を楽しむことができます。

琵琶湖疏水の遺構としてはルート内を通る第一トンネル(伊藤博文、山県有朋)・第二トンネル(井上馨・西郷従道)・第三トンネル(松方正義・三条実美)の洞門出入口に掲げられた、明治期に活躍した政治家たちの揮毫による「扁額」や、14ある橋のうち歴史の古いものには11号橋までの番号が付けられ、その中には1904年(明治37年)に架けられた日本初のコンクリートアーチ橋「山ノ谷橋(第10号橋)」や、1903年(明治36年)7月に架けられた日本初の鉄筋コンクリート橋「日ノ岡第11号橋」などの歴史的価値の高い橋もあり、このうちます。

寺社仏閣としては人康親王のゆかりの地で、琵琶法師が琵琶を弾いていたといわれる「諸羽神社」や春は桜、秋には紅葉の名所として人気の高い「毘沙門堂」、国宝の五智如来像を所蔵する山科きっての名刹「安祥寺」、稲荷社を祀った「永興寺」や、戦国武将・加藤清正ゆかりで「水戸黄門」で知られる徳川光圀から一字を賜った「本圀寺」などが伽藍を構え、また史跡としては御陵にある「天智天皇山科陵」は濃緑の樹木に囲まれ散歩コースとしても最適です。

そして疏水に沿った遊歩道は緑豊かで野鳥が訪れることもあり、散策をするには絶好のロケーションで、とりわけ春は桜、秋は紅葉が美しいことで知られていて、大津からの「第一トンネル」の出口である山科疏水の東端や、安朱地区付近から日ノ岡地区の「第二トンネル」までの間などを中心に水路に沿って染井吉野(ソメイヨシノ)や山桜(ヤマザクラ)など約800本の桜並木が続いています。

その中でも毘沙門堂へ向かう道との交差点に架かる「安朱橋」の付近は、桜の他に遊歩道に沿って菜の花(ナノハナ)も植えられていて、ピンク色の桜と黄色い菜の花とのコントラストが美しく、写真映え・SNS映えするフォトジェニックなスポットとして近年人気を集めています。

10月から菜の花の畑を作り始め、 11月になると咲いてるコスモスを引き抜いて新しい土を入れて、12月に菜の花を植えるという形で、近隣住民および洛東高校の有志ボランティアの手で植えられ、この美しい景観が作り出されているといいます。

山科疏水(琵琶湖第一疏水)の施設案内

 

琵琶湖取水口・大津運河

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    琵琶湖築地

    琵琶湖の南岸、滋賀県大津市三保ヶ崎(浜大津の大津港付近)にある琵琶湖から第一疏水への入口
    琵琶湖疏水が開通するまでは琵琶湖を源流とする川は瀬田川のみだった
    1881年(明治14年)8月に量水標が設置され、琵琶湖の水位観測を開始した

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    新三保ケ崎橋

    県道558号に架かる

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    琵琶湖第一疏水揚水機場と第一疏水取水口

    第一疎水は三井寺のある長等山を第一トンネルで抜け京都府へと向かう

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    第二疏水取水口と洞門

    第二疏水は取水口からすぐに暗渠(地下トンネル)となる
    取水口入口に久邇宮邦彦王の揮毫による扁額「萬物資始(ばんぶつとりてはじむ)」が残る
    全てのことがこれによって始まるという意味で、出典は易経「乾為天」

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    大津運河

    滋賀県大津市における琵琶湖疏水の流れ

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    大津絵橋

    道のあちこちに大津生まれの民画「大津絵」があしらってあるほか、橋台がレンガ造なのが特徴

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    京阪石山坂本線の橋梁

    すぐ東側に京阪三井寺駅

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    北国橋

     

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    大津閘門

    1889年(明治22年)10月30日竣工(史跡)
    閘門とは高低差のある水路に船を通すために水位を調整するための門で、日本初のレンガ造りの閘門として注目を集めたという

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    びわこ疏水船 大津閘門乗下船場

     

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    鹿関橋

     

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    第一トンネル東口

    滋賀県大津市三井寺町字筒井
    伊藤博文の揮毫による扁額「気象萬千(きしょうばんせん)」が残る
    千変万化する気象と風景の変化は素晴らしいという意味
    すぐそばに三井寺(園城寺)の境内入口がある

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    第一トンネル(第一隧道)

    主任技師・田邊朔郎によって1885年(明治18年)8月~1890年(明治23年)4月の工事で完成(史跡)
    当時日本最長のトンネルで、取水口から700mほど地上を流れていた疏水は、ここから暗渠となる
    トンネルのそばを通る約4kmの「小関越え(小関峠)」に沿って第一竪坑、几号水準点、第二竪坑などの遺構が残る

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    第一竪坑

    滋賀県大津市稲葉台字小関
    工事の要となった日本初の竪抗(シャフト)方式

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    几号水準点

    滋賀県大津市藤尾奥町
    琵琶湖疏水を建設するための測量に用いられた小関峠の測量点

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    第二竪坑

    滋賀県大津市藤尾奥町字割石

山科疎水(第一トンネル出口~諸羽トンネル)

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    第一トンネル西口

    滋賀県大津市藤尾奥町字大谷
    ここから疏水は再び地上を流れる
    周辺は紅葉の名所
    山県有朋が揮毫した扁額「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」が残る
    悠久の水を称え、悠然とした疏水の広がりは、大きな人間の器量を表しているという意味

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    山科疏水

    第一トンネルを出た疏水の流れは再び開渠となり、山科盆地の北辺に沿って西へと流れていく
    第一トンネル西口から諸羽トンネル入口(四ノ宮船溜)までは散策道となっている

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    緊急遮断ゲート

    1999年(平成11年)の建造
    1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の教訓から、大地震発生による堤防決壊に備えて水流を自動で停止させる装置

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    藤尾橋(第1号橋)

    1887年(明治20年)9月建造の疏水最古の橋で、橋自体はその後建て替えられているが、赤レンガと石造りの土台は当時のまま残されている

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    測水橋

    疏水の水位や流量を量る目的で建造された橋

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    洛東用水取水口

    1892年(明治25年)に完成した山科東部地区の灌漑用水の取水口

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    柳山橋(第2号橋)

    1889年(明治22年)の建造で、現在の橋は1968年(昭和43年)に鉄筋コンクリートに改修されたもの
    明治末期に社会事業家で参議院議員も務めた西田天香によって設立された懺悔奉仕団体・一燈園の前に架かる

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    四ノ宮船溜(諸羽トンネル東口)

    諸羽山の東麓、諸羽トンネルの東側入口にある船溜
    「船溜」とは積み荷の揚げ降ろしや人の乗降などのため設けられた船の停泊所のこと
    第一疏水の大津から蹴上の間には四ノ宮・諸羽・御陵・日ノ岡・蹴上の5か所に「船溜」が設けられており、その最初の船溜で1888年(明治21年)に完成
    四ノ宮船溜は形が四角いことから「重箱ダム」の愛称がついているという
    現在はびわこ疏水船の山科乗下船場にもなっている

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    諸羽トンネル

    1970年(昭和45年)5月に完成した新しいトンネルで全長520m、扁額はなし
    建設当時の疏水は四ノ宮船溜から安朱東谷まで諸羽山を南に迂回し途中には諸羽ダムがあったが、現在のJR湖西線を通すために新たにバイパス(暗渠)化された
    流路および諸羽ダムは埋め立てられて現在は東山自然緑地公園の遊歩道と疏水公園として整備されている

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    第一疏水旧水路跡

    東山自然緑地公園の遊歩道

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    第2疏水トンネル試作物

     

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    3号橋跡

     

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    疏水公園(諸羽船溜跡)

     

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    新諸羽船溜(諸羽トンネル西口)

    諸羽山の西麓
    すぐ南に諸羽神社の境内がある

山科疎水(安朱橋~第三トンネル入口)

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    山科母子地蔵

    安朱橋やや東の疏水のほとりにある小祠
    現在のように安全施設がなかったため、過って疏水に落ちて命を失う子供が何人か出たといい、当時船頭であった善兵衛という人が子供の命を守るために地蔵を建立ることを提案
    安朱北部の住人20余名が相談し、近江舞子雄松の石を使い、名工甚助が精魂込めて疏水完成から9年後の1903年(明治36年)に完成させたといい、現在も子供たちを守護している

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    安朱橋(第4号橋)

    1889年(明治22年)に建造され、2000年(平成12年)に改修
    山科駅から北にある名刹・毘沙門堂へと続く道と疏水との交差する部分に架かる
    山科疏水の散策路は桜の名所となっているが、中でも安朱橋の周辺は菜の花が植えられていて、黄色い花とのコントラストが美しい

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    安朱西橋(安朱三角橋)(第5号橋)

     

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    安祥寺水路閣(安祥寺川交差地)

    安朱小学校および洛東高校のすぐ側で山科を北から南へと流れる安祥寺川と疏水が立体交差する部分には、安祥寺川の流れを遮らないように南禅寺の水路閣同様に水路橋が設けられている
    橋台部分に当時のレンガ造りが残る

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    洛東橋(洛東高校前疏水)

    洛東高校入口の橋
    1954年(昭和29年)に通学用に建造されたもので、比較的新しい橋であるが、第一トンネルから御陵の第三トンネル東口までの間にある14の橋の一つ

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    安祥寺橋(第6号橋)

    1889年(明治22年)の建造
    山科を代表する古刹・安祥寺の門前に架かる橋

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    安祥寺船溜

    安祥寺橋の西側が川幅が広くなっている部分で、停船場が設けられ、荷物の積み下ろしや船頭たちの休憩場所として利用されていたという

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    展望広場

    山科の玄関口である山科駅の西側に位置する疏水沿いの散策路で唯一といっていい景色の開けた場所で、ベンチも設けられ山科の街を一望できる
    ただ山科駅から向かうにはいったん北の安祥寺方面へ迂回する必要

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    妙応寺橋(第7号橋)

    1889年(明治22年)9月に建造された三角橋
    橋のすぐ南側に妙応寺という名前の寺院がある

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    天智天皇陵への分岐

     

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    天智天皇山科陵

    陵墓への参道の途中に琵琶湖疏水の遊歩道への分岐があり、散策の途中に立ち寄る人も多い

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    第8号橋

    明治中期の建造と伝わり、天地天皇陵に沿って進んだ陵墓の北側に架かる橋

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    正嫡橋

    1983年(昭和58年)の建造
    天智天皇陵の北西にある戦国武将・加藤清正ゆかりの日蓮宗寺院・本圀寺への参道入口に架かる朱色の橋

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    大岩橋(第9号橋)

    1924年(大正13年)建造の三角橋

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    山ノ谷橋(黒岩橋)(第10号橋)

    京都市山科区黒岩町、第二トンネルの入口手前に架かる
    1899年(明治22年)に封山橋として建造された後、鉄筋を古レールで代用した「第11号橋」を試作品として1904年(明治37年)に竣工(史跡)
    日本初の本格的なアーチ型鉄筋コンクリート橋

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    第二トンネル東口

    京都市山科区御陵黒岩
    井上馨の揮毫による扁額「仁以山悦智為水歓(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)」が残る
    仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ(仁者は知識を尊び、知者は水の流れをみて心の糧とする)という意味

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    第二トンネル(第二隧道)

    1887年(明治20年)12月の完成
    全長124mは第一疏水で最も短いトンネル(史跡)

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    第二トンネル西口

    京都市山科区御陵封ジ山町
    西郷従道の揮毫による扁額「隨山到水源(やまにしたがいて、すいげんにいたる)」が残る
    山に沿って行くと水源にたどりつくという意味
    すぐそばに封ジ山北児童公園

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    琵琶湖疏水煉瓦工場跡

    三条通沿いにある地下鉄御陵駅2番出口付近に石碑が建つ

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    新山科浄水場 日ノ岡取水池(日ノ岡船溜跡)

    第三トンネル東口手前にある京都市上下水道局の施設
    ここで取水した水は延長500mの導水管および延長約4kmの導水トンネルによる自然流下で、4kmほど南にある新山科浄水場まで導水しているという

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    日ノ岡第11号橋(日本最初の鉄筋コンクリート橋)

    京都市山科区日ノ岡堤谷町、第三トンネル東口の手前に架かる
    田邊朔郎の指導の下、1903年(明治36年)7月に建造(史跡)
    傍らには「本邦最初鉄筋混凝土橋」の石碑が建つ

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    第三トンネル東口

    京都市山科区御陵封ジ山町
    ドイツの鉄道トンネルがモデルともいわれている
    松方正義の揮毫による扁額「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」が残る
    時雨が過ぎると一段と鮮やかな松の緑を見ることができるという意味

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    第三トンネル(第三隧道)

    1889年(明治22年)3月の完成(史跡)
    全長850m

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    第三トンネル西口

    京都市山科区日ノ岡夷谷町
    トンネルを出るとすぐに九条山浄水場ポンプ室
    三条実美の揮毫による扁額「「美哉山河」が残る
    なんと美しい山河であることよという意味

大津・山科以外の琵琶湖疏水の関連史跡

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    九条山浄水場ポンプ室

    第二琵琶湖疏水の建設に伴って京都御所へ水を送るために1912年(明治45年)に竣工された旧御所水道ポンプ室
    レンガ造の重厚感ある建造物は迎賓館赤坂離宮や京都国立博物館などで知られる建築家・片山東熊の設計によるもの

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    びわこ疏水船 蹴上乗下船場

    1890年(明治23年)の開削後に開始された琵琶湖疏水における舟運は、現代に入ると鉄道網の発達などによってその需要は減少
    1951年(昭和26年)9月に大津から4.5tの砂が山科まで輸送されたのを最後に、その姿を消すこととなりましたが、2018年(平成30年)春に67年の歳月を経て新たに観光船「びわこ疏水船」として復活を遂げた

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    蹴上疏水公園

    インクラインに隣接する形で整備されている
    疏水工事の主任技師・田邉朔郎博士像と顕彰碑、琵琶湖疏水工事殉職者碑、山ノ内浄水場導水管などの遺構が残るほか、源義経ゆかりの義経大日如来が祀られている

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    蹴上インクライン

    蹴上と南禅寺の船溜りとを結び、約36mの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下った
    1977年(昭和52年)に当時の姿が復元され、線路や船なども残り、春は桜の名所として多くの見物客が線路内を歩きながら撮影を楽しむ姿を見ることができる

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    蹴上浄水場

    1912年(明治45年)に急速濾過式を採用して建設された日本初の浄水場
    躑躅(ツツジ)の名所で、近年は「蹴上のつつじ」としてゴールデンウィークに合わせて一般公開している

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    ねじりまんぽ

    インクラインの下を通るトンネルで、地下鉄蹴上駅のある三条通側から南禅寺方面への近道となっている
    強度を増すために渦を巻くような形で螺旋状にれんがが積まれているのが特徴的
    両側のそれぞれの入口に北垣国道の揮毫による扁額「雄観奇想(ゆうかんきそう)」「陽気発処(ようきはっするところ)」が残る

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    蹴上発電所

    インクラインの落差の有効活用法として作られた日本初の事業用水力発電所
    アメリカ視察でヒントを得たという田辺朔郎の提言により1891年(明治24年)に稼働を開始し、水力発電によって得られた電力は工業生産や鉄道などに利用され、京都の再生に多大な貢献を果たした
    1942年(昭和17年)からその管理は京都市から関西電力に移管
    入口の扁額は久邇宮邦彦の揮毫で「亮天功(てんこうをたすく)」と刻まれている
    他に「水力発電事業発祥之地」の石碑が建つ

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    琵琶湖疏水記念館

    1989年(平成元年)8月9日に竣工100周年を記念し、疏水の意義を多くの方に伝え先人の偉業を顕彰するとともに、琵琶湖疏水のすべてが分かる資料館として開設
    約23,000点もの琵琶湖疏水に関する古文書や疏水工事の設計図や絵図、工事に関係した人々の紹介などの疏水建設当時の資料や、疏水関係の書画や写真、美術品、インクラインなどのジオラマ模型、発電に用いた水車など、琵琶湖疏水の歴史を語る様々な資料を所蔵し、テーマ毎に展示する

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    岡崎疎水(十石舟)

    2003年(平成15年)3月に京都府・大阪府・滋賀県の琵琶湖・淀川流域で開催された「第3回世界水フォーラム」の記念行事として就航されたのがはじまりで、好評を博したため翌年に京都市の事業として実施
    2005年(平成17年)からは「京都府旅行業協同組合(京旅)」が「岡崎十石舟めぐり」として運営を担当、年々バージョンアップを図り、京都の春の風物詩として定着している
    鴨東運河(岡崎疏水)の両岸は約400本のソメイヨシノの桜の木が植えられる桜の名所で、南禅寺船溜から平安神宮大鳥居前を通り、夷川船溜までの約1.5kmの流路を往復3km、約25分かけて運航する

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    夷川発電所(夷川ダム)

    1890年(明治23年)に琵琶湖疎水の第一疏水が竣工し、翌年に水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設されて以来、年々増加する電力需要に対応するため
    「第二疏水」が作られることとなり、1912年(明治45年)に竣工、これらの計画の一環として下流の伏見発電所(墨染発電所)とともに新設された
    3.4mというわずかな落差で発電できる街中にある日本最小の発電所で現在も関西電力の発電所として機能
    対岸の中島には琵琶湖疏水事業に尽力し京都の再生を推進させた第3代京都府知事・北垣国道の銅像が建つ
    隣接する夷川船溜(夷川ダム)は「岡崎疏水十石船」の折り返し地点となっている

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    南禅寺水路閣

    1888年(明治21年)8月30日の完成
    分線の遺構として都の北部へと通じる用水路で、その水を通すために南禅寺の境内につくられた送水橋
    疏水は南禅寺境内に設けられたこの水路橋上を通過し北へと流れていく
    全長93.2m、高さ9mの風格ある建物で、レンガ造りのレトロな雰囲気は南禅寺の歴史的な景観にもしっかりと溶け込んでいる

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    哲学の道

    若王子橋から銀閣寺橋まで琵琶湖疏水分線に沿って約2km続く散策路
    哲学者・西田幾多郎や文化人がこよなく愛し瞑想にふけったと伝わり、現在も多くの市民や観光客の憩いの場となっている
    桜の名所であるほか、蛍も生息

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    伏見インクライン跡(墨染発電所)

    伏見の舟運を支えた傾斜鉄道(ケーブルカー)
    鴨川運河と濠川とは高低差があったため、両川を連結するため落差15mのインクライン(傾斜鉄道)が造られることとなり、1895年(明治28年)に完成
    鴨川を南下した船は伏見堀詰町で伏見城の外堀である濠川とつながれるることとなった
    船運の利用の減少とともに1943年(昭和18年)8月にインクラインは運行中止となり、1959年年(昭和34年)に国道24号線改築のために廃止され、現在インクライン跡には国道24号が通る
    蹴上は形態保存されたのに対し、1960年(昭和35年)にレールも撤去されて跡形もなくなっているが、濠川側から鴨川運河方面の坂を見上げると落差を感じることができる
    一方でインクラインの建設に伴い疎水と濠川の落差を利用した発電を目的に墨染発電所が建設され、1912年(明治45年)5月に起工、1914年(大正3年)5月に運転開始

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