琵琶湖疏水記念館

琵琶湖疏水記念館

琵琶湖疏水を開通させた先人たちの偉業を今に伝える

琵琶湖から京都までを結んだ琵琶湖疏水の豊富な水は水力発電に利用され、西陣織など紡績工業の発展や日本初の路面電車開通など明治維新後低迷していた京都の復興に大きく貢献した。 その竣工100周年を記念し1989年に開館。当時の図面や工事を描いた絵画・模型などを展示する

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琵琶湖疏水記念館とは?(基本データ)

名前
琵琶湖疏水記念館(びわこそすいきねんかん)
エリア
岡崎・吉田・鹿ケ谷
ジャンル

博物館・美術館・資料館 琵琶湖疏水

建立・設立
1989年(平成元年)8月9日
琵琶湖疏水は1885年(明治18年)着工、1890年(明治23年)完成
創始者
田辺朔郎(工事主任)
第3代京都府知事・北垣国道(琵琶湖疏水施工を発意)
管理・運営
京都市上下水道局
アクセス
駐車場
なし
※近隣に京都市国際交流会館駐車場(有料)
入場料
無料
お休み
毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)
年末年始(12/29~1/3)
拝観時間
9:00~17:00(受付16:30まで)
※ドラム工場の見学時間は16:00まで
住所
〒606-8437
京都府京都市左京区南禅寺草川町17
電話
075-752-2530
FAX
075-752-2532
公式サイト
琵琶湖疏水記念館
京都市上下水道局マスコットキャラクター ホタルの澄都(すみと)くん&ひかりちゃん Twitter
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日本遺産 琵琶湖疏水
VRで見せる琵琶湖疏水
びわ湖疏水船
琵琶湖疏水のご紹介 京都市上下水道局

琵琶湖疏水記念館の地図

琵琶湖疏水記念館のみどころ (Point in Check)

「琵琶湖疏水」とは?

「琵琶湖疏水(びわこそすい)」は琵琶湖の水を京都市へ流すため明治初期に作られた全長11.1kmの水路。

滋賀県大津市からトンネルや水路を開削して京都市まで水を引くという一大プロジェクトで、京都への飲料水の供給や水運、水力による発電、灌漑を目的として計画され、1890年(明治23年)に完成した第1疏水と、1912年(大正2年)に完成した第2疏水を総称したものを指します。

滋賀県大津市三保ヶ崎の琵琶湖取水点から長等山をトンネルで抜け、山科北部の山麓をめぐり(山科疏水)、蹴上に出ると約36mの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下り、蹴上の南禅寺船溜から西へと流れて平安神宮の南を通り(岡崎疏水)、夷川ダム、夷川発電所を経て鴨川へと出ます。

そして鴨川合流点から下流は鴨川沿いに南下していき、深草を経て伏見で濠川につながり、そのまま宇治川に放流されます。

このうち南禅寺船溜から鴨川合流点までを「鴨東運河」と呼び1890年(明治23年)に完成、それより下流は「鴨川運河」と呼ばれ1894年(明治27年)に完成しています。

この主流以外にも蹴上を分岐点とする「疏水分線」があり、南禅寺水路閣から北へ、哲学の道沿いに若王子から銀閣寺道まで流れた後、そこから西に転じて、松ヶ崎(松ヶ崎疏水)、吉田山の東北を経て、最後は堀川へと合流します。

「禁門の変」で京都市内の大半が焼け、また明治初期に東京に都が移り衰退しかかった京都の復興を図るため、第3代京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち 1836-1916)が琵琶湖の豊かな水源に着目し計画。

主任技師として選任されたのは工部大学校(現在の東京大学)を卒業したばかりの青年技師・田辺朔郎(たなべさくろう 1861-1944)で、 卒業論文「琵琶湖疎水工事の計画」で世界的に脚光を浴び、わずか21歳で工事責任者として抜擢され、後に近代日本の土木工学の祖といわれる存在となった人物です。

建設には当時の金額で約125万円、京都府の年間予算の約2倍という膨大な費用が投じられ、まず現在「第一疏水」と呼ばれている部分が1885年(明治18年)の着工の後、1894年(明治27年)に完成。

琵琶湖疏水工事は当時の日本における重大な建築工事は全て外国人技師の設計・監督に委ねていた時代にあって、全て日本人の手によって行った我が国最初の大土木事業であったといいます。

用いられた資材はレンガ約1400万個、木材300万才(300万立法尺)、セメント3万樽、ダイナマイト類7000貫目に及んだと記録されていて、このうちレンガはすべて国産のもので、京都府が疎水建設のための煉瓦製造工場を建設し供給されたといい、工場跡であることを示す石碑が地下鉄御陵駅の出入口付近に建てられています。

この琵琶湖疏水の主な目的は大阪湾と琵琶湖間の通船や水車を動力とした紡績業、そして潅漑用水や防火用水などでしたが、水力発電の有利性も注目されるようになり、1889年(明治22年)に日本初の水力発電所として「蹴上発電所」が建設され、1891年(明治24年)に送電を開始すると、この電力を用いて1895年(明治28年)には京都~伏見間で日本初となる電気鉄道「京都電気鉄道(京電)」の運転も始められ、京都の近代化と文明の発展に大いに貢献することとなります。

更に水力発電の増強と水道用水確保のため、第一疏水の開通から20年後の明治後期から大正初期にかけて「第二疏水」も整備されることとなり、1908年(明治41年)に工事がはじまり、1912年(大正2年)に完成していますが、流路はほぼトンネル(暗渠)となっているため、流れを実際に目にすることはないといいます。

琵琶湖疏水が開通し、水力発電が採用されたことで、新しい工場が生まれ、路面電車も走り出し、京都は再び活力を取り戻すとともに、今日の京都のまちづくりの基礎が出来上がったといえます。

琵琶湖疏水は今日においても京都に琵琶湖の水を供給し続け、科学技術等の発達によってその役割は減ったものの、蹴上浄水場へ供給する上水道の水源とという重要なインフラとしての役割を担い続けていますが、これとは別に建設から100年以上が経過し、その歴史的価値に着目し新たな観光資源としての役割も担うようになっています。

明治における日本の土木技術の水準の高さを示す画期的な事業であり、第1~第3トンネルの各出入口、第一・第二竪坑、日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡11号橋)やコンクリートアーチ橋(山ノ谷10号橋)、そして蹴上インクラインと南禅寺水路閣の計12か所が1996年(平成8年)に「国の史跡」に指定。
2020年(令和元年)には「京都と大津を繋ぐ 希望の水路 琵琶湖疏水」として文化庁選定の「日本遺産」にも認定されています。

また1989年(平成元年)8月9日には竣工100周年を記念し、疏水の意義を1人でも多くの方に伝え先人の偉業を顕彰するとともに、将来に向かって発展する京都の活力の源となることを願って、琵琶湖疏水のすべてが分かる資料館として「琵琶湖疏水記念館」も開館されました。

そしてその遺構はレンガ造りのレトロな雰囲気の近代建築であるものが多く、南禅寺の「水路閣」や「哲学の道」など新たな景勝地も誕生しているほか、近年は「蹴上インクライン」や「山科疏水」なども桜の名所として有名なスポットとなっています。

また2003年(平成15年)3月に京都府・大阪府・滋賀県の琵琶湖・淀川流域で開催された「第3回世界水フォーラム」の記念行事として開催されたのをきっかけとして始められ、近年は春の風物詩としてすっかり定着した岡崎疏水での「岡崎さくら・わかば回廊 十石舟めぐり」や、一時期は休止していた琵琶湖疏水の船運事業を2018年(平成30年)春に67年の歳月を経て新たに観光船として復活させた「びわこ疏水船」など、琵琶湖疏水を船で巡る乗船体験も楽しめるようになっています。

「琵琶湖疏水記念館」について

「琵琶湖疏水記念館」は京都市左京区南禅寺草川町、地下鉄蹴上駅の北側、琵琶湖疏水が蹴上にて流れ込む南禅寺船溜の畔にある琵琶湖疏水のすべてが分かる資料館。

1989年(平成元年)8月9日、琵琶湖と京都を結ぶ運河「琵琶湖疏水」の竣工100周年を記念し、疏水の意義を1人でも多くの方に伝え先人の偉業を顕彰するとともに、将来に向かって発展する京都の活力の源となることを願って、市民の協力の下に京都市によって開設。
所蔵資料は琵琶湖疏水とともに2007年(平成19年)11月に近代化産業遺産に認定されています。

その後、開設20周年にあたる2009年(平成21年)10月30日には一時休館し、新しい展示も数多く交えながらリニューアル・オープンしました。

2015年(平成27年)の年間来場者数は約12万人で、現在も京都を中心とした関西の小中学生や修学旅行生を中心に、土木建築を学ぶ大学生や留学生、国内外からの観光客など、幅広い方が年間8万5千人ほど来館するといいます。

約23,000点もの琵琶湖疏水に関する古文書や疏水工事の設計図や絵図、工事に関係した人々の紹介などの疏水建設当時の資料や、疏水関係の書画や写真、美術品、インクラインなどのジオラマ模型、発電に用いた水車など、琵琶湖疏水の歴史を語る様々な資料を所蔵。

延べ床面積は約921平方メートル、地上2階地下1階建の鉄筋コンクリート造の建物にある展示室は地階と1階、そして2階に分かれていて、地階と1階は明治期、大正・昭和期、そして現代と時代ごとに3つの展示室を設置し、当時の資料や模型の展示、ビデオライブラリーによる解説などを用いて常設展示を行い、2階では定期的に内容を変更して特別展示が行われているといいます。

そして常設展示のうち「第1展示室」は明治期における琵琶湖疏水の計画と建設をテーマに、計画と建設の過程を示す資料として、建設の中心となった京都府知事・北垣国道をはじめ、測量技師・島田道生、土木技師・田邉朔郎に関する資料や、工事の様子を書き残した絵画などが展示されていて、当時の過酷なトンネル工事の様子も知ることができます。

また「第2展示室」は大正・昭和期における琵琶湖疏水が果たした役割をテーマに、琵琶湖疏水がもたらした電気事業・運河事業・水力事業に関する展示を見学し、疏水が京都の発展に大きく貢献したことを知ることができます。
なかでも蹴上インクラインの大型模型は必見で、蹴上インクライン上を舟を載せた台車が行き来していた様子がリアルに再現されています。

最後に「第3展示室」は京都市三大事業の実施・京都市水道事業の展開(現在とこれから)をテーマに、現在の京都の基盤を形成した三大事業や水道事業が紹介されており、大正初期の蹴上周辺を一望できる大型復元ジオラマ模型も設置され、疏水の流れが一目で解るよう光でたどることができ、見学に訪れた小学生などにも人気だといいます。

この他にテラスでは岡崎疏水を望む美しい景色が広がり、疏水の高低差による水圧を利用した大きな噴水を間近で見ることができるほか、外部展示として第一期蹴上発電所で水力発電に使われた水車と発電機、「ペルトン式水車」と「スタンレー式発電機」の展示や、京都市動物園の地下にあたる場所に当時そのままに遺構として残る「ドラム工場」と呼ばれるインクラインの操車場とその設備の一部を見学することができ、琵琶湖疏水を肌で感じることができるようになっています。

屋外に休憩用のいすなども設置されており、休日などには京都の浄水をPRするためのイベントなども定期的に行われているといいます。

琵琶湖疏水記念館の施設案内

 

屋外

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    建物外観

     

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    自販機

    5年間の保存が可能な災害用備蓄飲料水「京のかがやき 疎水物語」を販売

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    入場口

     

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    南禅寺船溜と琵琶湖疏水噴水

     

2F

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    ホール

     

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    2階廊下西側展示(琵琶湖疏水の現在)

     

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    2階廊下東側展示(記念碑・扁額)

     

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    AVホール

     

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    図書閲覧室

     

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    資料閲覧室

     

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    資料収蔵庫

     

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    眺望

    ガラス越しに疏水噴水や岡崎疏水の素晴らしい眺望を楽しめる

1F

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    出入口

     

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    受付

     

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    エントランス

    琵琶湖疏水トンネルのアーチと水面の揺らぎをイメージした演出照明のほか、疏水沿線の名所を紹介するパネルを設置

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    ガイダンスシアター

    琵琶湖疏水建設にまつわる人々の情熱や苦難に満ちた歴史を分かりやすく映像化
    沿線の美しい風景とともに観覧できる

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    第1展示室 明治時代

    琵琶湖疏水の計画と建設(疎水の計画・疎水の難工事)
    疎水工事の設計図や田村宗立画伯の描いた疎水工事絵画を中心に疎水の計画から竣工までを展示
    琵琶湖疏水がどのように計画、建設されたかについて紹介するほか、精密な測量図面など貴重な資料を展示
    ビデオでは明治初期の京都の諸情勢や、疎水工事に関係する人々を紹介

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    屋外テラス

    中庭を望む

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    トイレ

     

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    エレベータ

     

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    階段

     

地下1F・1F屋外

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    ホール

     

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    第2展示室 大正・昭和時代

    琵琶湖疏水が果たした役割(電車・インクライン・水力発電)
    京都の人びとが琵琶湖疏水を使ってどのように街を発展させたのかを紹介
    1915年(大正4年)頃の岡崎周辺の様子を再現した模型の展示や、琵琶湖疏水の計画を実現するために尽力した人物たちの紹介

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    第3展示室 今そして未来へ

    京都市三大事業の実施、京都市水道事業の展開(三大事業・第二疎水・水道・道路・現況)

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    トイレ

     

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    出口

    屋外へ

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    中庭

    地下1階の屋外
    琵琶湖疏水を活用した水力発電に使われた水車や発電機などを展示
    中庭からはインクラインや正面に流れる疎水の景観が楽しめる

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    ペルトン式水車

     

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    スタンレー式発電機

     

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    第四トンネル南口洞門の笠石

     

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    御所水道45°鉄管

     

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    琵琶湖疏水工事の測量に使われた石点

     

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    水道管

     

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    琵琶湖疏水竣工百年記念碑

     

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    大津閘門の浮き木と大津閘門の木

     

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    蹴上インクラインドラム工場

    蹴上インクラインを操作していたドラム工場も間近で観賞できる

周辺

琵琶湖疏水の遺構

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    山科疏水

    琵琶湖疏水の流路のうち、山科区の四ノ宮から日ノ岡までの約4.2kmを通る部分の通称で、一帯は四季折々に楽しめる豊かな自然環境が多く残るほか、多くの史跡や寺社仏閣、それに第1~3トンネル洞門にかかる明治の政治家たちの扁額や11号まで番号の付けられた橋など琵琶湖疏水に関する遺構なども残されている
    疏水に沿って散策路も整備され、春は桜の名所としても知られ、とりわけ毘沙門堂へ向かう安朱橋に架かるの桜と菜の花の景観は有名

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    九条山浄水場ポンプ室

    第二琵琶湖疏水の建設に伴って京都御所へ水を送るために1912年(明治45年)に竣工された旧御所水道ポンプ室
    レンガ造の重厚感ある建造物は迎賓館赤坂離宮や京都国立博物館などで知られる建築家・片山東熊の設計によるもの

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    びわこ疏水船 蹴上乗下船場

    1890年(明治23年)の開削後に開始された琵琶湖疏水における舟運は、現代に入ると鉄道網の発達などによってその需要は減少
    1951年(昭和26年)9月に大津から4.5tの砂が山科まで輸送されたのを最後に、その姿を消すこととなりましたが、2018年(平成30年)春に67年の歳月を経て新たに観光船「びわこ疏水船」として復活を遂げた

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    蹴上疏水公園

    インクラインに隣接する形で整備されている
    疏水工事の主任技師・田邉朔郎博士像と顕彰碑、琵琶湖疏水工事殉職者碑、山ノ内浄水場導水管などの遺構が残るほか、源義経ゆかりの義経大日如来が祀られている

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    蹴上インクライン

    蹴上と南禅寺の船溜りとを結び、約36mの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下った
    1977年(昭和52年)に当時の姿が復元され、線路や船なども残り、春は桜の名所として多くの見物客が線路内を歩きながら撮影を楽しむ姿を見ることができる

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    蹴上浄水場

    1912年(明治45年)に急速濾過式を採用して建設された日本初の浄水場
    躑躅(ツツジ)の名所で、近年は「蹴上のつつじ」としてゴールデンウィークに合わせて一般公開している

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    ねじりまんぽ

    インクラインの下を通るトンネルで、地下鉄蹴上駅のある三条通側から南禅寺方面への近道となっている
    強度を増すために渦を巻くような形で螺旋状にれんがが積まれているのが特徴的
    両側のそれぞれの入口に北垣国道の揮毫による扁額「雄観奇想(ゆうかんきそう)」「陽気発処(ようきはっするところ)」が残る

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    蹴上発電所

    インクラインの落差の有効活用法として作られた日本初の事業用水力発電所
    アメリカ視察でヒントを得たという田辺朔郎の提言により1891年(明治24年)に稼働を開始し、水力発電によって得られた電力は工業生産や鉄道などに利用され、京都の再生に多大な貢献を果たした
    1942年(昭和17年)からその管理は京都市から関西電力に移管
    入口の扁額は久邇宮邦彦の揮毫で「亮天功(てんこうをたすく)」と刻まれている
    他に「水力発電事業発祥之地」の石碑が建つ

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    岡崎疎水(十石舟)

    2003年(平成15年)3月に京都府・大阪府・滋賀県の琵琶湖・淀川流域で開催された「第3回世界水フォーラム」の記念行事として就航されたのがはじまりで、好評を博したため翌年に京都市の事業として実施
    2005年(平成17年)からは「京都府旅行業協同組合(京旅)」が「岡崎十石舟めぐり」として運営を担当、年々バージョンアップを図り、京都の春の風物詩として定着している
    鴨東運河(岡崎疏水)の両岸は約400本のソメイヨシノの桜の木が植えられる桜の名所で、南禅寺船溜から平安神宮大鳥居前を通り、夷川船溜までの約1.5kmの流路を往復3km、約25分かけて運航する

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    無鄰菴

    元々は明治の元勲・山県有朋の別邸で、後に京都市に寄贈されたもの
    琵琶湖疏水が開通するとその豊富な水資源を使った池泉式の庭園を持つ別荘が南禅寺界隈に次々に建てられた
    個人や企業が保有し非公開の庭園が多い中、常時公開されている
    日露戦争開戦前夜の無鄰菴会議が行われた洋館があるほか、庭園は7代目小川治兵衛の作

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    夷川発電所(夷川ダム)

    1890年(明治23年)に琵琶湖疎水の第一疏水が竣工し、翌年に水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設されて以来、年々増加する電力需要に対応するため
    「第二疏水」が作られることとなり、1912年(明治45年)に竣工、これらの計画の一環として下流の伏見発電所(墨染発電所)とともに新設された
    3.4mというわずかな落差で発電できる街中にある日本最小の発電所で現在も関西電力の発電所として機能
    対岸の中島には琵琶湖疏水事業に尽力し京都の再生を推進させた第3代京都府知事・北垣国道の銅像が建つ
    隣接する夷川船溜(夷川ダム)は「岡崎疏水十石船」の折り返し地点となっている

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    南禅寺水路閣

    1888年(明治21年)8月30日の完成
    分線の遺構として都の北部へと通じる用水路で、その水を通すために南禅寺の境内につくられた送水橋
    疏水は南禅寺境内に設けられたこの水路橋上を通過し北へと流れていく
    全長93.2m、高さ9mの風格ある建物で、レンガ造りのレトロな雰囲気は南禅寺の歴史的な景観にもしっかりと溶け込んでいる

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    哲学の道

    若王子橋から銀閣寺橋まで琵琶湖疏水分線に沿って約2km続く散策路
    哲学者・西田幾多郎や文化人がこよなく愛し瞑想にふけったと伝わり、現在も多くの市民や観光客の憩いの場となっている
    桜の名所であるほか、蛍も生息

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    伏見インクライン跡(墨染発電所)

    伏見の舟運を支えた傾斜鉄道(ケーブルカー)
    鴨川運河と濠川とは高低差があったため、両川を連結するため落差15mのインクライン(傾斜鉄道)が造られることとなり、1895年(明治28年)に完成
    鴨川を南下した船は伏見堀詰町で伏見城の外堀である濠川とつながれるることとなった
    船運の利用の減少とともに1943年(昭和18年)8月にインクラインは運行中止となり、1959年年(昭和34年)に国道24号線改築のために廃止され、現在インクライン跡には国道24号が通る
    蹴上は形態保存されたのに対し、1960年(昭和35年)にレールも撤去されて跡形もなくなっているが、濠川側から鴨川運河方面の坂を見上げると落差を感じることができる
    一方でインクラインの建設に伴い疎水と濠川の落差を利用した発電を目的に墨染発電所が建設され、1912年(明治45年)5月に起工、1914年(大正3年)5月に運転開始

関連

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    疎水弁財天

    京料理 六盛前

琵琶湖疏水記念館の主な年間行事・カレンダー

年中行事

 

 

 

月並行事

 

 

 

花ごよみ

 

桜(サクラ)

 

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