京都府京都市東山区東小物座町、京都市内を西から東へとまっすぐ進んできた三条通(東海道)が京都盆地の東端に突き当たり、山科へ向けて向きを南東に変える直前、仁王門通と交差する「蹴上」交差点付近の地下にある、京都市営地下鉄東西線の駅。
元々当地には三条大橋西詰にある現在の京阪三条駅から三条通を東へ進み、山科を経て滋賀県の大津方面へと向かう京阪電気鉄道(京阪)京津線の駅である「蹴上駅」がありました。
1912年(大正元年)8月15日に京津電気軌道の京津線の開業と同時に「蹴上駅」として設置されたのがはじまりで、その後1925年(大正14年)2月に京津電気軌道が京阪電気鉄道(京阪)と合併し、京阪の京津線となった後、1943年(昭和18年)10月に戦時中の企業統合政策によって、京阪電気鉄道が阪神急行電鉄(現在の阪急)と合併すると同社の京津線となりますが、戦後の1949年(昭和24年)12月に京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道が再び分離独立すると、再び京阪の京津線となります。
その後、1997年(平成9年)10月12日に京都市営地下鉄東西線の醍醐駅~二条駅間の開通と同時に地下鉄東西線の「蹴上駅」が開業すると、京阪京津線の京津三条駅~御陵駅間が廃止されたのに伴って京阪の「蹴上駅」も廃駅となり、以後は地下鉄東西線の「蹴上駅」がその代替駅となり現在に至っています。
また第二次世界大戦までは、やや離れた仁王門通上に京都市電蹴上線の「蹴上駅」もありました。
こちらは1895年(明治28年)4月1日に第4回内国勧業博覧会会場となった岡崎公園へのアクセスとして京都電気鉄道により木屋町二条~岡崎円勝寺町~南禅寺間が鴨東線として開業した後、1907年(明治40年)8月8日に南禅寺~蹴上間の延伸に伴って開業され、1918年(大正7年)7月に京都市が買収すると東山仁王門と蹴上の間を結ぶ京都市電の軌道路線として運行されたといいますが、1945年(昭和20年)2月に戦争の激化によって休止された後、1965年(昭和40年)に全線が廃止されています。
1面2線の複線島式ホームで、プラットホームは地下4層に設けられており、地上との出入口はレンガ調のタイル仕立てとなっていますが、これは蹴上の地が琵琶湖の湖水を京都市へと引き入れるために明治初期に作られ京都の近代化に大きく貢献し現在は国の史跡となている「琵琶湖疎水」が京都盆地に入るにあたり大きな役割を果たした場所であったことに大いに関連していると考えられます。
駅の周辺にはその琵琶湖疏水による舟運ルートの一区間をなす傾斜鉄道で近年は桜の名所として知られる「蹴上げインクライン」や、螺旋状にレンガを積んで造られた「ねじりまんぽ」と呼ばれるトンネル、日本最初の水力発電所である関西電力蹴上発電所などの関連史跡のほかに疎水の歴史を学ことができる「琵琶湖疏水記念館」など琵琶湖疎水に関連したスポットが数多くあるほか、近年躑躅(ツツジ)の名所として5月のGWに多くの見物客が訪れる京都市上下水道局の蹴上浄水場にも隣接しています。
またその他にも京都五山でも別格の地位にある南禅寺や紅葉で有名な永観堂(禅林寺)、京のお伊勢さんとして知られる日向大神宮といった寺社仏閣や哲学の道などの観光スポット、そして豊富な琵琶湖疎水の水を利用して作られた無鄰庵などの南禅寺界隈の別荘群などへのアクセスにも便利な駅となっています。