「虎の子渡し」の石庭が外国人にも人気の世界遺産
枯山水の石庭で有名な臨済宗妙心寺派の寺。応仁の乱の東軍総大将の細川勝元の創建。
有名な石庭は白砂に15個の石を配置し「虎の子渡し」と呼ばれる。
豊臣秀吉が賞讃した日本最古の侘助椿や水戸黄門で知られる徳川光圀の「吾唯足知」の知足のつくばいも残る
龍安寺のみどころ (Point in Check)
京都市右京区龍安寺御陵下町にある臨済宗妙心寺派の禅宗寺院で、外国人観光客からの人気も高い枯山水の「石庭」で知られる世界遺産です。
室町後期の1450年(宝徳2年)にに応仁の乱の東軍総大将でもあった細川勝元が、平安時代の貴族・徳大寺家の別荘を譲り受けて創建しました。
臨済宗を代表する妙心寺派に属する妙心寺七刹の一つで、妙心寺の山内塔頭と同等の扱いを受けています。
枯山水の「石庭」として有名な方丈庭園は幅22m、奥行き10m、一面に敷かれた白砂の上に大小15個の石が絶妙のバランスをもって配されており、日本独特の美意識である佗び寂びといった禅の精神が如何なく発揮された名庭として国の史跡・特別名勝にも指定されています。
この「石庭」の人気の火付け役となったのはイギリスのエリザベス女王で、1975年(昭和50年)に日本を公式訪問した際に龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛したことが海外のマスコミで報道されたことがきっかけなのだとか。
その後世界的にも知られるようになり、1994年(平成6年)12月には「古都京都の文化財」としてユネスコの「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産にも登録。
また近年は世界各地での日本の禅(ZEN)ブームとも相まって外国人観光客からの人気が非常に高く、京都を代表する観光地の一つとなっています。
石庭があまりに有名ですが、南側には境内の約半分を占める「鏡容池」を中心にした回遊式庭園があり、四季折々の花々が楽しめるのがもう一つの魅力。
中でも5月~7月に見頃を迎える睡蓮や、境内の随所に見られる楓の木の紅葉は一見の価値があります。
また桜の名所としても知られており、有名な枯山水の石庭の枝垂桜と染井吉野のほか、鏡容池から庫裏へと向かう参道付近にある八重紅枝垂桜や境内西にある桜苑でも枝垂桜や八重桜が楽しめます。
その他にも方丈東庭の龍安寺垣の横に植えられた秀吉が賞賛したと伝わる「侘助椿」や、その東庭を隔てた東北隅の茶室「蔵六庵」の前に置かれた徳川光圀の寄進と伝わる「蹲踞(つくばい)」なども有名。
水戸黄門でおなじみの光圀の蹲踞は中心の「口」の字を共用し「吾唯知足(われただたるをしる)」と読ませ、禅の格言を謎解き風に図案化したものとして有名です。
室町幕府の管領・細川勝元が細川家の菩提寺として創建
細川勝元による創建
龍安寺のある衣笠山の山麓一帯には、983年(天元6年)に建立された円融天皇(959-991)の勅願寺・円融寺の境内がありましたが、寺は天皇の崩御後に徐々に衰退していきます。
平安末期には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能(藤原実能)(とくだいじさねよし 1096-1157)の領有するところとなり、同地に山荘が建立されます。
敷地内に寺を建て「徳大寺」と称し以後「徳大寺」を姓としたといいます。
その後室町時代の1450年(宝徳2年)、徳大寺家の山荘を室町幕府の管領・守護大名で、のちに応仁の乱の東軍総大将となる細川勝元(ほそかわかつもと 1430-73)が譲り受け寺地とし創建。
妙心寺5世・義天玄承(玄詔)(ぎてんげんしょう 1393-1462)を開山に迎えますが、義天玄承は師の日峰宗舜(にっぽうそうしゅん 1368-1448)を開山に勧請し、自らは創建開山となりました。
ちなみに「龍安寺」の寺名の由来は、中国北宋の龍安山兜率寺(とそつじ)の従悦禅師(じゅうえつぜんじ)が、のちに宰相となった張商英(ちょうしょうえい)の参禅を指導した事にちなんで名付けられたといわれています。
創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、600mほど南の京福電鉄の線路の辺りまでが境内だったといいます。
応仁の乱による焼失と再建
しかし勝元率いる東軍と守護大名・山名持豊(宗全)率いる西軍とが戦った「応仁の乱(1467-77年)」により伽藍を焼失。この頃一度洛中に移転したといいますが、ほどなく旧地に再建されました。
1488年(長享2年)、勝元の実子・細川政元(ほそかわまさもと 1466-1507)の庇護の下で4世住持・特芳禅傑(とくほうぜんけつ 1419-1506)が再興に着手(このため特芳を中興開山と称している)し、1499年(明応8年)には方丈が建立され、この際に有名な石庭が築造されたと伝わります。
その後細川家の菩提寺として織田信長、豊臣秀吉、徳川家などから寺領を付与され、江戸時代の1797年(寛政9年)に京都奉行所へ提出された古地図によれば当時23か寺の塔頭を有するまでになったといいます。
しかし同年の火災で方丈、開山堂、仏殿など主要伽藍を焼失。現在の方丈(本堂)は寛政年間(1789-1801)に江戸初期の1606(慶長2年)に信長の弟・織田信包によって建立された塔頭・西源院の方丈を移築したものです。
エリザベス女王の公式訪問で一躍世界的に有名に
近代に入り明治初期の廃仏毀釈によって一時衰退しますが、戦後の1975年(昭和50年)、イギリスのエリザベス女王が日本を公式訪問した際に龍安寺の石庭を拝観し絶賛したことが海外のマスコミでも報道され、それをきっかけに世界的に有名に。
その後1994年(平成6年)の世界遺産登録や、近年の世界各地における禅ブームと相まって外国人観光客からの人気はますます高まり、現在では京都を代表する観光地の一つとなっています。
禅の精神が体現され外国人観光客にも大人気、枯山水の「方丈庭園」
龍安寺の名前を有名にしているのは、何といっても方丈南側にある枯山水庭園として名高い石庭「方丈庭園」です。
勝元の実子・細川政元の庇護の下で4世住持・特芳禅傑により寺が再興され際、1499年(明応8年)に方丈が建立されますが、この時に庭園も一緒に築造されたといわれています。
禅文化が盛んだった当時の時代背景を色濃く残す簡素な造りの名園で、三方を油土塀で囲まれた東西25m、南北10m余の長方形(約75坪)の白砂の庭には大小15個の石組が巧みに配されています。
5・2・3・2・3に配置されているという15の石は、どの位置からもすべてを一度に見ることができないという話は有名です。
また虎が子供を連れているように見えることから別名「虎の子渡しの庭」とも呼ばれていますが、石庭の作者や、作庭の意図などは定かではないため、様々な憶測を呼んでいます(石庭4つの謎)。
この点作庭の意図については禅の精神や「心」の字の配石など諸説がありますが、この庭の解釈をめぐる神秘的な謎こそが人々を引きつけてやまない理由ともいえ、「抽象造形の極致」と評されています。
1924年(大正13年)には国の史跡・名勝に指定され、更に1954年(昭和29年)には国の特別名勝に指定されています。
1975年(昭和50年)、イギリスのエリザベス女王がに来日すると、女王は龍安寺を訪れ石庭を絶賛しました。
そしてそのニュースをBBC(英国放送協会)が大々的に取り上げたことで、龍安寺の石庭は「Rock Garden(ロック・ガーデン)」として世界中にその名前が知れ渡ることになります。
1994年には世界文化遺産にも指定され、近年の世界各地における禅(ZEN)ブームとも相まって外国人観光客からの人気はますます高くなっています。
四季折々の花を楽しめる「鏡容池」
龍安寺といえば枯山水の石庭が有名ですが、境内の南側の大部分を占めるのが2500坪(約8300平方メートル)の広大な面積を誇る鏡容池(きょうようち)で、その周囲は回遊式庭園になっており四季折々の花が楽しめます。
ちなみに江戸時代1780年(安永9年)の絵入りの名所案内書「都名所図会」においては、龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として紹介されており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名であったことが分かるといいます。
1955年(昭和30年)には鏡容池を含む龍安寺庭園が国の名勝にも指定されており、春は桜や雪柳、初夏の杜若や睡蓮、そして夏の蓮、秋には紅葉も見事で、境内を紅く染め上げます。
また鏡容池に浮かぶ二つの島のうち、弁天島には大弁財尊天が祀られ、もう一つの島には大阪の陣で活躍した戦国武将・真田幸村(信繁)の墓があります。
春は桜の名所としても有名
龍安寺は桜の名所としても知られており、主に枯山水の石庭、庫裡へと向かう参道の途中、鏡容池に沿った参道付近、そして境内西にある桜苑の4つのエリアで桜を楽しむことができます。
有名な方丈南側の枯山水の石庭には南側の油土塀越しに紅枝垂桜と染井吉野があり、濃淡の異なる2つの桜が重なるように咲き誇る様子は息を飲む美しさです。
鏡容池の北側から石庭の拝観入口となっている庫裏に向かう参道の途中には背の高い紅枝垂桜があり桜のシャワーが堪能できます。
また境内の西側にある回遊庭園の「桜苑」も見どころの一つで、背の高い枝垂桜や八重桜が参道を覆い尽くすように花を咲かせます。
鏡容池を中心に境内の各所で紅葉が楽しめる
龍安寺の境内には楓400本や桜400本など、紅葉する木が多くあり、境内の各所で紅葉を楽しむことができます。
まず有名な方丈の枯山水の石庭でも油土塀越しに紅葉が見られ、白砂の石庭に彩りを添えてくれます。
他にも紅葉の映える鏡容池では赤や黄色の紅葉が水面に反射して実に美しく、また池の北側から庫裏へと続く石段は楓の木で覆われ息を飲む美しさの紅葉のトンネルが続きます。
豊臣秀吉が絶賛したといわれる日本最古の「侘助椿」
有名な枯山水の石庭のある方丈の東庭の横には、加藤清正が朝鮮から持ち帰り豊臣秀吉に献上し絶賛されたといわれる日本最古の「侘助椿(わびすけつばき)」があります。
桃山時代に「侘助」という人物が外国から持ち帰ったのでこの名がついたといわれており、かの有名な茶人・千利休も眺めたとして有名です。
樹齢400年とも言われ、2月上~3月末にかけて赤と白が混じった上品で小さな花を咲かせます。
水戸黄門でおなじみ、徳川光圀寄進の「吾唯足知」の蹲踞(つくばい)
「蹲踞(つくばい)」とは茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢のことで、龍安寺には有名な枯山水の石庭のある方丈の北東角、蔵六庵と呼ばれる茶室の前に「知足の蹲踞」と呼ばれるものがあります。
人気時代劇の「水戸黄門」で知られる水戸藩主・徳川光圀の寄進と伝わり、本物は非公開の茶室「蔵六庵」に置かれており、参拝者たちが見ることができるのは忠実に複製されたもの。
一見すると何が書かれているか分かりませんが、中央の水穴を口の字として共用すると、時計回りに「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と読むことができます。
これは「知足のものは 貧しといえども富めり 不知足のものは 富めりといえども貧し」という禅の格言を図案化したもので、貧乏であっても感謝の心を持てば満足できるし、金持ちであっても満足できない人はできないと、人間の欲を戒める深い言葉です。
方丈内にある売店ではこの「知足の蹲踞」をモチーフにしたグッズが色々販売されており、人気を集めています。
龍安寺名物、塔頭・西源院の「七草湯豆腐」
龍安寺の境内には鏡容池の北西側に3つの塔頭寺院があります。
東から小堂・霊光堂のみが残る「霊光院」、真田幸村(信繁)夫妻の五輪塔のある「大珠院」、そして一番西側にあるのが「西源院(せいげんいん)」と呼ばれる塔頭寺院です。
境内の西側、鏡容池の西の畔にある塔頭・西源院は寺院自体は非公開ですが、龍安寺名物の湯豆腐の店があることで知られています。
そしてメニューは湯豆腐、あるいは湯豆腐と精進料理のセットのどちらかのみ。
湯豆腐は大豆の味と香りが濃厚なしっかりした味わいでそのまま食べても美味しく、生麩などの具や季節ごとに数種の野菜が入れられ「七草湯豆腐」と呼ばれています。
入口を入ると手入れの行き届いた見事な日本庭園が広がり、風情のある庭園の景色を眺めながら味わう湯豆腐は格別です。
龍安寺の施設案内
伽藍配置
境内南側の大部分を占めるのが広大な面積を誇る鏡容池(きょうようち)で、、その周囲は回遊式庭園になっており四季折々の花を楽しめ、国の名勝にも指定されています。
一方境内の北側には庫裡、方丈(本堂)、仏殿などの諸堂が建ち、有名な枯山水の石庭は方丈南側にあります。
これらの伽藍の西側に「西の庭」があり、開基・細川勝元の木像を祀る細川廟、更に寺の背後には第66代一条天皇を含め5人の天皇の陵墓もあります。
境内拝観には拝観券が必要で、山門の前に拝観券売り場があります。
ただし境内にある湯豆腐を頂ける塔頭・西源院に行くだけなら、その旨を窓口に申し出れば境内に入ることができます。
参拝順路
きぬかけの路沿いの龍安寺前交差点から参道を北へ上がると山門が姿を見せ、その左手前に拝観受付があります。
受付を済ませて山門をくぐると、すぐ左手に鏡容池が見えますが、まずは池に沿って参道を奥へと進んでいきます。
順路の表示があるのでそれに従い進むと池の北側に出ますが、ここで右に曲がり、更に参道を北へ進むと、目の前に石段が出現します。
石段を上がっていくと拝観玄関となっている庫裡があり、そこで拝観券の半券を切ってもらいパンフレットを受け取って中へと入場します。
方丈および方丈石庭を拝観後は参道を西へ進み、パゴダや涅槃堂、桜苑となっている回遊庭園を経て参道を南へ進むと、鏡容池の西へと出ることができます。
池の畔に立ち休憩所となっている藤棚を通り、池の南側を参道に沿って歩いていくと、ほどなく山門へと戻ることができます。
駐車場は境内の東側にあり、きぬかけの路より入場できます。この点拝観者は駐車場を1時間まで無料で利用できます。
周辺については、きぬかけの路を東へ進めば、立命館大学の衣笠キャンパスを経て世界遺産の金閣寺や西大路沿いの平野神社、その先の北野天満宮に通じており、他方西へ進むともう一つの世界遺産・仁和寺に行くことができます。
最寄駅の嵐電龍安寺駅はきぬかけの路よりも約600mほど南にあり、細い道を2度曲がらなければなりませんが、曲がり角にはちゃんとした道標があるため迷うことはないと思われます。
また龍安寺駅のさらに南には龍安寺の属する妙心寺派大本山・妙心寺の広大な境内があり、龍安寺と妙心寺の間には古くから創業している店も多数あるという龍安寺参道商店街の店舗が軒を連ねています。
山門~庫裏
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山門
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石標
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参道
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竜安寺前
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石標
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参道
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山門
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拝観受付
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番所
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参道
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世界遺産の碑
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境内図
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三笑橋
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分岐点
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桜
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芒
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竜水(手水鉢)
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阿弥陀石仏
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放生池
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石標
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石段
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龍安寺垣
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庫裏(庫裡)
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寺務所
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新館
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梅枝庵
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京漬物もり
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玄々庵
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龍安寺お茶所
方丈庭園
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拝観入口
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授与所
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ミニ石庭
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方丈
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石庭
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桜
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油土塀
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勅使門
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東庭
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侘助椿
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茶室蔵六庵
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知足の蹲踞
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廊下
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仏殿
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拝堂
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昭堂
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鐘楼
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糸桜の古株跡
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細川廟
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細川勝元・政元墓・義天玄承墓
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西の庭
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恵光滝
回遊庭園(桜苑)・鏡容池
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道標
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参道
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霊光院
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大珠院
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西源院
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石標
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石段
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パゴダ
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涅槃堂
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回遊庭園(桜苑)
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参道
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ゆどうふ
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藤棚(休憩所)
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鏡容池
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参道
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水分石
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石段
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伏虎島
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橋
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弁天島
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大弁財尊天
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地蔵群
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真田幸村の墓