京都市右京区花園妙心寺町、嵐電妙心寺駅とJR花園駅の間に広大な境内を有する日本最大の禅宗寺院。
その法流は龍泉派、東海派、霊雲派、聖沢派の 4系統に分かれ、これらを合わせると現在日本にある臨済宗に属する寺院約6,000か寺のうち、約3500(3400とも)と半数以上を占めるという臨済宗妙心寺派の大本山です。
現在「花園」と呼ばれているこの地域は、双ヶ丘の東にあった公卿の花畑が四季折々に美しい花が咲き乱れていたことからいつしかそう呼ばれるようになりました。
その花園の地をこよなく愛し、離宮を構えていた第95代天皇・花園法皇が、室町幕府が誕生して間もない1337(建武4)年、自らの出家にあたって関山慧玄(無相大師)を開山に招き離宮を禅寺に改めたのがはじまりです。
当時京都の禅寺は、五山十刹(ござんじっさつ)に代表される室町幕府の庇護と統制下にあった一派「禅林」または「叢林(そうりん)」と、それとは一線を画し厳しい修行と戒律を重んじる在野の寺院「林下(りんか)」とがありましたが、妙心寺は大徳寺と並び「林下」の代表的寺院でした。
その後足利義満の圧迫や応仁の乱の兵火で多くの堂塔を焼失し一時中絶しますが、細川勝元・政元親子らの援助で再興。
多くの名僧を輩出し、戦国時代には豊臣、徳川家をはじめ有力大名たちが次々と帰依し、大いに隆盛を極めました。
10万坪ともいわれる広大な敷地には近世に再建された中心伽藍には南から三門、仏殿、法堂などの重文の堂宇が一直線に並び、典型的な七堂伽藍の禅宗様式で日本随一を誇ります。
そしてその七堂伽藍の周囲に46の塔頭が門を構えて寺町を形成しており、平安京の範囲内で北西の12町を占め、また自然も多いことから、京都市民からは「西の御所」と呼ばれ親しまれています。
見どころとしては、まず重要文化財の法堂。
1656年(明暦2年)に建立された入母屋造本瓦葺の大建築で、高さ13mの天井には狩野探幽の大傑作「雲龍図」が描かれています。
8年の歳月をかけて描かれたという龍は、どこから見ても自分のほうを向いていることから「八方にらみの龍」と異名を持ちます。
また堂内に安置されている梵鐘「黄鐘調の鐘」は最古の銘を持つことで知られているほか、吉田兼好の「徒然草」にも記述のある名鐘で国宝にも指定されており、現在はCDで美しい音色を聴けるようになっています。
他にも境内唯一の朱塗りの建物で重要文化財の三門や本能寺の変を起こした明智光秀ゆかりとされ「明智風呂」とも呼ばれている重要文化財の「浴室」、更に国の史跡・名勝に指定されている「方丈庭園」などが有名。
寺宝も豊富に伝えられており、大灯国師墨跡(国宝)をはじめ、仏像、絵画、障壁画など多くの文化財を所蔵しています。
行事としてはお盆に行われる先祖供養の法要と万灯行事の行われる「お精霊さん」が有名。
8/9と8/10の「お精霊迎え」と8/16の「お精霊送り」で構成され、特にお精霊迎えでは「迎え鐘」を撞くために多くの参拝客が訪れ、屋台も出て賑わう一方、献灯された多くの灯籠が法堂や仏殿の周囲を包み、また三門もライトアップされて境内は幻想的な空気に包まれます。
また数多い塔頭の中で常時公開されているのは退蔵院、桂春院、大心院の3つの境内塔頭、そして世界遺産で枯山水の石庭で有名な「龍安寺」も常時公開されている妙心寺の境外塔頭寺院です。
このうち「退蔵院」は初期水墨画の代表作である如拙筆の国宝「瓢鮎図」と見事な庭園を持ち、桜の名所としてよく知られています。
そして「桂春院」は大きく4つに分かれる史跡名勝の庭園を持ち、春の新緑・秋の紅葉が美しいことで知られ、また「大心院」は宿坊があるほか、キリシマツツジが見事な庭園があることでも有名です。
他にも沙羅双樹の時期に特別公開され小豆粥でも知られる「東林院」や、新緑と紅葉の時期に特別公開される「大法院」、キリスト教徒の関係が深く英語で坐禅体験のできる「春光院」や坐禅とバランスヨガを体験できる「如是院」など、境内には魅力ある塔頭寺院が点在しています。