京都府京丹後市久美浜町、丹後半島の西の付け根に位置し、門前すぐに久美浜湾の穏やかな内湾が広がる景勝地にある高野山真言宗の寺院。
寺伝によればその歴史は古く、奈良時代の天平年間、名僧として知られる行基によって開創。
当地に滞在していた際に山上より霊火が出て海に入り、また海より出て山に昇る奇端を見て、猟師に網を引かせたところ如意宝珠が得られたことから、伽藍を建立して如意宝珠を納め、「宝珠山如意寺」と号したのがはじまりと伝えられています。
鎌倉後期の1295年(永仁3年)に伏見天皇より「如意寺」の勅額が下賜され、寺領500石、十二の院坊を有するなど繁栄を見せるも、1427年(応永34年)の兵火で焼失。
その後戦国時代の天文年間、江戸時代の寛文・寛延・寛政年間や江戸後期に復興事業が進められ、現在の伽藍は1963年(昭和38年)頃から1976年(昭和51年)にかけて久美浜湾西岸の観音山(宝珠山)から現在地に順次移転されたものです。
本尊の十一面観世音菩薩は、行基作と伝えられる秘仏で、眼守護に霊験あらたかなほか、この他にも本堂左手に湧き出る「閼伽井(あかい)の水」も眼病・諸病に効くとされる霊水として知られ、汲みに訪れる人も数多くいます。
また厄除け・諸祈願の「日切不動尊(ひぎりふどうそん)」でも有名で、弘法大師空海の作と伝えられ、日を切って願をかけると必ず叶う「日切り(ひぎり)のお不動さん」として多くの人に親しまれており、4月1日には「日切不動尊大祭」も開催されています。
また像を安置する「不動堂」は1983年(昭和58年)に金閣寺再建時の初期棟梁としても知られる中村淳治の手による建造で、和・唐・天竺の三様式を融合した日本唯一の建築様式である「重層宝形造(ほうぎょうづくり)」が印象的な建造物です。
海沿いにある寺にもかかわらず、よく整備された広い境内には山間やや山里の寺院にも負けないほどの草木が生い茂り、「関西花の寺二十五ヵ所霊場」の第7番札所にも選ばれるなど、花の寺としても有名です。
山野草を含めて約300種ともいわれる四季折々の草花が楽しめ、季節の花を目的とした団体ツアーも絶えませんが、中でも有名なのが4月上旬から中旬にかけてのミツバツツジで、隣接する山の斜面一帯に約1万株が自生するといい、境内の山道を約5~10分かけて巡ることができる「回遊散策道」は花のトンネルと化し、色鮮やかな赤紫色の濃いピンクに染まります。
また散策道と一体である本堂裏の「木洩れ日の小径」(山野草の庭)も見逃せないスポットで、「四季の山野草 珠山千年石の庭」とも呼ばれ、山野草だけで250種あるといいます。
住職による花などを題材に楽しくかつためになる法話「花説法(はなせっぽう)」は団体予約が必要なものの人気なほか、行事としては他に8/9の「千日会(せんにちえ)」が有名で、一日お参りすれば千日の御利益があるという夏祭りで、対岸の兜山の大文字に火が灯され、門前の久美浜湾では灯篭流しや花火大会も行われます。
周辺環境としては、夕日ヶ浦温泉や豊岡、城崎温泉、出石、天橋立などから20~50分の距離にあり、併せて巡るのもおすすめです。