紅葉が美しい宗雲寺庭園で知られる禅宗愚中派の三本寺
臨済宗南禅寺派、KTR久美浜駅やや西に位置。
1423年天台宗の小庵を千畝周竹が近衛家の支援を得て禅宗に改める。禅宗愚中派の三本寺として栄え戦国期に久美浜城主松井家の菩提寺に。
紅葉も美しい宗雲寺庭園は府の名勝。裏庭では四国八十八カ所めぐりが体験できるほか延命福寿観音像は高さ10mの磨崖仏
宗雲寺のみどころ (Point in Check)
京都府京丹後市久美浜町新町、KRT宮津線「久美浜」駅の西方約700m、久美谷川から北東へ切れ込んだ小さな谷の奥に位置する臨済宗南禅寺派に属する禅宗寺院。
創建は不詳ですが、寺伝によると元々は「常喜庵」という天台宗の小庵で、久美浜町多茂ノ木にあったと伝えられています。
その後、室町時代の1432年(永享4年)、近衛家の出身である僧・千畝周竹(-1460)を開山として禅宗寺院として再興。
近衛家の支援を受けて荒廃していた寺を現在地に移し、「宮谷山常喜寺」と号しました。
ちなみに千畝周竹は安芸・仏通寺の第9世で天寧寺の開山・愚中周及(1323-1409)の法嗣にあたる人物で、室町時代には天寧寺・仏通寺と並ぶ愚中流の中核寺院として栄えました。
その後戦国時代の1582(天正10年)に佐渡守・松井康之が丹後入りして久美浜・松倉城主となると、1587年(天正15年)に父親である松井正之の菩提を弔うため、南禅寺聴松院住職で康之の叔父にあたる玄圃霊三(1535-1608)を中興開山として招き、「常喜山宗雲寺」と改めて菩提寺とし、現在に至っています。
寺名は亡父の法名である「前城州大守清月宗雲大禅定門」にちなんだものだといいます。
この点、康之は細川藤孝の家老格の武将で、茶道の造詣も深く千利休の高弟の一人でもあった人物。
子孫は江戸時代に細川氏が熊本に転封したのに伴って八代に移り、代々細川家の家老として活躍し幕末に至っています。
現在の本堂・方丈・庫裡は、1799年(寛政11年)に焼失の後、1801年(享和元年)に再建されたもの。
その他の見どころとしては方丈背後にある「宗雲寺庭園」は1801年(享和元年)の本堂や方丈の再建と同じ時期に造られたものと考えられていて、瓢簟型の池と、地上露出部の幅高さ1m以内の石材からなっており、小さいながらも落着いた雰囲気の美しい池泉庭園で、京都府の名勝にも指定されており、秋には紅葉も楽しむことができます。