京都市東山区、四条通の東の端に鎮座する八坂神社の東側に隣接する京都市管理の市民公園。「圓山公園」とも表記。
国の名勝に指定されているほか、市内随一の桜・花見の名所として有名な公園です。
平安時代には周辺一帯は「真葛ヶ原(まくずがはら)」と呼ばれ、江戸時代に慈円山安養寺(じえんざんあんようじ)より「円山(まるやま)」と呼ばれるようになりました。
そして明治維新までは祇園感神院、現在の八坂神社や、安養寺、長楽寺、双林寺の境内の一部でした。
その後、明治初期に断行された「神仏分離令」「廃仏毀釈」の一環として、1871年(明治4年)に発令された「上知令」により政府によって土地が没収されると、1886年(明治19年)12月に太政官布告に基づき公園地に指定され、京都市で最も古い公園として開設されるに至りました。
この点、京都に限らず、東京(寛永寺が上野公園・増上寺が芝公園など)や奈良(興福寺が奈良公園)、そして大阪(天王寺公園)でも、近代日本の都市公園は、明治初年の神仏分離の際に、大寺院の境内地を接収して作られたものが少なくなく、そのうちの一つです。
そして1889年(明治22年)の市制施行時に京都府から京都市に移管され、京都市初の都市公園となり、現在も京都市が管理しています。
当初の園地計画は武田五一がまとめ、人工鉱泉療養所や貸席・旅館が立ち並ぶ歓楽街でしたが、数度の火災で焼失した後、1912年(大正元年)に小川治兵衛の手により東山を借景とし中央にひょうたん池を配した池泉回遊式の日本庭園が作庭され、回遊式日本庭園を中心に料亭や茶店が点在する現在の形となりました。
園内には自然の丘陵を利用した渓谷の造成や、池や噴水の建設、四季の草花の植樹なども行われ、四季を問わず風情が味わえるように整備されており、中でもとりわけ京都随一の桜の名所として知られ、春には約800本もある枝垂桜や染井吉野などが競うように咲き誇ります。
花見のシーズンにはライトアップも行われ、屋台も出店して多くの花見客が訪れることで有名で、週末には前日から場所取りをする人たちの姿も多く見られる、京都随一の花見の名所です。
そしてそのシンボル的存在である「祇園枝垂桜」は園内の中央にあり、「祇園の夜桜」の通称で親しまれています。
初代の桜は根回り4m、高さ12m、樹齢は200年余で、1938年(昭和13年)に天然記念物にも指定されましたが、1947年(昭和22年)に樹齢220年で枯死し、現在は二代目で、1928年(昭和3年)に15代佐野藤右衛門が初代のサクラから種子を採取して畑で育成していたものを、同氏の寄贈によって1949年(昭和24年)に現地に植栽したもの。
一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)といい、高さ約12m、幹回り2.8m、枝張り10mの見事な樹形を誇ります。
ただしカラスが観光客の出した生ゴミを狙って枝垂桜の枝に止まるため小枝が折れたり、糞害によってダメージを受けるなどし、年々樹勢が弱っており、花の咲かない枝が生じるなどの問題が発生しています。
その一方で二条駅前の千本通側や長岡天満宮には円山公園の枝垂桜の3代目が育っているほか、この桜と姉妹の桜が京都府井手町の地蔵院の枝垂れ桜で府の天然記念物になっています。
東山を背に総面積は約3万坪(約9万平方メートル 約86,600㎡)を有し、桜の名所として有名ですが、普段は市民憩いの場として親しまれています。
池畔の時計台のそばに祇園小唄の歌碑、園内の奥の方に坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像があることでも知られているほか、雙林寺、西行庵(さいぎょうあん)、芭蕉庵などの旧跡も多く、また西側は八坂神社に隣接しており、園内の倉庫には祇園祭で使用される山鉾のうち12町内分が保管されています。
他にも北側を「知恩院」や京都最大の歓楽街「祇園」に隣接、南側は「高台寺」「ねねの道」「二年坂」「産寧坂」を経て「清水寺」へと通じ、また周辺には「いもぼう」などの料亭や茶店が点在するほか、公園の南側には1927年(昭和2年)に開堂した約3,000人を収容できる屋外ホールの「円山音楽堂」や「長楽館」などもあり、一大観光地が形成されています。
行事としては花見のシーズンのほか、3月の「東山花灯路」ではメイン会場の一つになり盛大なライトアップが行われるほか、秋には東山を借景とする回遊式庭園にモミジの赤が映え、周囲の紅葉を水面に映すひょうたん池や、紅葉を背景に立つ坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像など、風情ある紅葉散歩を楽しむことができます。