京都市左京区大原勝林院町、緑豊かな山々や田園風景といった日本の原風景が広がる大原の地にある天台宗の寺院で、実光院とともに勝林院の塔頭寺院。
天台宗の三門跡の1つである有名な三千院前の参道を進んだ奥、勝林院のすぐ隣にある寺院です。
平安中期の1012年(長和2年)に声明を研鑽・修行する専門道場として開かれ、平安末期からは大原寺(勝林院)住職の僧坊の一つとされてきたといいます。
その後、室町時代に現在のような建物が建てられた後、江戸初期に再建されたと考えられており、このうち「書院」は江戸中期頃の再建で、廊下の天井は「血天井」と呼ばれていますが、これは1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」の前哨戦となった「伏見城の戦い」の際に伏見城で自刃した鳥居元忠以下数百名の徳川側の武将たちの血痕が残された床板を供養のため天井板として祀ったもので、養源院や源光庵のものなどとともに伏見城の遺構の一つとしてよく知られています。
境内には「盤桓園」と「鶴亀庭園」、そして「宝楽園」の3つの庭園がありますが、このうち「盤桓園(ばんかんえん)」は立ち去りがたいという意味を持つ庭園名で、京都市指定の天然記念物にも指定され、寺のシンボルとなっている近江富士を型どった樹齢700年の「五葉の松」を中心に、客殿の西側、柱と柱の空間を額縁に見立てて客殿の中より観賞する「額縁庭園」は絵画を眺めているようで美しいことで知られています。
また水琴窟の音に耳を傾け、抹茶と茶菓子を楽しみながら庭を観賞できるほか、松のほかに美しい竹林や梅もあり、松竹梅の景観を楽しめることでも有名です。
一方「鶴亀庭園」は江戸中期に作庭された蓬菜山形式の庭で、受付の左手に見え、建物内の格子ごしに鑑賞することができ、最後に境内南側に近年になって造られた「宝楽園(ほうらくえん)」は岩組や花木、白砂などを用いて仏や神の世界が表現されているという回遊式庭園で、歩きながら珍しい台付花桃や、彼岸桜・河津桜、紅葉などを楽しむことができる名園です。
この他にも四季折々の草花が楽しめることでも知られ、春から新緑にかけては、桜、石楠花、ミヤマヨメナ(大原小菊)、盤桓園にある樹齢300年の沙羅双樹の木、秋は桔梗、曼殊沙華(彼岸花)などが境内を彩ります。
この他にも仏教音楽「声明」の中心道場の一つとして知られている寺院です。
梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)とは、経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽で、平安初期に中国から日本に伝わると、日本仏教の各宗派に伝えられ、謡曲や長唄などのルーツにもなったといわれていて、日本の伝統音楽に多大な影響を与えました。
部屋の入口には、この声明に使う清妙な音を奏でる「サヌカイト」と呼ばれる石盤が置かれていますが、これは明治時代に声明の大家であった宝泉院の住職・深達僧正が音律を調べるために愛用した楽器だといいます。