山崎の戦いの戦場として有名な「天下分け目の天王山」
高さ240m、大阪と京都の境にある。
名は中腹の牛頭天王を祀る山崎天王社(酒解神社)に由来し古くから水陸交通の要所で1582年山崎の戦いの戦場として有名。
先に占領した秀吉が明智光秀を破った故事から勝敗の分かれ目を天王山と呼ぶように。
現在ではハイキングコースが整備され山頂には山崎城址も残る
天王山のみどころ (Point in Check)
京都府南西部の乙訓郡大山崎町、京都盆地の西に連なる西山山地(老ノ坂山地)の南端、京都府(旧・山城国)と大阪府(旧・摂津国)のとの府境に位置する山。
山名は山頂手前にある牛頭天王を祀る「山崎天王社(現・自玉手祭来酒解神社)」があることに由来しています。
古生層から成る標高約270mに過ぎない小丘ですが、淀川を挟んで南に相対する石清水八幡宮で有名な男山との間は桂川・宇治川・木津川の3つの河川が合流し淀川となる「三川合流の地」で、淀川水運や山陽道で京都盆地と大阪平野を結ぶ古くからの水陸交通の要衝であり、自然に作られた関門で軍略上の要でもある場所でした。
現在も交通の要路であることは変わりなく、JR東海道本線、新幹線、阪急電鉄京都線の各線が通過するほか、国道171号が走り、名神高速道路は天王山トンネルを通過します。
また野球や将棋などで勝負を決する大事な局面、勝敗の分岐点(分かれ目)、天下分け目などの意味を持つ「天王山」という言葉は、1582年(天正10年)の「山崎の戦い」の際、この山を先に占領した羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が本能寺の変を起こした明智光秀を破った故事にちなんで使われるようになった言葉です。
現在は天王山ハイキングコースとして整備されていて、山頂手前にある2つの展望台からの眺めはなかなかのもの。
一方山頂の見晴らしは広場の周囲に生い茂る樹木のためそれほど良くはありませんが、秀吉は「山崎の戦い」の後、大坂城を築城するまでの間、この地に「山崎城(やまざきじょう)」(別名「天王山宝寺城」や「天王山城」とも)と呼ばれる山城を築いてその本拠地としており、天王山の山頂は「山崎城跡」と呼ばれ、山頂の広場では五輪の塔、石仏、墓石、井戸の跡などにその痕跡を見ることができます。
おすすめのルートとしては、まず阪急「大山崎」駅そばの「大山崎歴史資料館」で山崎の歴史を学んだ後、JR「山崎」駅近くの
天王山登山口」より、「宝積寺(宝寺)」を経て、登山道に入ります。
途中には三川合流地点が見える「青木葉谷展望広場」や、山崎の合戦時に秀吉が軍旗をかかげたという「旗立松展望台」、重文の神輿庫がある「酒解神社」などがあります。
また近年新たに整備された阪急「西山天王山」駅の方からも登山道が整備されており、気軽に登山ができるようになりました。