京都府乙訓郡大山崎町大山崎明島、京都市南西部に位置する大山崎町の南側、大阪府島本町との府境にほど近い西国街道(府道67号)沿いにある阪急京都本線の駅。駅スタンプは山崎蒸留所。
1928年(昭和3年)11月1日、新京阪鉄道の新京阪線が高槻町駅(現在の高槻市駅)から京都西院駅(現在の西院駅)まで延伸されるのに伴い開業したのがはじまり。
その後、1930年(昭和5年)9月に会社合併により京阪電気鉄道(現在の京阪の前身)の駅となった後、1943年(昭和18年)に戦時中の企業統合政策によって京阪電気鉄道と京阪神急行電鉄(現在の阪急)と合併したのを経て、戦後の1949年(昭和24年)に京阪神急行電鉄(阪急)から京阪電気鉄道(京阪)が再度分離した際に新京阪線は京阪神急行電鉄(阪急)の路線となり、京都本線と改称されるとその所属駅となり現在に至っています。
相対式ホーム2面2線を有する高架駅で、現在のものは1963年(昭和38年)に高架化されたもの。
改札口は地上部に1か所のみで、駅の北側で府道67号(西国街道)に面しています。
山崎の地は京都府と大阪府の府境に位置し、天王山の南麓、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる三川合流の地で、淀川水運や山陽道で京都盆地と大阪平野を結ぶ古くからの水陸交通の要衝であり、かつては山崎宿がおかれた宿場町であり、また自然に作られた関門で軍事上の要でもある場所でした。
現在も交通の要衝として、国道171号が走り、名神高速道路が天王山トンネルを通過するほか、鉄道ではJR東海道本線や新幹線、阪急京都線の各線が当駅付近で集結し通過していきますが、山崎の地には阪急大山崎駅とJR山崎駅が設置され、近隣住民の交通手段であるほか、大山崎の史跡や観光名所をめぐる観光客にとっても利便性の高い駅となっています。
とりわけ北側にそびえる「天王山」は野球や将棋などで勝負を決する重要な局面、勝敗の分かれ目という意味で「天下分け目の天王山」などの形で用いられる言葉の語源となった山で、1582年(天正10年)の「山崎の戦い」の歳にこの山を先に占領した羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が本能寺の変を起こした明智光秀を破った故事にちなんで使われるようになったものですが、現在も天王山の一帯には「山崎の戦い」に関連した史跡が多く残るほか、ハイキングコースとしても整備されていて、登山やハイキングを楽しむ人々も数多く見受けられ、その登山道の入口へのアクセスにも便利な駅となっています。
その他にも駅周辺には利休好みの二畳の草庵茶室で国宝にも指定される「待庵」のある妙喜庵や、秀吉が建てた三重塔が残る「宝積寺(宝寺)」、日本における「製油発祥の地」として知られる離宮八幡宮などの寺社仏閣のほか、古代から近代までの大山崎の歴史を紹介する大山崎町歴史資料館やアサヒビール大山崎山荘美術館やサントリー山崎蒸溜所など文化施設などもあり、合わせて巡るのもおすすめです。