平安京大内裏を再現、朱塗りの建築と大鳥居が印象的
平安遷都1100年を記念し1895年に平安京の大内裏を模し造営、最初の桓武天皇と最後の孝明天皇を祀る。
朱塗りの美しい建築物に加え大鳥居の大きさは圧巻。神苑では春の枝垂桜のほか四季折々の草花が楽しめる。
10/22の時代祭は歴史上の人物たちの豪華な行列が街を歩く
平安神宮のみどころ (Point in Check)
京都市左京区岡崎西天王町に鎮座する大鳥居と鮮やかな朱塗りの建築物が特徴的な神社です。
1895年に平安遷都1100年を記念して創建され、794年に平安京遷都を行った50代・桓武天皇と平安京最後の天皇である孝明天皇を祭神としてお祀りしています。
社殿は同年開催された第4回内国勧業博覧会の目玉として平安京大内裏の正庁・朝堂院を5/8サイズで模して作られたもので、朱塗りの社殿に釣燈籠・望楼が煌びやか。
110年と歴史は新しい建築物ですが、平安京当時の雅な雰囲気を思い起こさせてくれます。
応天門へとまっすぐ続く神宮道をまたぐようにして建つ大鳥居は24mの高さで、国の登録有形文化財にも指定されていると同時に岡崎のシンボル的存在にもなっています。
祇園祭・葵祭とともに京都三大祭の一つ「時代祭」は平安神宮のお祭りで、平安遷都の日である10月22日に開催され、京をゆかりに活躍した歴史上の人物に扮した行列が京都市街を練り歩きます。
また境内の周囲を取り囲むようにして広がる神苑は池泉回遊式の庭園で国の名勝。四季折々の草花が楽しめ、中でも紅枝垂れ桜の名所として知られています(春と秋に1日ずつ無料公開あり)
四神相応の地である京都を守る四神の御守が授与されるほか、縁結びのお守りも人気。また朱塗りの社殿は平安時代を題材にした映画やドラマの撮影にもよく使われています。
京都マラソンのゴールとしても知られ、2003年より毎年秋の10月上旬に京都学生祭典の会場として10万人の観客を動員。2012年からは京都国際マンガアニメフェアのイベント会場にもなっています。
平安遷都1100年を記念し創建─祭神は桓武天皇と孝明天皇
明治維新直後の京都は幕末の戦乱で荒廃したことに加え、天皇が東京へと移り住み、事実上首都が東京へ遷ったことで疲弊した状態にありました。
そんな京都に活気を取り戻す為に一連の町おこし事業の一環として開催されたのが、1895年(明治28年)4月1日の平安遷都1100年を記念した第4回内国勧業博覧会。
そしてその目玉として計画されたのが、平安京遷都当時の大内裏の一部復元という試みでした。
当初は実際に平安京の大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたましたが、用地買収に失敗。
そこで当時は郊外であった岡崎の地に、実物の8分の5の規模で復元されることとなったのです。
平安神宮はその博覧会の開催に先立ち、皇紀2555年の1895年(明治28年)3月15日、794年に平安遷都を行った第50代・桓武天皇を祀る神社として創祀されました。
千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるため、また京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたといいます。
その後皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)には、平安京で過ごした最後の天皇である第121代・孝明天皇も祭神に加えられ、平安京の最初と最後の天皇が祀られることとなりました。
1000年以上にわたって都として繁栄した平安京を創建したご祭神の神徳にあやかり、開運招福および厄除けの神社として京都の人々に親しまれています。
平安京大内裏を模した朱塗りの社殿が美しい
1976年(昭和51年)1月6日、「平安神宮放火事件」が発生。
本殿・内拝殿など9棟が炎上・焼失しましたが、外拝殿である大極殿は延焼を免れています。
この点創建が比較的新しく、当時これらの建物は文化財の指定を受けていなかったため、再建にあたり国からの補助金が見込めませんでしたが、全国からの募金により本殿や内拝殿は3年後に再建されました。
岡崎のシンボル「大鳥居」
国の登録有形文化財にもなっている大鳥居は神宮道をまたぎ高さ24.2m、幅約18m、柱の周囲は直径3.63m、根元で11.9mもあり、日本最大級の規模を誇ります。
1929年(昭和4年)に昭和天皇御大礼の記念事業として建立されて以来、岡崎のシンボル的存在として市民からも親しまれています。
京都三大祭の一つ「時代祭」
平安神宮の祭礼である「時代祭」は、祇園祭・葵祭とともに京都三大祭の一つに数えられ、毎年平安遷都の日である10月22日に開催されています。
8つの時代を20の行列に分け、約2000人が参加。平安時代より明治維新までの服装・風俗が再現され、京をゆかりに活躍した歴史上の人物に扮した行列が時代順に京の街を練り歩きます。
四季折々の草花が楽しめる「神苑」
「神苑」は本殿などの社殿の周囲を取り囲むように整備された広さ約1万坪、3万3千平方メートルの日本庭園です。
7代目小川治兵衛が20年以上かけ造営した明治を代表する池泉回遊形式の庭園で、1975年(昭和50年)12月には国の名勝に指定されています。
琵琶湖疏水から水を巧みに引き入れ、貴重な生物が多数生息するほか、東中西南の4苑に分かれた苑内では、一年を通じて四季折々の草花が楽しめることで知られています。
特に春の紅枝垂れ桜が有名。普段は有料公開ですが、春と秋に1日だけ無料公開されます。
「八重紅枝垂桜」と「桜みくじ」
毎年春には桜の花が回遊式の広大な神苑内に咲き誇ります。その数は八重紅枝垂桜(ヤエベニシダレザクラ)約150本を含めて20種約300本。
里帰り桜として知られる八重紅枝垂桜が見事な南神苑と、尚美館(貴賓館)と桜の木が池に反射する光景が美しい東神苑が特におすすめのスポットです。
桜の開花時期に合わせて観桜茶会やライトアップ、紅しだれコンサートも開催され、多くの人で賑わいます。
また桜の時期の3月下から4月中頃までの期間限定で「桜みくじ(はなみくじ)」の授与があり、境内には願い事を書いた桜色のおみくじを結んだ結び木が、まるで本物の桜の木のように花を咲かせる様子が楽しめます。
「五社めぐり」が人気の四神相応のパワースポット
平安京の都が方角を司る四神、すなわち北の玄武(高い山)、東の青龍(清き流れ)、南の朱雀(広く開けた湿地帯)、西の白虎(大きな道)が守護する「四神相応の地」として造られたことは有名ですが、これにちなんで桓武天皇を祀る「平安神宮」を中心にして、東の「八坂神社」、西の「松尾大社」、南の「城南宮」、北の「上賀茂神社」と、東西南北に位置する平安京ゆかりの神社をめぐり、参拝のしるしとしてご朱印を集める「五社めぐり」と呼ばれるご利益めぐりが行われています。
神前結婚式の名所であり、縁結びの神様としても有名
神社での結婚式、いわゆる神前婚の先駆けは1900年(明治33年)の嘉仁親王(よしひとしんのう)(大正天皇)と公爵・九條道孝の四女・節子妃(貞明皇后)のご成婚がきっかけだといいます。
この模様が全国に報道されると、これにあやかった神前婚が流行。平安神宮では1903年(明治36年)に初めて結婚式が行われ、その後1940年(昭和15年)に神楽殿(儀式殿)が竣功し、特に戦後になると神社で結婚式を挙げることが流行し、「結婚式は平安神宮で」というのが定番になったといいます。
またこれまでに5万組のカップルが結ばれたということもあり、縁結びの社としても知られていて、境内の授与所では良縁を願って御守りを求める参拝者の姿が絶えません。
映画の撮影やイベント会場としても有名
社殿が平安京当時の建物を模していることから、平安神宮では平安時代を題材にした映画やドラマの撮影がよく行われています。
また2003年から毎年秋の10月上旬に「京都学生祭典」が行われて10万人の観客を動員しているほか、2012年からは「京都国際マンガアニメフェア」のイベント会場、また京都マラソンのゴールとしても利用されています。
平安神宮の施設案内
三条通と神宮道の交差する三条神宮道より北へまっすぐ進むと岡崎疎水に架かる朱塗りの慶流橋があり、目の前には岡崎のシンボル的存在である大鳥居がそびえ立ちます。
大鳥居をくぐって更に北へまっすぐ進むと、正面玄関にあたる朱塗りの応天門が参拝者を出迎えてくれます。
敷地面積は約1万坪あるという神苑を含めて約2万坪。平安京当時の建物はありませんが、平安京大内裏の正庁を模したという応天門、大極殿などの美しい朱塗りの建築が特徴的です。/p>
1895年(明治28年)の創建当時に造営されたのは大極殿、応天門、蒼龍楼、歩廊、龍尾壇。
その後1940年(昭和15年)の孝明天皇の鎮座にあたり、本殿、祝詞殿、内拝殿、翼舎、神楽殿、額殿、内外歩廊斎館、社務所などが増改築されました。
1976年(昭和51年)に火災により9棟が炎上しましたが、全国からの募金により本殿や内拝殿が3年後に再建され現在のような壮麗な伽藍が整いました。
2010年(平成22年)12月に大極殿など6棟が国の重要文化財に指定されていますが、明治時代の建築物で国の重要文化財の指定というのは珍しいことだといいます。
壮麗な社殿を囲むように神苑は約1万坪(約3万平方メートル)、明治から昭和にかけての名造園家である7代目・小川治兵衛(植治)が20年以上かけて造った池泉回遊式の名園で、国の名勝にも指定。
東中西南の4苑に分かれ四季折々の草花を楽しむことができ、紅しだれ桜が特に有名。
また琵琶湖疏水から水を引き入れており珍しい鳥類や、甲羅に草を生やすミノガメ、本州ではここでしか生存が確認されていない南石亀なども生息しているといいます。
参道にあたる南の神宮道にある大鳥居は高さ24.4m・幅18mあり、国の登録有形文化財にも指定。
また平安神宮の周辺は岡崎公園として整備され、また大鳥居を挟んで西には京都府立図書館、京都国立近代美術館、京都会館、東には京都市美術館、京都市動物園などがあり、一大文化ゾーンを形成しています。
大鳥居~本殿
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慶流橋(けいりゅうばし)
平安神宮の表参道にあたる神宮道が琵琶湖疏水と交差する地点にかかる朱色の橋。
1895年(明治28年)に開催された第4回内国勧業博覧会会場の正門の橋として4月1日に開通。
桜の季節には疏水の河岸に多くの桜が花を咲かせ趣きのある景観が楽しめる。
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大鳥居(おおとりい)
平安神宮の表参道にあたる神宮道にある朱塗りの巨大な鳥居。正門である応天門の南300mの所に位置。
日本最大級の高さ24m、幅18mを誇り、京都屈指の文化ゾーンである岡崎地域のシンボル的存在として親しまれている。
1895年(明治28年)の創建当時はなかった鳥居で、1928年(昭和3年)に昭和天皇御大礼の記念事業として計画され、1929年(昭和4年)に竣工。
工事顧問を京都帝国大学教授・武田五一が務め、京都府技師・阪谷良之進が設計および工事監督を担当。明神型で鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)。
2002年(平成14年)8月21日に国の有形文化財として登録。
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石標(平安神宮 社号標)
平安神宮の表参道にあたる神宮道の応天門と大鳥居の間、二条通と交差する神宮道二条交差点の北東角に位置。
1924年(大正13年)に建立され、元は応天門前にあったが、1940年(昭和15年)の孝明天皇が合祀された際に現在地に移転された。
平安神宮の文字の上には「官幣大社」と刻まれていたが、戦後に進駐軍の指令でその部分に「左近の桜」と「右近の橘」の神紋が取り付けられたという。
すぐ横が岡崎交点地下駐車場の入口になっている。
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応天門(神門)(おうてんもん(しんもん))
「應天門」とも。大鳥居をくぐり、表参道の神宮道を北へしばらく進むと突き当たりにある境内正面入口にそびえる正門。
795年(延暦14年)に建てられた平安京朝堂院の南面正門・應天門を5/8のスケールで模したもので、碧(みどり)瓦葺きの屋根に勾欄を設けた丹塗り二層式の楼門。1895年(明治28年)創建と同時に建てられ、現在は国の重要文化財に指定。
朝堂院は朝廷内で政務のほか重要な儀式を行う場で、度々火災に遭い1177年(治承元年)に焼失以降は再建されなかった。
ちなみに「應天門」の扁額は弘法大師空海が書いたことでも知られ、扁額を書いた際に「應」の一画目の点を書き忘れてしまったことに気づき、下から筆を投げて点を付け加えたというエピソードは「弘法にも筆の誤り」の語源にもなっている。
現在の扁額は空海の書法を究めた書家・宮小路康文の手によるもの。
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手水舎(てみずしゃ)
応天門の左手前にある。
参詣者が手や口をすすぎ清める場所。
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建国記念の碑(けんこくきねんのひ)
応天門南西の手水舎の横にある石碑。神武天皇が奈良橿原の畝傍で即位し、日本の国を開いたとされる建国記念日を1966年(昭和42年)に2/11と定めたことを記念し、1971年(昭和46年)に建立されたもの。
毎年2/11の「紀元祭」ではその聖徳を敬仰しこの石碑の前で記念式典が開催される。
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時代祭収蔵庫
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授与所
応天門の両脇にあり、お守りやおみくじ、朱印帳、絵はがきなどが販売されている。
こちらは西側の授与所。
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授与所
応天門の両脇にあり、お守りやおみくじ、朱印帳、絵はがきなどが販売されている。
こちらは東側の授与所。
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衛士詰所(えじつめしょ・えいしつめしょ)
応天門の左側にある警備員の待機所。
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南内庭
応天門をくぐってすぐ目の前に現れる龍尾壇までの広いスペース。
6月の「京都薪能」の際には特設舞台がの観客席が設けられることも。
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手水所
応天門をくぐった広場の左側(西側)にある手水舎。
中央にあるのは平安京の東西南北を守護する四神のうち、西側を守護する白虎の像。
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手水所
応天門をくぐった広場の右側(東側)にある手水舎。
中央にあるのは平安京の東西南北を守護する四神のうち、東側を守護する蒼龍(青龍)の像。
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龍尾壇(りゅうびだん)
大極殿の前庭と南内庭との間を南北に仕切る。
「勾欄(こうらん)」と呼ばれる装飾のある手すり設けられている。
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左近の桜(さこんのさくら)
大極殿前庭には大極殿に向かって右に「左近の桜」、左に「右近の橘」が配置されている。
平安時代より紫宸殿の南階下の東方に桜が植えられていたものをこのように呼んだが、これは儀式の際に左近衛府の官人がその側に列したことにちなむ。
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右近の橘(うこんのたちばな)
大極殿前庭には大極殿に向かって右に「左近の桜」、左に「右近の橘」が配置されている。
平安時代以降に紫宸殿の南階下の西方に植えられたものをこのように呼んだが、これは儀式の際に右近衛府の官人がその側に列したことにちなむ。
橘はみかんの仲間で唯一の野生種。その実は古くから「常世国(とこよのくに)」の不老長寿の妙薬として珍重されたという。
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大極殿(外拝殿)(だいごくでん(げはいでん))
大極殿は古代の役所の建造物の中で最も重要な建物で、天皇が政務を執るほか、朝賀・即位などの重要な儀式が行われた、いわば政治の中心だった建物。
1895年(明治28年)に平安遷都1100年記念事業の一環として、平安時代の様式を模して往時の約1/2のスケールで建造。
正面の長さは約30mで丹塗りが印象的なほか、屋根は一重、入母屋造・碧瓦をふんだんに葺き、棟の両側に金色の鴟尾(しび)が置かれている。
平安時代の栄華を偲ぶことのできる唯一の文化遺産として重要なことから、2010年(平成22年)に国の重要文化財に指定。なお殿内は写真撮影禁止。
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本殿・内拝殿(ほんでん・ないはいでん)
本殿は1895年(明治28年)に平安遷都1100年記念事業の一環として外拝殿(大極殿)が建築された際、並行する形で建築され、竣工とともに平安京遷都を行った桓武天皇を祀る神社施設となった。
内拝殿は1940年(昭和15年)の孝明天皇の合祀に際して造営された。
1976年(昭和51年)に本殿・内拝殿とともに過激派テロで焼失したが、全国からの募金により3年後の1979年(昭和54年)4月には再建。
なお大極殿の内部から殿内は写真撮影禁止なので注意。
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蒼龍楼(そうりゅうろう)
1895年(明治28年)、本殿・拝殿を挟み左右対称に位置する西の白虎楼とともに裏松固禅(うらまつこぜん)の「内裏図考証」などを参考に5/8のスケールで平安京朝堂院の様式を模して建造。
平安京が蒼龍・白虎・朱雀・玄武のいわゆる「四神相応の地」とされたことにちなんで名づけられた。
設計は木子清敬(きこきよよし)・伊東忠太(いとうちゅうた)。高さ約10mで屋根は四方流・二重五棟の入母屋造・碧瓦本葺が施されている。
2010年(平成22年)に国の重要文化財に指定。
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白虎楼(びゃっころう)
1895年(明治28年)、本殿・拝殿を挟み左右対称に位置する東の蒼龍楼とともに裏松固禅(うらまつこぜん)の「内裏図考証」などを参考に5/8のスケールで平安京朝堂院の様式を模して建造。
平安京が蒼龍・白虎・朱雀・玄武のいわゆる「四神相応の地」とされたことにちなんで名づけられた。
設計は木子清敬(きこきよよし)・伊東忠太(いとうちゅうた)。高さ約10mで屋根は四方流・二重五棟の入母屋造・碧瓦本葺が施されている。
2010年(平成22年)に国の重要文化財に指定。北側に神苑への入口がある。
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東門(宣政門)(ひがしもん)及び東外回廊(ひがしそとかいろう)
境内南東側にある切妻造の門。第121代孝明天皇を祭神に加えた1940年(昭和15年)の一連の造営時に建設され、東外廻廊とともに2002年(平成14年)に国の登録有形文化財に指定。
龍尾壇下の南内庭の東側を区切り、南で南歩廊から神門翼廊までを結ぶ。西門・西外廻廊と完全な対称型を形成する。
総延長は約50mに達し、丹塗と緑の連子窓の組合せが印象的。
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神楽殿(結婚式場)(かぐらでん)
南内庭の東側に位置する入母屋造・碧瓦本葺・丹塗りの建造物。東回廊に接続し額殿とは左右対称をなす。
第121代孝明天皇を祭神に加えた1940年(昭和15年)の一連の造営時に建設され、2002年(平成14年)に国の登録有形文化財に指定。
催事の際に神楽や歌舞の奉納、筝曲などをを演奏する儀式殿の役割を持つほか、結婚式を行うこともできる。
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西門(章善門)(にしもん)及び西外回廊(にしそとかいろう)
境内南東側にある切妻造の門で、第121代孝明天皇を祭神に加えた1940年(昭和15年)の一連の造営時に建設され、西外廻廊とともに2002年(平成14年)に国の登録有形文化財に指定。
龍尾壇下の南内庭の西側を区切り、南で南歩廊から神門翼廊までを結ぶ。東門・東外廻廊と完全な対称型を形成する。
総延長は約50mに達し、丹塗と緑の連子窓の組合せが印象的。門をくぐった先にはお手洗所がある。
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額殿(がくでん)
南内庭の西側に位置する入母屋造・碧瓦本葺・丹塗りの建造物。西回廊に接続し神楽殿とは左右対称をなす。
第121代孝明天皇を祭神に加えた1940年(昭和15年)の一連の造営時に建設され、2002年(平成14年)に国の登録有形文化財に指定。
奉納された額や絵馬を掛けておく絵馬堂の役割を持ち、普段は参拝者の休憩所として用いられ、講演・演奏なども行われる。
献花展は平安神宮の崇敬付属団体「献花会」の各流派が輪番で献花奉仕して開催され、見学は自由・無料。
などの
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車祓所(くるまはらいしょ)
南内庭の西側に位置する額殿の北側に古札納所と並ぶようにある。
交通安全のお祓いが行われる場所。
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古札納所(こさつのうしょ)
南内庭の西側に位置する額殿の北側に車祓所と並ぶようにある。
古札を納めるいわゆる「納札所(のうさつしょ)」。
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昭和天皇御在位六十年記念歌碑(しょうわてんのう ございいろくじゅうねんきねん かひ)
1987年(昭和62年)に昭和天皇御在位60年を記念して竣工された句碑。
昭和天皇の御製歌「旅」の「遠つおやの しろしめしたる 大和路の 歴史をしのび けふも旅ゆく」を刻む。
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祈祷受付所
大極殿(外拝殿)の左側(西側)の階段を上った所にある祈祷を受け付ける所。
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朱印所
大極殿(外拝殿)の右側(東側)の階段を上った所にある朱印を受け付ける所。
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神苑受付(しんえんうけつけ)
大極殿(外拝殿)の左側(西側)にある神苑入場を受付けている所。
すぐ左手に神苑入口がある。
南神苑
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神苑入口(しんえんいりぐち)
境内の西側、白虎楼のすぐ北にある神苑への入口。
平安神宮神苑は明治から昭和を代表する作庭家・7代目小川治兵衛により20年かけて作庭された3万3千平方メートル(約1万坪)の池泉回遊式庭園。明治時代の代表的な日本庭園として1975年(昭和50年)12月に国の名勝にも指定されている。
大極殿などの社殿を取り囲むように東・中・西・南の4つの庭で構成され、琵琶湖疏水から引き入れイチモンジタナゴなどの珍しい生物が棲息するほか、桜や杜若、睡蓮や花菖蒲など四季折々の草花が楽しめる。
基本的に有料だが、6月上旬と南神苑「平安の苑」が開設された9/19の年2回のみ無料公開も実施されている。
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南神苑(平安の苑)(みなみしんえん(へいあんのその))
神苑入口を入って最初、境内の南西に広がる1700坪の庭。
1895年(明治28年)の平安神宮創建以来、八重紅枝垂桜の名所として親しまれてきた場所で、現在も京都を代表する枝垂桜の名所として知られている。
1969年(昭和44年)には孝明天皇百年祭の記念事業として、平安時代の特色である野筋(道筋)と遣水が設けられたほか、1981年(昭和56年)には往時の代表的文学書である「竹取物語」「伊勢物語」「古今和歌集」「枕草子」「源氏物語」に登場する草木、約180種類を植栽して、王朝文化を偲ばせる庭とされた。
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八重紅枝垂桜(里帰り桜)(やえべにしだれざくら)
神苑に入ってすぐの所に植えられているしだれ桜。
平安神宮創建の1895年(明治28年)に当時の仙台市長・遠藤庸平により寄贈されたものだが、元々は京都の近衛家に伝来した「糸桜」を津軽藩主が持ち帰って育てたもので、それが再び京都に帰ってきたことから「里帰り桜」とも呼ばれている。
文豪・谷崎潤一郎の小説「細雪」にも登場するなど、京都の春、そして神苑を代表する桜として人気が高い。
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チンチン電車
1895年(明治28年)1月31日に日本最初の交通輸送業電車として京都電気鉄道が運行した日本最古の電車で、1961年(昭和36年)7月に北野線が廃止されるまで永年「チンチン電車」の愛称で親しまれた。
平安神宮創建とも深い関係があることから京都市より払い下げを受け記念として保存されている。
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秋の七草(あきのななくさ)
秋の神苑にて楽しめる。
秋の七草とは「女郎花(おみなえし)」「尾花(おばま)」「桔梗(ききょう)」「撫子(なでしこ)」「藤袴(ふじばかま)」「葛(くず)」「萩(はぎ)」。
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東屋(あずまや)
南神苑の池の畔に位置。
「東屋」とは庭園や神苑、池の畔などに眺望や休憩などの目的で設置される簡素な建物のこと。
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春の七草(はるのななくさ)
春の神苑にて楽しめる。
春の七草とは「芹(せり)」「薺(なずな)=ペンペン草」「御形(ごぎょう)=母子草(ははこぐさ)」「繁縷(はこべら)」「仏の座(ほとけのざ)=田平子(たびらこ)」「菘(すずな)=蕪(かぶ)」「蘿蔔(すずしろ)=大根(だいこん)」で、1/7に食べられる七草がゆで有名。
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藤棚
南神苑と西神苑との境、茶室・澄心亭の入口前にある。
西神苑
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茶室 澄心亭(ちょうしんてい)
神苑内にある茶室で、1895年(明治28年)の平安神宮創建時に西神苑が作庭された際にその南西の一角の築山に建てられたもの。
観桜茶会のほか、平安神宮の崇敬付属団体「澄心会」により開催される月例の茶会「月釜」などの利用されている。
月釜は誰でも自由に参加できる(毎月第2日曜日・700円+神苑入園料が必要)。
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西神苑(にししんえん)
1895年(明治28年)の平安神宮創建の年に中神苑とともに造られた。
周囲を林に囲まれる静寂の中、白虎池を中心とした庭内には池の西側に出島、北側には神苑唯一の滝、西南には茶席「澄心亭」もある。
初夏に咲く池畔の花菖蒲で特に有名で、約200種類2000株が植栽されている。
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白虎池(びゃっこいけ)
西神苑の中心をなす池。名前は平安京の東西南北を守護する四神のうち西を守る白虎から。
初夏には池には蓮、池畔に花菖蒲と河骨、皐月などが楽しめる。
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花菖蒲
白虎池の池畔に多く生育するアヤメ科の花。
6月上旬から下旬にかけ伊勢系・肥後系・江戸系を中心に日本古来の品種ばかり200種・2000株が咲き競う。
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八ツ橋
花菖蒲が見頃を迎える6月上旬から下旬にかけ、白虎池上に架かる木製の風情ある橋。
見頃の時期には大変な行列ができることも。
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中神苑への林道
西神苑から中神苑へと向かう林道。
周囲は鬱蒼とした林に覆われ、道に沿うように小川が流れる。
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後門(こうもん)
西神苑と中神苑の中間、本殿の背後を区切る門。間口3mの一間棟門の門を中心に左右に透塀が延び総延長は90m、創建当初は総延長で114mに達していたという。
第121代孝明天皇を祭神に加えた1940年(昭和15年)の一連の造営時に建設され、透塀とともに2002年(平成14年)に国の登録有形文化財に指定。
設計は内務省神社局技師だった角南隆および谷重雄。
中神苑
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中神苑(なかしんえん)
西神苑と同様に1895年(明治28年)の平安神宮創建時に造られた。
庭の中央にある蒼龍池の東側の大島(珊瑚島)から北岸にかけ天正年間の三条・五条大橋の古石柱や梁を用い沢飛びができる「臥龍橋」が見所の一つ。
初夏には水面に睡蓮や河骨、池を囲むようにして杜若が群生し趣きに富んだ景観が形作られる。
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蒼龍池(そうりゅういけ)
中神苑の中核をなす池。名前は平安京の東西南北を守護する四神のうち東を守る青龍(蒼龍)から。
初夏には水面に睡蓮や河骨、池を囲むようにして杜若が見頃を迎える。
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地主社(じぬししゃ)
中神苑の北東に位置。大地主神(おおとこぬしのかみ)を祀り、鬼門鎮守・除災招福の神徳を持つ。
平安神宮創建の頃から境内の東北(鬼門)に鎮座し、当時から災難除けの信仰が篤く現在も参詣者が絶えないという。祭典は毎月1日。
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藤棚(ふじだな)
臥龍橋のそばにある。
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臥龍橋(がりゅうきょう)
蒼龍池の東側の大島(珊瑚島)から北岸にかけて架かる飛び石の橋。
神苑を手掛けた7代目小川治兵衛の手によるもので、龍が臥した姿を象ることから名付けられたものだが、龍の背に乗り池に映る空の雲間を舞うかのような気分を体験してもらう意図が込められているという。く
使用された石材は白川石で、1589年(天正17年)に豊臣秀吉が造営した三条大橋および五条大橋の橋脚だったもの。
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珊瑚島(大島)
蒼龍池の東側にある中の島で、臥龍橋の飛び石の間にある。
池の北岸から飛び石を渡っていき、中の島を経由して最後に再び飛び石を渡ると東神苑へと向かうことができる。
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睡蓮(すいれん)
蒼龍池の水面に咲く。
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杜若(かきつばた)
蒼龍池の臥龍橋の周囲を中心に1000株が群生している。
見頃は5月上旬から下旬にかけて。
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東屋(あずまや)
中神苑の蒼龍池の畔に位置。
「東屋」とは庭園や神苑、池の畔などに眺望や休憩などの目的で設置される簡素な建物のこと。
中神苑の東屋には野点傘が立ち、ジュースやかき氷、アイスクリーム、俵屋吉富の和菓子やわらび餅やおしるこなどを販売する茶店も併設されている。
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折鶴(おりづる)
中神苑の蒼龍池の畔、東屋の前にある光格天皇が愛し命名したという杜若。
白地に紫色の模様が入っているのが珍しく、千代紙で折った鶴をそのままそっと置いたかのような姿をしていることからその名がついたという。。
東神苑
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東神苑(ひがししんえん)
明治末期から大正初期にかけて造られ、東山を借景とした明治期を代表する名庭の一つ。
泰平閣(橋殿)および尚美館(貴賓館)は京都御所から移築されたもの。
春は池の周囲に咲く紅枝垂桜が水面に反射し風情ある景観を作り上げる。他にも椿や皐月の花も見事。
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栖鳳池(せいほういけ)
東神苑の中心を占める広大な池。
中国の伝説の仙郷「蓬莱山」を表しているという鶴島・亀島の二島を配し、池の中央を泰平閣(橋殿)が横断する。
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紅枝垂桜(べにしだれざくら)
栖鳳池の周囲も南神苑と並んで紅枝垂桜の名所として知られる。
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鬱金桜(うこんざくら)
うっすらと黄味がかった色が特徴
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馬酔木(あせび)
東神苑の栖鳳池の東側の通路沿いにある。
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藤棚(ふじだな)
東神苑の栖鳳池の東の畔、泰平閣(橋殿)のそばにある。
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泰平閣(橋殿)(たいへいかく(はしどの))
東神苑の栖鳳池に東西にかかる橋で、大正元年に京都御所から移築。
木造寄棟重層造、屋根は総桧皮葺で、二層の楼閣の頂上に青銅の鳳凰が聳えるのが特徴的。
尚美館(貴賓館)とともに神苑を代表する建築物で、散策路から桜や皐月などと一緒に撮影するのが人気。
中を通行することもできるほか、対岸の尚美館の景色を眺めながらゆったり休憩したり、橋から鯉などの生物に餌をやることもできる。
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尚美館(貴賓館)(しょうびかん(きひんかん))
東神苑の栖鳳池の西の畔に建つ建築物で、大正元年に京都御所から移築。
泰平閣とともに神苑を代表する建築物で、散策路から桜や皐月などと一緒に撮影するのが人気。
特に桜の時期には夜間拝観や紅しだれコンサートも行われ、隣に植えられた八重紅枝垂桜が池に反射する光景が何とも言えない幻想的な美しさ。
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結婚式控室玄関
東神苑にある結婚式入口。
一般の参拝者は立ち入り不可。
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斎館(さいかん)
東門および東外回廊の外側、東神苑の西側にある。
第121代孝明天皇を祭神に加えた1940年(昭和15年)の一連の造営時に建設され、2002年(平成14年)に国の登録有形文化財に指定。
廻廊内の丹塗の建物群とは趣を異にする近代和風建築で、唐破風造の玄関を備える。
斎館とは神職などが神事に携わる前に心身を清めるため籠る建物のことをいう。
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石柱
天正年間に豊臣秀吉が造営した三条大橋・五条大橋の橋脚だったもので、神苑内に50数個が保存され、中神苑の飛び石にも使用されている。
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神苑出口
境内東側にある神苑の出口。
門で出た所には授与所もあり、桜絵葉書、神宮銘菓「紅の雲(生八ッ橋)」、桜塩漬け「幸運の桜」、御神酒酒粕飴「ほろ酔い桜」はこの場所だけの特別授与とのこと。
社務所・結婚式場
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社務所入口
東参道の面する社務所への入口。
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社務所
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結婚式入口
東参道の面する結婚式会場への入口。
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百年祭記念殿
結婚式総合受付。平安神宮御鎮座百年祭記念事業記念殿として1993年(平成5年)に完成。
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平安神宮会館(披露宴会場)(へいあんじんぐうかいかん)
東神苑・栖鳳池の南池畔に位置。平安神宮御鎮座70年ならびに孝明天皇100年祭を記念し1969年(昭和44年)11月20日に竣工
。
外観は一部に池を取り込んだ高床式に宮殿建築を思わせる優美な和風形式で、ロビー全体に施された窓ガラスからは明治時代を代表する庭園で国の名勝にも指定されている神苑の景色が眺められる。
純和風的雰囲気の「迎賓殿」とシャンデリアが煌やかな「栖鳳殿」がある。
周辺
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平安茶寮
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京都市観光協会観光情報センター