京都市左京区田中上柳町にある叡山本線の駅、および左京区田中下柳町にある京阪鴨東線の駅で、京都大学吉田キャンパスへの最寄駅としてよく知られ、更に現在は京阪電車の京都方面のターミナルであり、また叡山沿線に点在する洛北の観光スポットへの玄関口にもなっている駅です。
「出町柳」は元々は鴨川右岸(西側・上京区側)の河原町今出川交差点付近一帯の俗称である「出町」と、鴨川左岸(東側・左京区側)の出町柳駅周辺の字である「柳」の2つの地名を組み合わせたものだといいます。
1925年(大正14年)9月27日、電力会社・京都電燈が経営する叡山電鉄平坦線の「出町柳駅」として開業したのがはじまり。
その後1942年(昭和17年)3月に戦時統制によって京都電燈が解散されるのを受け、同社の京都および福井での鉄道事業を分離・引き継ぐために「京福電気鉄道(嵐電)」が設立され、京福電気鉄道の叡山本線の駅となります。
この点、京都市内北部を東西に通る今出川通には1912年(大正元年)より京都市電の今出川線が設置されていて、出町柳駅のすぐそばにも1931年(昭和6年)9月に河原町今出川~百万遍間の開業に伴って今出川線の「加茂大橋駅」が設置され、京都市電と京福電鉄叡山本線の接続路線となっていました。
ところが自動車社会の到来に伴って1976年(昭和51年)3月31日に京都市電の今出川線が全線廃止されて市バスに転換されると、他の鉄道と接続しない孤立したターミナルとなり、京都市内中心部と直結する路線バスに乗客が流れて叡山本線・鞍馬線の利用客が一気に減少。
京福および京福を配下に持つ京阪グループの経営を圧迫する事態となったことから経営体制の見直しが図られ、1985年(昭和60年)7月に京福の全額出資で叡山電鉄株式会社が設立されると、翌1986年(昭和61年)4月1日には京福が叡山電鉄に叡山線の鉄道事業を譲渡する形で叡山電鉄の駅となります。
13年余りにわたって孤立したターミナルであった出町柳駅でしたが、1989年(平成元年)10月5日に京阪本線の三条駅から出町柳駅までの区間に京阪鴨東線が開通し、京阪の「出町柳駅」が開業すると、京阪電車と叡山電車が連絡することで利便性が飛躍的に高まり、乗客数も大幅に増加にもつながったといいます。
その後、叡山電鉄は1991年(平成3年)に株式の60%が京福から京阪に売却され、更に2002年(平成14年)3月には全株式が京阪に売却されて京阪の100%子会社となっており、このため京阪鴨東線の出町柳駅も叡山電鉄叡山本線の出町柳駅もいずれも京阪グループ傘下の駅となっています。
賀茂川と高野川が合流して鴨川となるY字部分の中心部の右側にある駅で、何といっても駅のすぐ南を通る今出川通を東へ進んだ百万遍付近にある京都大学吉田キャンパスの最寄駅としてよく知られています。
駅の東側にはその他に百万遍知恩寺や吉田神社などの寺社仏閣もありますが、現在は主に住宅地となっていて、京都大学の学生が多く住むアパートやマンションなども多いエリアです。
その一方で西側は高野川に架かる河合橋と賀茂川に架かる出町橋、そしてその中央は「鴨川三角州」とお「鴨川デルタ」とも呼ばれる高野川と賀茂川の合流点で、一帯は公園として整備されて市民憩いの場となっていますが、とりわけ毎年8月16日の夜に開催される「五山の送り火」の際には、駅前から送り火の一つである「大文字」がよく見えることから、多くの見物客が集まる送り火の鑑賞スポットとなります。
そしてその合流地点より北方には世界遺産の下鴨神社が鎮座し最寄駅となっていて、毎年5月15日に行われる京都三大祭の一つである「葵祭」においては京都御所を出発した斎王代を中心とした行列がこの付近を通って下鴨神社へと向かいます。
また今出川通と鴨川の交差地点に架かる賀茂大橋より西側の河原町今出川を進んだ先は、同志社大学の今出川キャンパスや京都御苑へと続いており、これらのスポットへのアクセスにも便利な駅となっています。
更に京阪本線・鴨東線と叡山本線・鞍馬専が繋がったことによって叡山の沿線にある八瀬・大原・鞍馬・貴船など洛北の景勝地へと向かう基点として、休日を中心に数多くの利用客で賑わうようにもなっており、とりわけ有名な「鞍馬の火祭」の開催時には入場制限が行われるほどの多くの利用客で溢れ返ります。
駅は京阪が島式ホーム1面2線を有する地下駅で、叡山電鉄は櫛型ホーム4面3線を有する地上駅。
また現在の駅舎は1993年(平成5年)6月24日に竣工した「京阪出町柳ビル」で、地上にある叡山の駅と、地下にある京阪への出入口が一体となった構造となっています。