京都市左京区川端通今出川上ル田中下柳町、賀茂川と高野川が合流して鴨川となる出町柳の南、鴨川東岸の川端通沿いにある浄土宗寺院。
1573年(天正元年)、念仏専修僧・魯道(ろどう)により開創。
創建当初は寺町荒神口(京都市上京区)にあり、浄土宗総本山の知恩院と縁が深く、本末制度が確立した際には知恩院の役番としての地位を占めていたといいます。
1671年(寛文11年)に「寺町の大火」の類焼により堂宇をことごとく焼失し、その後現在地に移り、1698年(元禄11年)に第7世・英誉(えいよ)により現在の本堂が再建されました。
幕末には若かりし頃の勝海舟(かつかいしゅう 1823-99)が海軍伝習生として長崎、神戸に向かう際、当寺を宿坊として使っていたといわれ、子母澤寛の歴史小説「勝海舟」にも当寺が採り上げられています。
古くは砂川と呼ばれた小川がこの付近で鴨川に合流していたことから、同じ浄土宗寺院である北隣の長徳寺、南隣の正定院とともに浄土宗の「砂川の三軒寺」の一つとして親しまれてきました。
本堂に本尊・阿弥陀三尊像を安置するほか、1854年(嘉永7年)に31世・省譽祐禅代により建立された地蔵堂に安置されている「世継子育地蔵尊」は、常林寺が建つ以前より古くからこの地に祀られて若狭街道を往来する人々の信仰を集めたといわれ、子授け、安産の信仰が篤いといいます。
また境内には「秋の七草」の一つである萩が約800株ほど植えられいて「萩の寺」として有名であり、初秋には滝のように長く枝垂れた枝先に紅白の萩の花が咲き乱れて境内一面を覆い尽くし、見事の時期には「萩供養」も行われます。
その他にも写経体験や念仏会体験、宿坊なども受け付けています。