京都府宮津市にある橋立真言宗(真言宗単立)の寺院。
山号は成相山(なりあいさん)といいますが、古くは「世野山」と称し、雪舟の「天橋立図(国宝)」(京都国立博物館蔵)には「世野山成相寺」の名とともに当寺が描かれているといいます。
本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)で「身代わり観音」「美人観音」として名高く、また「西国三十三所(西国三十三所観音霊場)」の第28番札所であり、霊場の中では最北端の寺院としても知られています。
成相寺は「日本三景」の一つである景勝地・天橋立の北、橋立を眼下に望む成相山(569m)の標高330mの山腹に位置し、橋立観音(はしだてかんのん)の別名。
元々は日本古来の山岳宗教の修験場だった場所で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてきました。
寺伝によれば、704年(慶雲元年)、文武天皇(もんむてんのう)がこの地の風景を賞し、勅願寺として真応上人(しんおうしょうにん)を開山に創建したと伝わり、また「華頂要略」「和漢三才図会」などは聖徳太子の開基で、施谷山成相寺としています。
また「今昔(こんじゃく)物語集」には観音霊場としての当寺の霊験が説かれているほか、「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」にも四方の霊験所として挙げられ、平安時代から修験の霊地として、また観音信仰の霊場として知られていました。
中世には50余りの堂塔が立ち並んでいましたが、鎌倉期以降は兵火や大火などで3度全滅し、近年も台風の被害に遭っていますが、その都度復興。
とりわけ1400年(応永7年)の山崩れでは境内の大半が破壊されてしまい、創建時には修験の道場として山のさらに上方にあった伽藍は現在地に移転されています。
現在の建物は天文(てんぶん)から文化(ぶんか)年間(1532~1818)にかけて再建されたもので、このうち本堂、鎮守堂、鐘楼が府指定文化財となっています。
本堂は1774年(安永3年)の再建ですが、厨子に安置された本尊の「木造聖観世音菩薩」は平安期のもの。
また雪舟作「天橋立図(国宝)」にも描かれた五重の塔は、鎌倉時代の形式をそのままに復元したもので、2000年(平成12年)に外観が完成しました。
2007年(平成19年)には野山真言宗から独立し真言宗単立寺院に。
2016年(平成28年)10月3日には、成相寺旧境内が国の史跡に指定されました。
願い事が必ず叶う(成り相う)お寺として有名なほか、秘仏の本尊・聖観世音菩薩は「美人観音」としても知られ、お参りすれば身も心も美しくなれると伝わり、また身代わり観音の伝説もある仏様です。
国指定の重要文化財や京都府指定文化財なども多数所蔵しており、寺宝としては
・兆殿司(ちょうでんす)筆の絹本着色紅玻璃(はり)阿弥陀(あみだ)像
・紙本墨書丹後(たんご)国諸庄(しょう)郷保総田数帳目録(以上、国重要文化財)
・鎌倉時代の鉄湯舟
・本堂内陣には名工・左甚五郎(じんごろう)作と伝える「真向(まむき)の龍」
が有名です。
境内から日本三景のひとつ「天橋立(あまのはしだて)」が一望できるのも魅力の一つで、成相寺から徒歩3分の「弁天山展望台」、車で5分の「仙台山展望台」からはパノラマの絶景が楽しめます。
その他の見所として、悲話を伝える「撞かずの鐘」、龍が棲むといわれ、奇怪な話の残っている「底なし池」、一願を一言でお願いすればどんな願いも叶えてくれる「一願一言地蔵」などが知られるほか、春は桜・しゃくなげ、秋は紅葉など花の名所としても人気を集めています。