京都市左京区岩倉幡枝町にある臨済宗妙心寺派の寺院。
山号は大悲山、本尊は聖観音で、幡枝小御所、幡枝茶園とも呼ばれています。
元は江戸初期の1639年に造営され、1655年(明暦元年)から1659年(万治2年)にかけて修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)が造営されるまで第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう 1596-1680)の山荘「幡枝離宮(はたえだりきゅう)」であった場所でした。
その後、修学院離宮が完成すると後水尾上皇の念願であった禅院を開創する機運が高まり、1678年(延宝6年)に園基任(そのもととう)の娘で後水尾天皇の生母・中和門院(近衛前子)に侍女として仕え第112代・霊元天皇(れいげんてんのう 1654-1732)の乳母となった圓光院文英尼(ぶんえいに 1609-80)を開基、室町時代の臨済宗の僧で妙心寺10世の景川宗隆(けいせんそうりゅう 1425-1500)を勧請開山として寺に改めたのがはじまりです。
霊元天皇より大悲、円悲の宸翰(しんかん)を、後水尾天皇より「圓通」の勅額を下賜され、また霊元天皇は勅願所としてしばしば御幸したといい、皇室の祈願所として庇護され、皇室ゆかりの殿舎である御幸御殿には後水尾天皇以降の歴代皇族の御尊牌も祀られています。
境内には本堂(方丈)や客殿、観音堂などの伽藍が建ち並び、このうち本堂に安置されている本尊・聖観世音菩薩(しょうかんのんぼさつ)は定朝(じょうちょう)の作と伝えられています。
そして一番の見どころとされているのが客殿の東側にある比叡山を借景に取り入れた「円通寺庭園」で、約400坪の枯山水式の平庭で、一面を杉苔に覆われ、大小40個余りの石は後水尾上皇が自ら配したといわれ、その周囲には高さ約160cmの山茶花(サザンカ)など50種類の樹木を混ぜて作ったという生垣を直線的にめぐらし、更にその背後に杉や檜(ヒノキ)の木立を通して背景にある雄大な比叡山の眺望を取り入れた美しい景色が広がっています。
この点、上皇は最も12年間もの歳月をかけ比叡山の眺望に優れた地を求めて、この幡枝に山荘を設けたといわれていて、借景庭園を代表する名園として国の名勝にも指定。
また2007年(平成19年)には高層マンション建築などの都市開発で貴重な借景が破壊されないように保護するための「京都市眺望景観創生条例」が制定されていますが、圓通寺は同条例の対象地となっていて、周辺区域では建築にあたり高さだけでなく屋根の形式なども制限され、借景の保護が図られています。
庭園では春は皐月(サツキ)、秋は紅葉、冬は雪景色と四季折々の風情を、客殿前に座って比叡山を眺めとともに静かにゆったりと楽しむことができます。