京都市左京区岩倉幡枝町、京都市北東の岩倉盆地の西の小高い丘の上に鎮座する神社。
第15第・応神天皇、およびその母である神功皇后を祀る八幡宮の一つで、旧幡枝村の産土神として信仰を集めてきた神社です。
平安中期、第59代・宇多天皇の894年(寛平6年)、新羅国の夷賦などが日本の西境を侵略しようとしていると噂されていた頃、都の中心にまで及んだという謎の地鳴りが起きるとともに里人に皇都および人民守護のためにこの地に鎮座するとの八幡神からの神託があり、そこで地鳴りの起こった山の頂上に男山の石清水八幡宮より八幡神を勧請し創建したのがはじまりとされています。
創建当初は一帯は「旗枝」と呼ばれ、また当社も「王子山八幡宮(おうじやまはちまんぐう)」と呼ばれていたといいますが、石清水八「幡」宮から「枝」分かれした分社との意味から「幡枝」と呼ばれるようになり、後にそれが神社名にもなったといわれています。
創建以来、地域の産土神として信仰を集めたほか、皇室の勅願所として代々の天皇から崇敬を集め、とりわけ後水尾天皇(1596-1680)は神田など数々の寄付を行うなど信仰が厚かったといい、現在も例祭で用いられる菊の御紋入りの御輿・吹散・御鉾などもこのような経緯で賜ったものであるといいます。
また鎮座地の南麓には「石清水」と呼ばれる清泉が湧き出たといい、桃山時代の名工・堀川国広(一条国広)は当社に上達を祈願し、その大願成就の印として1599年(慶長4年)に山の麓から湧き出る石清水の水を用いて名刀を鍛え、神扉に備えたといわれています。
後水尾天皇はその事を耳にし宮中にて閲覧すると、黄金作の御拵と唐裂の御太刀袋に納めて神社へと返し、当社ではこれを神宝の第一としたといい、その由緒から剣刀を鍛える多くの人々から信仰を集めたといいます。
この他にも本殿左、西側には全国的にも珍しい針を祀る「針神社」があり、毎年12月8日に行われる「針供養」では手芸や裁縫に従事する多くの人々が集まり、これまでお世話になった針の労を労うとともに、技芸上達が祈願され、嵐山の虚空蔵法輪寺の針供養とともに京都の年中行事としてよく知られています。
また祀られている金山毘古命・火牟須毘命・天麻禰命の三神が金属や火に関する神様であることから、手芸関係者だけでなく刃物や金物など金属関係者の方からも広く崇敬を集めるといいます。
そして針神社以外にも境内摂社として高おかみの神を祀る貴船神社があるほか、境内には末社として四社・十社などの拝殿が立ち並んでいます。
幡枝の地は年区画整理が行われたため、現在は新しい住宅が目立ちますが、以前は田畑が広がる地域で、毎年7月31日にはその頃を思い出させるように「大祓・虫送り行事」が執り行われるほか、その他にも10月23日に近い日曜日には「秋季大祭」が執り行われて氏子区域を神輿が巡行します。