京阪七条駅とは?(基本データ)
- 名前
- 京阪七条駅(けいはんしちじょうえき)
- エリア
- 東山七条
- ジャンル
- 建立・設立
- 1913年(大正2年)4月27日
1987年(昭和62年)5月24日、駅が地下化される - アクセス
- 駐車場
- -
- 拝観料
- なし
- お休み
- 特になし
- 拝観時間
- 時刻表に準ずる
- 住所
- 〒605-0000
京都府京都市東山区七条大橋東詰 - 電話
- 06-6945-4560(京阪電車お客さまセンター)
- FAX
- -
- 公式サイト
- 七条駅 京阪電車
七条駅 京阪おでかけナビ
鴨川に架かる七条大橋の東詰にある京阪本線の駅。三十三間堂や京都国立博物館など東山七条エリアへのアクセスに便利。 東山七条エリアは京都駅からだと市バスまたは徒歩でも20分と行けない距離ではないが、京阪沿線なら利用するのがおすすめ
京都市東山区七条大橋東詰、駅のすぐ西を流れる鴨川に架かる七条大橋の東詰、川端通と七条通とが交差する「七条大橋」交差点の直下にある京阪本線の駅。駅スタンプは七条大橋と京都タワー。
元々一帯には1910年4月15日の京阪電気鉄道(京阪)の京阪本線の開業に合わせて七条大橋の北側に架かる京の大仏へと続く正面橋の付近「大仏前駅」が開設されたほか、七条大橋の南側の塩小路橋の所にも「塩小路駅」が設置されました。
その後、京都市が七条通に京都市電を敷設することが決まると、乗換の利便性向上のため大仏前駅を廃止し、その翌日の1913年(大正2年)4月27日に七条通に面する形で「七條駅」が開業されました。
この点、塩小路駅については、1918年12月に旅客営業は廃止されましたが、1955年6月に廃止されるまで貨物輸送を行う貨物駅として存続しています。
また七条通を東西に走る京都市電の七条線については1912年(大正元年)11月21日に七条烏丸~七条大宮間が開業された後、翌1913年(大正2年)4月5日に妙法院前(後の東山七条)~七条内浜(後の七条河原町)が開業された際に「七条大橋駅」が設置されていて、京阪七條駅とは平面交差する連絡駅として活躍しましたが、1960年代末からの自動車社会の到来に伴って1978年(昭和53年)9月30日に七条線が廃止され市バスへと転換された際に七条大橋駅も廃駅となっています。
一方、京阪の七條駅は1943年(昭和18年)10月に戦時中の企業統合政策によって、京阪電気鉄道が阪神急行電鉄(現在の阪急)と合併するといったんは阪急の駅となりますが、戦後の1949年(昭和24年)12月に京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道が再び分離独立すると、再び京阪の駅となります。
そして1963年(昭和38年)4月15日に駅名表記が旧字体の「七條駅」から新字体の「七条駅」に変更された後、1935年(昭和10年)に発生した「鴨川水害」を受けた戦前から計画されていた鴨川の洪水対策および自動車社会の到来に伴う東大路通と河原町通の混雑緩和のための川端通の新設などの都市計画を受けて地下化工事が進められ、1988年(昭和63年)5月10日に竣工し地下駅となるとともに、地上線の跡には川端通が開通し現在に至っています。
現在は相対式ホーム2面2線を有する地下駅で、駅の東側は三十三間堂、法住寺、養源院や豊国神社、方広寺、智積院、新日吉神宮といった寺社仏閣をはじめ京都国立博物館や京都女子大学(京女)のキャンパスなどがある文化ゾーンとなっており、観光客や学生の利用も多い駅となっています。
その一方で鴨川を挟んだ駅の西側は京都の玄関口である京都駅まで約1.2km、約15分程度の徒歩圏内の距離にあり、JR・地下鉄・近鉄の各京都駅とも乗り換えが可能な利便性の高い駅です。
交差点南西、七条大橋東詰南側
階段
有料駐輪場
交差点南東
階段
交差点北東
エレベーター
交差点北東
エスカレーター
交差点北東
階段
交差点北西、七条大橋東詰北側
エスカレーター
交差点北西、七条大橋東詰北側
エレベーター
交差点北西、七条大橋東詰北側
階段
改札外
改札内
宮永理吉作の壁画
西脇友一ほか作の陶板レリーフ
三条・出町柳方面のりばと淀屋橋・中之島方面のりばを行き来できる
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