京都市東山区茶屋町、東山七条の北西角にある国立の博物館。
独立行政法人「国立文化財機構」が運営し、「京博」の愛称で親しまれています。
1889年(明治22年)の図書寮附属博物館(ずしょりょう)の廃止に伴い、新たに東京に帝国博物館、そして文化財がとりわけ多い京都と奈良についても「帝国京都博物館」「帝国奈良博物館」がそれぞれ設置されることになります。
そして「帝国京都博物館」は赤坂離宮のなどの建築で知られる片山東熊(とうくま)の設計により、1892年より工事が始まり1895年に竣工(しゅんこう)、諸準備を経て1897年(明治30年)5月1日に開館しました。
1900年(明治33年)の官制改革により「京都帝室博物館」と改称するとともに宮内省の所管となり、更に1924年(大正13年)の皇太子(後の昭和天皇)の成婚に際して京都市に下賜され、「恩賜京都博物館」と改称するとともに京都市の経営となります。
そして第二次世界大戦後の1952年(昭和27年)に再び国に移管されて文化庁の前身である文部省文化財保護委員会の所管に移り、現在の「京都国立博物館」に改められ、1968年(昭和43年)の文化庁の発足と同時にその付属機関となりました。
更に2001年(平成13年)4月の中央省庁改編に伴い、文化庁所管の独立行政法人に移行し独立行政法人国立博物館、2007年(平成19年)4月からは独立行政法人「国立文化財機構」の中の組織の一つとなっています。
1897年(明治30年)の開館の際に建てられた「本館(陳列館・明治古都館)」は現在も現役で、フランスの17世紀のバロック様式を取り入れたレンガ造りの見事な外観が特徴的です。
表門や同札売場および袖塀(そでべい)とともに明治期の洋風建築を代表する建築物として「旧帝国京都博物館」の登録名で1969年(昭和44年)に重要文化財にも指定されています。
またその本館の西側にある「新館」は森田慶一(1895-1983)の設計による建物が1965年(昭和40年)に完成、1966年10月より開館した後、2009年(平成21年)に建て替えが始まり、世界的建築家・谷口吉生(よしお)の設計による建物が2013年(平成25年)8月に完成。
翌2014年(平成26年)9月より開館し「平成知新館」と命名されました。
この点、新たな新館である「平成知新館」は地上3階、地下1階の建物で、シャープでモダンなデザインが特徴的なほか、延べ面積は1万7997平方メートルあり、現在は平常展示館として使用されています。
一方「本館(明治古都館)」の方では、年数回の特別展覧会が開催されています。
これらの展示館の正面には関口太郎(えいたろう 1896-1981)の設計による庭園がありますが、庭園内には噴水のある円形の池のほか、池の東側にはロダンの彫刻「考える人」の像が置かれており、博物館のシンボル的存在にもなっています。
そして正門側からレンガ造りの本館と噴水をバックにこのロダンの像を写す構図は実に趣があり、博物館の紹介写真としてよく使用されています。
また敷地内にはこの他に、「文化財保存修理所」や「技術資料参考館」、茶室「堪庵(たんあん)」などの施設があります。
彫刻・絵画・書・染織・陶磁器・工芸品などの古美術品や、考古美術資料を数多く所蔵し、これら文化財の収集・保管・展示を行うとともに、文化財に関する研究や教育・普及活動なども行っています。
この点、展示は平常展示のほか、特別展も1年に2~4回行われていますが、この他に1969年(昭和44年)と1976年(昭和51年)の2度の「日本国宝展」を開催しており、2017年(平成29年)には博物館創立120年を記念して41年ぶりに3度目となる「国宝展」も開催されました。
一方、所蔵品については日本をはじめ中国など東洋の名品もありますが、京都にあるという地域特性上、とりわけ京都に都が置かれていた平安から江戸期にかけての京都の文化を中心とした文化財が多く、また京都の社寺からの仏像や襖絵、屏風絵などの寄託品も多いのが特徴です。
有名なものとしては「十二天画像」「餓鬼草紙」、雪舟「天橋立図」、そして俵屋宗達「蓮池水禽図」などの国宝をはじめ、約1万点を収蔵しているといいます。
休館日は毎週月曜と年末年始で、マスコットキャラクターには尾方光琳の描いた虎をモチーフに作られた「トラりん」がおり、土日を中心に館内に出没し人気を集めています。