京都市の東側を南北に流れる鴨川の七条通に架設された橋で、現在鴨川に架かる橋の中では最古となる橋になります。
いつ頃から架けられていたかなど詳しい経緯は不明ですが、江戸初期の1654年(承応3年)の「新版平安城東西南北町井洛外之図」には、鴨川に架かる11の橋の一つとして記載されているといいます。
また江戸後期の1780年(安永9年)に出された「都名所図会(みやこめいしょずえ)」の巻2では、伏見稲荷の「稲荷祭」の神幸行列が、鴨川に架かる七条大橋を渡り西詰にある松明殿稲荷神社の前を通っている様子が描かれています。
この点、松明殿稲荷神社(田中社)は伏見稲荷大社の境外末社で、元々は黒門通塩小路下るにありましたが、その後七条東洞院などを経て、1711年(宝永8年)に現在地の七条大橋西詰に移ったとされています。
「稲荷祭」の神幸祭では伏見稲荷を出発した後、伏見街道を北上し、鴨川を渡って七条通を西へ進み現在の京都駅の西にある御旅所に向かうのですが、この際に同神社の氏子が社前に松明(たいまつ)を灯して七条河原で5基の神輿基を迎えたという古例があることから「松明殿」の名で呼ばれるようになったといいます。
現在の七条大橋は1911年(明治44年)11月に着工し、1913年(大正2年)4月14日に完成・開通したものです。
明治30年代に入り、西郷隆盛の長男でもあった第2代京都市長・西郷菊次郎が積極的な都市改造の必要を訴え、
①水と電力の需要増大に対応しうる「第二琵琶湖疏水」の開削
②その第2疏水で得られる水を用いた「上水道」の整備
③大量輸送機関である「市電の開通」と「幹線道路の拡幅」
という「京都市三大事業」を提唱し、明治中期から大正初期にかけて事業が推し進められることとなりました。
このうちの③の事業計画に従って市電を敷設するために、丸太町通・四条通、烏丸通・今出川通・東大路通・七条通・千本通・大宮通が拡幅され、更に丸太町橋と四条大橋と七条大橋が、道路の拡幅に合わせて架け替えられることとなり、市電の荷重に耐えられる頑丈で近代的な橋へと生まれ変わることになります。
この七条通の拡幅に伴って新しく作られた七条大橋は、設計を東京帝国大学教授・柴田畦作(しばたけいさく)、意匠設計を森山松之助と山口孝吉が担当し、日本初の鉄筋コンクリート造のアーチ橋で、橋長が約112mもある巨大な6連の橋だったといいます。
そして同月には京都市電七条線、更には七条大橋東詰に京阪の「七条駅」も開通しています。
この点、京阪本線は開業当初は、七条大橋の北側の正面橋付近に「大仏前駅」、南側の塩小路橋付近に「塩小路駅」がありましたが、七条通を拡幅し市電が敷設されることが決定したため、市電との乗り換えの便を図るために2つの駅を廃止し、代わりに「七条駅」が設置されることになりました(橋上を通過していた市電七条線は1978年9月に廃止されている)。
その後、1935年(昭和10年)6月29日に京都を大水害が襲い、死者12名、浸水家屋2万4千棟以上という未曾有の被害をもたらしましたが、この際に鴨川に架けられていた橋のうち、三大大橋のうちの三条大橋と五条大橋を含む数多くの橋が押し流され、被害がなかったのは市電網の整備のために永久橋として鉄筋で造られた北大路橋、加茂大橋(賀茂大橋)と七条大橋の3つだけだったといいます。
そしてこの水害を契機に鴨川の近代的な治水が始まり、翌年の1936年(昭和11年)から1947年(昭和22年)にかけて、鴨川の約17.9kmと高野川の約5.2kmの改修が行われ、現在の鴨川の形がほぼ形作られたといいます。
更にこの時に計画されていた京阪電車と琵琶湖疏水の地下化は、戦争の混乱等により一時中止となっていましたが、1987年(昭和62年)に京阪電車および疏水の地下化が完成したことを受け、河道拡幅・護岸整備などの改修が1992年(平成4年)から着手されることとなり、元々は三条京阪までだった川端通が、地下化によって生じた土地を使って七条通の南の塩小路通まで延長されました。
これによって現在七条大橋の東詰は川端通と七条通の交差する交差点となっており、その地下に京阪七条駅があります。
そしてこの際に七条大橋も疏水上の1径間が撤去されて長さ約82mの5連の橋になったほか、完成当時にあったものの戦時中の金属供出のため木製やコンクリート製に替えられていた高欄が、七条大橋の近くにある三十三間堂で毎年成人の日前後に開催される「通し矢」をイメージした矢車模様のものに改修されています。
新成人(20歳)が晴れ着姿で弓を射る行事であることにちなみ、2面の的にそれぞれ10本の矢が向かっている様子がデザインのコンセプトだということです。
現在、北大路橋と加茂大橋は1933年(昭和8年)に新造され、四条大橋も昭和10年の水害で流失こそしなかったものの大きなダメージを受けたため、1942(昭和17)年に架け替えられており、七条大橋は鴨川に架かる橋の中で現存する最も古い橋となっています。
そして2008年(平成20年)には「黎明期のRCアーチの中で群を抜いて巨大であり、また同時期に架けられた丸太町橋と四条大橋はいずれも建て替えられて現存せず、鴨川筋において明治期の意匠を残す唯一の橋として貴重な施設である」との理由で「土木学会選奨土木遺産」に認定され、更に2018年(平成30年)11月には国の登録有形文化財にも答申されました。
現在の七条大橋は、西側の京都駅方面と東側の三十三間堂、智積院、妙法院、京都国立博物館を結ぶ橋として、市民のみならず京都を訪れる観光客などにも広く利用され親しまれています。