市指定天然記念物かすみ桜が有名な弓削道鏡ゆかりの寺
国道162号線沿線の曹洞宗寺院。711年行基が弓削寺として創建し聖武天皇勅願で薬師七重塔が建立されたことも。
藤原時代の仏像3体など寺宝も多く境内には伽藍を整備した弓削道鏡の供養塔も。
樹齢380年超のかすみ桜は市指定天然記念物で常照皇寺九重桜とともに京北の二大桜。アジサイやハスも見所
福徳寺(弓削寺)のみどころ (Point in Check)
京都市右京区京北下中町寺ノ下、右京区北部の京北地域、国道162号(周山街道)と477号が交わる周山の交差点から国道162号線を北へ約4.5kmほど進んだ右手にある曹洞宗の寺院。
奈良の平城京に都が遷された翌年の711年(和銅4年)、東大寺を建立し奈良の大仏を造立したことで知られる第45代・聖武天皇(しょうむてんのう 701-56)の勅願により奈良時代を代表する僧・行基(ぎょうき 668-749)が法相宗寺院として開創。
当時は現在地から北へ数百メートルの大谷口にあったといい、その後、薬師七重塔を建立するなど僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう 700?-72)によって七堂伽藍が整備され「弓削寺(ゆげでら)」と呼ばれていたと伝えられている。
その後1396年(応永3年)に焼失し、いったんは再建されますが、1579年(天正7年)に戦国武将・明智光秀(あけちみつひで 1528?-82)が周山城を築くにあたり、寺を破却して城の用材としたため廃絶。
江戸初期の1615年(元和元年)に寺の南西に伽藍を構える曹洞宗寺院・永林寺の2世住職・居山桂宅が禅庵として再興し「冨春庵」と称し、1882年(明治15年)に現在の寺号である「福徳寺」に改称し現在に至っています。
現在の本堂は1779年(安永8年)に火災で焼失後、翌1780年(安永9年)に再建されたもので、また寺宝を多く所蔵しており、藤原時代(平安末期)に製作された木造の薬師如来座像、持国天立像、増長天立像は1950年(昭和25年)に国指定の重要文化財に指定されていて、収納庫に保管され事前に連絡すれば見学できるといいます。
この他にも京北でも有数の桜の名所として知られていて、境内には大きな桜が数本あり、中でも本堂前庭の枝垂桜は樹齢400年、一重の彼岸枝垂で白色に近い薄い紅色をしており、地元では「かすみ桜」の名称で親しまれて寺のシンボル的存在となっています。
また「福徳寺のサクラ」として京都市指定の天然記念物にも指定されており、常照皇寺の九重桜とともに京北の二大桜として有名となっています。
また「弓削寺」の通称で呼ばれているように弓削道鏡ゆかりの寺院でもあり、境内左手背後の「五輪塔」は弓削道鏡の墓ともいわれているほか、寺の南側には「弓削」の名が地名として残されています。