神護寺の一院を移転し創建、しだれ桜で有名な京北の寺
仁和寺を本山とする真言宗御室派。空海が真言密教の道場とした高雄・神護寺に1069年一院として創建された宝泉院を1356年心蓮がこの地に移転し新たに宝泉寺として開創。本尊は十一面観世音菩薩で病気平癒にご利益。
周山のやや西の山間にひっそり佇み花菖蒲と紅しだれ桜で有名、桜まつりも開催される
宝泉寺のみどころ (Point in Check)
京都市右京区京北下熊田町東旦、京北にある仁和寺を総本山とする真言宗御室派の寺院。
弘法大師空海が真言密教の根本道場とした高雄の神護寺に平安中期の1069年(延久元年)に塔頭寺院として建てられた「宝泉院」がはじまり。
その後神護寺は荒廃しますが、平安末期の真言宗の僧・文覚(もんがく 1139-1203)により再興されています。
この点、文覚は元々は北面の武士で遠藤盛遠(えんどうもりとお)と称していましたが、同僚・源渡の妻・袈裟御前(けさごぜん)に恋をし、誤って殺してしまったことを悔いて出家し、諸国の霊場で苦行を重ね、後に神護寺再興を後白河法皇(ごしらかわほうおう)に強訴したため伊豆に流されたが、そこで源頼朝(みなもとのよりとも)と知り合い、その挙兵を助けたことで信任を得、頼朝が鎌倉幕府を開いた後には神護寺を復興を成し遂げたほか、東寺の復興にも尽力しています。
頼朝の没後は謀議を図ったとして佐渡や対馬などに流され、最後は九州で没しするという波乱万丈の人生を送った人物で、その伝承は「平家物語」などにも記されており、浄瑠璃や歌舞伎の題材にもなっています。
その後南北朝時代の1356年(延文元年)に心蓮が母親の病気平癒を祈願するため、神護寺の塔頭であった宝泉院を下熊田村に移し、十一面観音を本尊として寺号を現在の「宝泉寺」と改め、以来、病気平癒に格別の霊験のある寺院として人々の信仰を集めています。
現在は真言宗総本山である仁和寺の末寺として年中行事や教化活動を通じ地域に広く貢献し、毎年7月の土用の日には宝物の虫干しと大般若経祈祷会が行われているほか、常照皇寺や福徳寺(弓削寺)など他の京北地区の名所とともに「京北桜100選」に選ばれるなど、遅咲きの桜の名所として知られています。
天を突く巨大な「京紅しだれ桜」をはじめ本堂裏山の広大な庭では大小約20本の紅枝垂桜が咲き誇り、毎年4月20日前後の1週間には「桜まつり」も行われ、バザーや、四国八十八カ所霊場お砂踏み巡拝、秘法お砂灸、写経体験などもでき、多くの参拝者で賑わいます。