京都市左京区松ヶ崎、五山の送り火「妙法」の「法」の字が灯る標高187mの松ヶ崎東山(大黒天山)の麓にある日蓮宗の寺院。
山号は松崎山。本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏および大黒天。
松ヶ崎においては鎌倉時代の1294年(永仁2年)、日蓮宗の開祖・日蓮の弟子である日像が京都で布教を開始し、1306年(徳治元年)には松ヶ崎全村が日蓮宗に改宗され「松ヶ崎法華」と呼ばれました。
そしてこの改宗の際に、日像上人が自ら杖を持って松ヶ崎西山に「南無妙法蓮華経」の題目から「妙」の字を書かれ、後に日良上人が東山に「法」の字を書かれたのが「五山の送り火」の妙法の起源と伝えられています。
妙円寺の背後の山では、毎年8月16日に「孟蘭盆会」の行事として「五山の送り火」の「妙法」の2字のうち「法」の送り火が灯されることで知られています。
妙円寺は江戸初期の1616年(元和2年)、本涌寺(松ヶ崎檀林、現在の涌泉寺)内に建てられた日英(本覚院)の隠居所にはじまると伝えられ、松ヶ崎の地にあり七福神の一神である大黒天を祀ることから、京都の人々からは「松ヶ崎大黒天」の通称で親しまれています。
この点、「大黒天」は元々はインドのヒンズー教の神・シヴァ神の異名で、その後、天台宗の開祖・伝教大師最澄が比叡山に祀ったのを皮切りに日本の仏教に取り入れられて真言宗や天台宗などで信仰され、更に室町期以降は大国主命とも習合し、食物・財福を司る「七福神」の一神として恵比寿、毘沙門天、弁財天、寿老人、福禄寿神、布袋尊とともに広く親しまれるようになりました。
江戸時代には米俵に乗り福袋と打出の小槌を持ち、ほほ笑みを浮かべるおなじみのスタイルが定着し、その姿から福徳の神(福の神)、商売繁盛・財運向上・除災招福などのご利益のある神様として広く信仰を集めています。
また日本民家の中央部にあり家を支えている柱のことで、転じて一家やチーム・団体・集団の支えとなっている人のことを表す「大黒柱」の語源になったともいわれている神様です(諸説あり)。
そして「大黒堂」に祀られている本尊の「大黒天像」は伝教大師最澄の作で日蓮が開眼したともいわれ、京都の表鬼門に位置することから古くより開運招福の福神として知られ、1969年(昭和44年)の火災でも無事だったため「火中出現の大黒天」とも呼ばれていて、60日に1度、年6回訪れる「甲子」の日と正月初子の日などに開帳され、当日は縁日も開かれて境内は賑わいを見せます。
この他にも大黒堂前の米俵の上に座る「なで大黒」は体の悪いところをなでて祈願すると病気平癒のご利益で人気を集めているほか、「都七福神」「京都七福神」「京の通称寺霊場」などの札所としても知られている寺院です。近年では京都アニメーション(京アニ)の「けいおん!」の第22話「受験!」に登場し、アニメファンの聖地巡礼地の一つにもなっているようです。