京都市東山区泉涌寺山内町、真言宗泉涌寺派大本山である泉涌寺(御寺)の山内塔頭寺院で、本尊は不空羂索観音。
寺伝によれば、鎌倉末期の1326年(嘉暦元年)、無人如導によって泉涌寺山内に創建。
創建の経緯や詳細は不明なものの、「古伽藍図」にもその名が見られるといいます。
室町時代に「応仁文明の乱」により焼失した後、江戸初期の泉涌寺の再興と前後して各塔頭とともに整えられたといい、その後1664~1665年(寛文4~5年)頃に江戸幕府及び駿州田中城主・本多正貫、そして同夫人の支援を得て、覚雲西堂の手により現在地に再建。
以来、駿州田中城主・本多家の京都における菩提寺となり、本多家当主の位牌は幕末まで当院に安置されることとなりました。
現在の本堂は孝明天皇の女御にして明治天皇の嫡母であった英照皇太后(えいしょうこうたいごう 1835-97)の御大葬の御須屋(御陵や墓をつくるときに、工事の間に覆いとして設ける仮小屋)を賜ったもので、また書院は伏見城の遺構の一部ともいわれています。
本尊・不空羂索観音菩薩(ふくうけんじゃくかんのんぼさつ)は3つの目と8本の腕を持つ一面三眼八臂(さんがんはっぴ)の姿をしていて、あらゆる人を難から救う羂索と呼ばれる投げ縄を持っているのが特徴。
生きている間は病気がなく、財宝を得、水難火難を除き、人々に敬われ慈悲の心で暮らすことができるなどのご利益が得られ、また死に臨んでは苦しみなく浄土に導かれるなどのご利益が得られるといいます。
そして「洛陽三十三所観音霊場」の第25番札所としても広く信仰を集めています。
また不空羂索観音は春日明神の本地仏であることから、共に鹿を使役とする春日明神と寿老人が境内に祀られているほか、狛鹿として神鹿の像も安置されています。
行事としては毎年1月の成人の日に行われる「泉山七福神めぐり」では、最終の第7番として七福神のうち健康長寿の神様として知られる「寿老人」が祀られ、多くの参拝者で賑わいます。
更にお経を書き写す「写経」の体験ができる寺院は多くありますが、当院は仏様の姿を描き写すことで仏と触れ合い功徳を頂くことができる「写仏(しゃぶつ)」体験ができることでも知られています。