大政奉還の舞台、家康が築城した江戸幕府ゆかりの城
世界遺産。1603年徳川家康が秀吉の聚楽第跡地に京都での拠点として建築。1626年に3代家光が伏見城の遺構を移築し現在の姿に。
大坂の陣の契機となった二条城会見や大政奉還など歴史の舞台にも。
鶯張りの廊下で有名な国宝二の丸御殿、特別名勝の二の丸庭園が見所。梅や桜など四季の植物も楽しめる
二条城のみどころ (Point in Check)
京都市中京区二条城町、市街地中心部に築かれた平城で、修学旅行生や外国人観光客にも人気の高い、京都を代表する観光スポットの一つとして知られています。
江戸幕府を開いた徳川家康が1603年(慶長8年)に京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営。
その時は二の丸御殿と天守部分だけでしたが、1624年(寛永元年)に3代将軍・徳川家光により「寛永の大改修」が行われ、拡張された城域の西側に本丸御殿および天守閣が整備されて現在の規模となりました。
その後も徳川幕府における京都の拠点の役割を担い、家康の将軍就任や大阪の陣のきっかけになった家康と豊臣秀頼との会見、さらには幕末の第15代将軍・徳川慶喜による「大政奉還」の舞台にもなり、江戸幕府の始まりと終焉を見届けた場所としても知られています。
二度の火災で天守閣や本丸御殿は焼失していますが、鶯張りの廊下で有名な二の丸御殿は現存し、桃山時代の武家風書院造の形態を伝える重要な遺構として国宝に指定。
天守閣は現在のところ再建されていませんが、本丸御殿は明治期に御所より移築され重要文化財に指定されてます。
城内全体が国の史跡に指定されており、明治期に作庭された芝庭風築山式の洋風庭園「本丸御殿庭園」、小堀遠州作庭の桃山様式の池泉回遊式庭園「二の丸御殿庭園」、さらに昭和期に作庭された和洋折衷の「清流園」の3つの庭園があり、このうち小堀遠州の二の丸庭園が国の特別名勝に指定されています。
現在は春にはしだれ桜の名所として有名なほか、早春の梅林、初夏のツツジ、サツキ、夏のしだれえんじゅ、秋には紅葉など四季折々の草花を楽しむことができます。
ちなみに京都地方気象台が観察する桜の標本木は城内北東角の緑の園内にあり、この木を基準に開花宣言が出されるほか、京都市内の紅葉の見ごろについても二条城のカエデが基準となっています。
イベントも多彩で春の桜のライトアップ、夏の京の七夕や秋の二条城まつり、各流派による大茶会などのほか、市主催のコンサートやイベントの会場として使用されたり、また近年では結婚式のほか、企業の会議や研修、展示会の会場などとして貸し出す事業も行われているようです。
1994年(平成6年)には「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコの世界文化遺産にも登録されました。
江戸幕府の始まりと終焉の場所
徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営
二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府を開いた徳川家康により、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営されました。
造営当時は現在の東側半分、二の丸御殿と天守部分だけでしたが、当時この場所にあった平安京時代の天皇の禁苑・神泉苑の境内の北側の一部が接収され、神泉苑の豊かな水源が利用されて堀が作られたといいます。
その後1626年(寛永3年)の後水尾天皇行幸に備えて、1624年(寛永元年)より3代将軍・徳川家光による大規模な城の改修「寛永の大改修」が行われます。
この際に廃城となった伏見城の天守が移築されたほか、西側に拡張され城域に本丸御殿が建設され、現在の規模になりました。
二度の火災
しかし江戸中期の1750年(寛延3年)、伏見城の遺構を移築した5層の本丸天守は落雷により焼失。天守はその後は再建されることはなく、現在は天守台の石垣だけが残るのみとなっています。
また1788年(天明8年)に市中で発生した「天明の大火」の際には飛び火で御殿や櫓など本丸御殿すべてが焼失しており、現在の本丸御殿は明治期に御所より移築されたものです。
江戸幕府の始まりと終焉の場所
二条城は徳川幕府における京都の拠点の役割を担った城で、家康は完成間もない二条城において将軍就任の祝賀式を行い江戸幕府を開きました。
また1611年(慶長16年)の家康と豊臣秀頼との会見もここで行われており、秀頼の成長ぶりに驚いた家康が徳川氏の天下が覆されるかもしれないとの危機感を抱き、豊臣氏を滅ぼすことを決意し、大阪の陣のきっかけにもなったといわれています。
その後3代将軍・徳川家光が1634年(寛永11年)に上洛して二条城に入城して以来、幕末の1863年(文久3年)に第14代将軍・徳川家茂が入城するまで約230年間将軍の入城はなかったといいます。
ちなみに家茂は1865年に再度上洛し第二次長州征伐の指揮を執るため大坂城へ移りますが、そこで病に倒れ1866年(慶応2年)夏に死去しています。
そして家茂の没後、第15代将軍・徳川慶喜が1866年(慶応2年)に二条城で将軍職を継いだ後、翌1867(慶応3年)に二の丸御殿大広間において「大政奉還」を発表しており、皮肉にも江戸幕府の始まりと終焉の場所となりました。
明治以降は京都府の府庁、皇室の離宮、そして京都市に下賜
明治期に入るとまずは明治新政府の政庁として使用され、1871年(明治4年)に京都府庁が置かれました。
その後1884年(明治17年)には宮内省が管轄する皇室の離宮「二条離宮」となり、1893年(明治26年)には京都御所の今出川門脇の旧桂宮邸より本丸御殿が移築されるなど大改修が行われています。
また1915年(大正4年)、大正天皇即位の儀式である大典の饗宴場として二の丸が使用されており、それに伴い南門や二の丸御殿の附属建物が増築されました。
その後1939年(昭和14年)に宮内省より京都市に下賜され「元離宮二条城」という名称となり現在に至っています。
豪華絢爛な桃山時代の建築様式を今に伝える国宝「二の丸御殿」
二度の火災で天守や本丸御殿は焼亡していますが、二の丸御殿は災害を免れて現存しており、絢爛豪華な建築と内装は桃山時代の武家風書院造の形態を伝える重要な遺構として国宝に指定されています。
狩野派の画家による二の丸御殿の障壁画(1016面)が重文にしていされているほか、諸大名が将軍に謁見する場面を再現した人形、鶯張りの廊下も見どころです。
公家風の瀟洒な旧桂宮御殿を移築した「本丸御殿」
本丸御殿は二度の火災で焼失しており、現在の建物は明治時代に入った1893~94年(明治26-27年)に京都御所にあった旧桂宮御殿を移築したもので、国の重要文化財に指定されています。
「本丸御殿庭園」「二の丸御殿庭園」「清流園」の趣の異なる3つの庭園
二条城は城内全体が国の史跡に指定されていますが、その城内には1896年(明治29年)に完成した芝庭風築山式の洋風庭園「本丸御殿庭園」、小堀遠州が作庭した豪壮な石組みの桃山様式の池泉回遊式庭園「二の丸御殿庭園」、さらに1965年(昭和40年)に造られた和洋折衷の「清流園」と趣きを異にする3つの庭園が存在しています。
このうち小堀遠州が作庭したと伝わる二の丸庭園は国の特別名勝に指定されています。
京都地方気象台が観察する桜の標本木もある桜の名所
二条城は桜の名所としても知られており、その数は50品種約400本。桜の園、清流園、城内西側の3つのエリアを中心に時期や場所によって様々な桜が楽しめることから人気を集めています。
見頃の時期に合わせてライトアップも行われており、箏曲の演奏や茶席、京の名産品展の出店などもあり、城内は華やかな雰囲気に包まれます。
また京都地方気象台が観察する桜の標本木が城内南西角の緑の園内にあり、京都の桜の開花宣言は二条城の桜の木を基準に出されることでも有名です。
二条城の施設案内
西の本丸御殿と東の二の丸御殿
城域はかつて平安京の大内裏があった場所の南東端と、その南にあった禁苑(天皇の庭園)である「神泉苑」跡とにまたがる場所に位置し、東西約500m、南北約400mの長方形の形をしています。
大きく分けると二の丸御殿のある東側と本丸御殿のある西側に分かれますが、上空から見ると西側の城域は東側に比べて南北の幅がやや狭くなっていることが分かります。
この南北の幅が狭くなっている西側部分が3代家光の時代に行われた寛永の大改修によって拡張された部分で、家康による造営当時は現在の東側半分のみでした。
現在の二条城は西側の明治期に旧桂宮御殿を移した本丸御殿(重要文化財)と家康時代に建造された豪壮な二の丸御殿(国宝)で構成され、本丸御殿には本丸庭園、二の丸御殿には二の丸庭園がそれぞれあり、これに加えて北側には清流園と呼ばれる庭園があります。
一般的な拝観順路
拝観受付は堀川通に面した東側にあり、南東にある東大手門から入場すると、まずは城内の南側を通ってまず唐門から二の丸に入場するのが一般的な拝観ルートになります。
その後二の丸御殿内を見学してから、庭園入口となっている冠木門をくぐって二の丸庭園を見学し、内堀の東側にかかる東橋を渡って本丸へと入場していきます。
本丸では本丸御殿、本丸庭園、さらに天守閣跡を見学し、その後内堀の西側にある西橋を渡って城内の西側へ出ると、目の前に休憩所があり、道は左右に分岐します。
この分岐を右に曲がるのが一般的な拝観ルートで、城内の北側をぐるっと回って東大手門へと戻ることができ、途中北側にある清流園や緑の園を見物したり、東側にある展示・収蔵館や休憩所・売店に立ち寄ることができます。
一方左へ曲がると城内の南側をぐるっと回って東大手門へと戻ることができ、途中南側にある梅林や桜の園などを見物していくことができます。
ただ明確に順路が決められている訳ではないため、東大手門をくぐった後に二の丸御殿へ行かずに北の展示・収蔵館や清流園、南の桜の園や梅林などに向かうこともできるようになっています。
東大手門・二の丸御殿
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東南隅櫓
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受付
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東大手門
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番所
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築地塀
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唐門
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二の丸御殿
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車寄
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遠侍
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式台
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大広間
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蘇鉄の間
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黒書院
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白書院
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釣鐘
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冠木門(庭園入口)
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二の丸庭園(八陣の庭)
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蓬莱島
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滝口
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蘇鉄
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二階廊下・溜蔵跡
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桃山門
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鳴子門
本丸御殿
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東橋
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内堀
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本丸楼門
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本丸御殿
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玄関
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書院
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台所
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雁之間
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御常御殿
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本丸庭園
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石段
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天守閣跡
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塀重門
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西虎口
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西橋
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休憩所
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旧二条城の石垣
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西南土蔵(米蔵)
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外苑
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梅林
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桜の園
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南中仕切門
苗園・清流園
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西北土蔵(米蔵)
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苗園
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北中仕切門
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和楽庵
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加茂七石
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香雲亭
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清流園
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清流園休憩所
緑の園・展示・収蔵館
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緑の園
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土蔵(米蔵)
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長屋門
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台所
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御清所
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収蔵庫
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展示・収蔵館
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休憩所・売店
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事務所
外堀
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外堀
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北大手門
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西門
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西南隅櫓
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二条城撮影所跡
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平安京跡 神泉苑 西端線
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平安京跡 神泉苑 東端線
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南門
関連
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旧二条城跡
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旧二条城の復元石垣