京都市北区雲ヶ畑出谷町、鴨川源流として知られる洛北雲ヶ畑の険しい山中にある真言宗系の単立寺院(岩屋山不動教の本山)。
山号を岩屋山(いわやさん)、寺号を金光峯寺(きんこうほうじ)といい、本尊として不動明王を祀ることから一般に「岩屋不動」の通称で呼ばれることも多いといいます。
寺伝によると、飛鳥時代の650年(白雉元年)に修験道の祖として知られる役行者(えんのぎょうじゃ)(役小角)が草創と伝わり、その後、平安初期の829年(天長6年)、鴨川の水源地を祈願し祀らなければ暴れ川である鴨川は治まらず都の平穏はないとして、弘法大師空海が、第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう 786-840)の勅願により再興しました。
皇室より崇敬を集めた要因としてはこの地が鴨川の水源地であることが大きく、鴨川が始まるとされる洞窟「神降窟(しんこうくつ)」の湧水を重要視し、水神を祀って清浄な鴨川の御用水を祈願したと伝わっています。
以来皇室の勅願所として崇敬が深く、1522年(大永8年)に後奈良天皇が天下静謐の祈願に諸堂開扉の詔を発し、その後勅願成就の御慶として「志明院」の晨額と「南無不動明王」の6字の晨筆の賜ったことからこれを寺号としたといいます。
度々の兵火や火災に遭い、現在の主要な建物は明治以降に再建されたもの。
とりわけ1831年(天保2年)の火災の際には山門を除くほとんどが焼失する悲運に遭いますが、幸いなことに本尊・不動明王は災厄を免れています。
そして「本堂」に安置されているその本尊・不動明王像は淳和天皇の勅願による弘法大師の直作と伝えられ、日本最古の不動明王像といわれていて、また奥の院である「根本中院」に安置されている眼力不動明王は第59代・宇多天皇の勅願により菅原道真が一刀三礼で手彫りしたと伝わる像で、秘仏として天皇が即位する際に勅使を迎え開扉されたといいます。
岩屋山全体が修験の山岳道場となっており、巨木に囲まれた豊かな自然にあふれた境内には諸堂が点在するほか、奇岩や怪石が多く、弘法大師空海が交流し鳴神上人が行場とした飛龍ノ滝や、歌舞伎十八番「鳴神(なるかみ)」において鳴神上人が龍神を閉じこめた所と伝承される「護摩洞窟(ごまどうくつ)」など多くの行場があるといいます。
そして志明院のもう一つの見どころが「京都市の天然記念物」に指定されている「しゃくなげ林」で、例年4月下旬から5月上旬にかけて見頃を迎え、見頃の時期と重なる毎年4月29日には別名「石楠花祭(しゃくなげさい)」とも呼ばれる「志明院大祭(しみょういんたいさい)」も行われ、柴灯大護摩が厳修された後、無病息災を祈願して火渡り行、終了後には供養の餅まきも行われます。
また作家・司馬遼太郎はまだ新聞記者だった頃の1948年(昭和23年)に当時は宿坊を営んでいたという志明院に宿泊し、その時に体験した奇怪な体験をエッセイ「街道をゆく (4) 洛北諸道」に記しており、後年、アニメーション監督の宮崎駿と対談した際にその話をしたことがアニメ映画「もののけ姫」の着想に結びついたといわれています。
霊場であるとの理由から、境内の山門から先は撮影や飲食、またペットの同伴などは禁止されており、荷物などは受付に預けて入山することになります。