京都市左京区大原古知平町、大原の里から若狭街道(国道367号)を更に北へ2kmほど上がった古知谷(こちだに)の山中にある浄土宗寺院。
江戸初期の1609年(慶長14年)3月、浄土宗の僧・木喰上人弾誓(もくじきしょうにん たんぜい 1552-1613)が如法念仏の道場として開山。
弾誓は尾張国海辺村(現在の愛知県)に生まれ、9歳の時に出家し、美濃国塚尾の観音堂に参篭した後、同国武芸の山奥にて念佛三昧の日々を送り、20余年の修行を積んだ後に更に諸国を巡って苦行修練を重ねた末、佐渡で修行中に阿弥陀の説法を感得。そして信濃国唐沢山および相模国塔ノ峰を経て、再び訪れたのが京都の古知谷(こちだに)で瑞雲がたなびくのを見て最後の修行地と定めたといいます。
長髪異相で肉食を避けて木の実や草のみを食べる木喰を実践しながら諸国を巡るという僧風は、浄土宗において寺院の俗化や僧侶の形骸化に慨嘆し、法然の念仏思想に立ち返ろうと静閑な地に道場を設けて隠遁生活を送り、一心に専修念仏に励んだ捨世派(しゃせいは)の一流と位置付けられ、「古知谷流」と呼ばれています。
印象深い中国風の山門をくぐり参道の坂道を登り切った先に「本堂(開山堂)」があり、堂内正面には本尊として弾誓上人像が祀られています。
この像は上人が自ら刻んだもので、更に自身の髪を植え込んだことから「植髪の像」と呼ばれ、現在もこの植髪は両耳の近くにすこし残っているといい、安産守護の信仰を集めているといいます。
本堂にはその他にも正面右脇に鎌倉期の作者不詳の作品で重要文化財に指定されている阿弥陀如来坐像が安置されているほか、また宝物殿には弾誓の遺品をはじめ、有栖川宮・閑院宮の両宮の祈願所とされた関係から皇室関係の品も数多く陳列されています。
そしてその本堂の背後にあるのが弾誓が入定する1年前に当時修行中の僧らに頼んで掘らせたと伝わる「巌窟」で、1613年(慶長18年)5月23日に即身成仏した弾誓のミイラ仏が今も端座合掌の姿勢のままで石棺に納められ安置されているといいます。
この他にも三千院をはじめとして紅葉の美しい場所の多いことで知られる大原ですが、中でも阿弥陀寺は江戸時代から紅葉の名所として知られていて、弾誓が独坐幽棲の地として選んだ当時と変わらない静寂と深い緑に覆われた境内には、秋には数百本の楓が赤く色づく壮観な景色が楽しめます。
中でも見どころなのは山門から本堂までの楓が約300本植えられている参道で、中国風の山門と美しい紅葉のコントラストが絶妙なほか、参道南側にある「古知谷カエデ」は樹齢800年から1000年ともいわれ、京都市の天然記念物に指定されています。
また5月上旬~下旬にかけては美しい新緑が楽しめるほか、京都府の絶滅危惧種に指定されている九輪草(くりんそう)が見頃を迎えます。赤紫、ピンク、白、黄色など、600株が可憐な花を咲かせます。