京都市左京区一乗寺の瓜生山の山中にあり、「タヌキダニのお不動さん」の名で親しまれる真言宗修験道大本山の仏教寺院。
自動車の交通安全と癌(がん)封じなどの難病平癒のご利益で知られており、また寺名にちなんで境内に数多くの狸の置物が見られることでも有名です。
794年(延暦13年)に平安京遷都が行われた際、桓武天皇の勅願で平安京の城郭の東北隅に鬼門守護として不動明王を祀ったのを起源とし、1249年(建長年間)に現在地の瓜生山の山頂近くの洞窟に安置されたとも伝わります。
不動明王は鬼門から入り込む悪鬼を叱る「咤怒鬼(たぬき)不動明王」と呼ばれて評判を呼び、江戸初期の1604年(慶長9年)には、剣豪・宮本武蔵が「一乗寺下り松の決闘」を前にこの地で滝に打たれて精神修業をし、己に克つ「不動心」を感得したといわれています。
江戸中期の1718年(享保3年)には木食養阿(木食上人)(朋厚房正禅)(もくじきようあ)が参籠修行の場としてこの地を選び、その後17年間の難行苦行の末に狸谷山修験道を確立。
本尊として新たに自ら刻んだ身の丈5尺の石造不動尊像の尊容は、かつて平安京の鬼門守護として祭祀された咤怒鬼(たぬき)不動明王と同じといわれ、その後は各地から参籠者が集まり修行場として繁栄しました。
その後明治の廃仏毀釈などで一度は荒廃しますが、狸谷山の法灯を護持しようと立ち上がった地元の有志の手により、現在「健康階段」と呼ばれている250段の石段などの寺域が整備され、1944年(昭和19年)に亮栄(りょうえい)を開山第1世貫主として招いて「修験道大本山一乗寺狸谷山不動院」として再興し現在に至っています。
また1947年(昭和22年)には山の斜面にある洞窟を囲むように「懸崖造」で「本堂」が造営されており、清水寺の清水の舞台を彷彿とさせる舞台からは京都の市街地を一望することができます。
境内では護摩焚きが盛んに行われており、正月3が日には「初詣大護摩祈願祭」、7月28日には「火渡り祭」が行われるほか、毎月1日の「おついたち」と3日・16日、そして28日の「お不動さん」の日にも午前11時より護摩が焚かれます。
「癌(がん)封じ」などの難病平癒のご利益で有名で、本堂前の柱は「願かけ柱」と呼ばれ体の悪い部位を丸で囲み平癒を祈願するお札がたくさん掛けられるほか、患部を御幣(ごへい)で撫でることで癌(がん)封じや難病除けになるという「なで御幣」の授与、更にお不動様の初縁日の1月28日には、「初不動」として「ガン封じの笹酒の接待」も行われます。
そして戦後の車社会の到来後は「自動車の交通安全」のご利益でも有名となり、麓の「交通安全自動車祈祷殿」では9時から16時まで30分毎に祈祷を行うほか、京都市内を走る車につけられているのをよく目にする「狸谷山」の名前の入ったオレンジ色のステッカーの授与も行っています。
他にも本尊・咤怒鬼(たぬき)不動明王の「たぬき」が「他抜き」、すなわち「他人を抜く」に通じることから、「商売繁盛」や「芸事上達」のご利益があるとされ、芸能人やスポーツ選手なども多く訪れているといいます。