京都市左京区一乗寺小谷町にある臨済宗南禅寺派の寺院。
山号は瑞巌山(ずいがんさん)。
本尊は運慶作と伝わる千手観世音菩薩坐像
「関ヶ原の戦い」の直後の1601年(慶長6年)、徳川家康が国内教学の発展を図るための文治政策として、下野足利学校第9代学頭・閑室元佶(かんしつげんきつ)(三要)を招いて伏見城下に学問所を開いたのがはじまり。
学問所が開かれると僧俗を問わず入学が許されたといい、開かれた校風は多くの学僧や絵師、墨跡文人たちを育み、日本文化の発展において大きな役割を果たしました。
その後、京都御所の北側にある相国寺山内に移った後、1667年(寛文7年)に一乗寺小谷町の現在地に移転。
明治維新でいったんは荒廃しますが、その後尼僧専門の修行道場として再興され、女人救済の場としても知られるようになり、現在は南禅寺派の研修道場として「坐禅会」なども実施されています。
また徳川家康の命により、日本における初期の活字本の一つである「伏見版」の印刷事業が行われたことでも知られ、「孔子家語(こうしけご)」「貞観政要(じょうがんせいよう)」「三略」など儒学・兵法関連の多くの書籍を刊行。これらの書物は「伏見版」ないし「圓光寺版」と称されました。
そして家康から贈られこれらの書籍の出版に使用された日本最古の木活字約5万個は現存しており、日本の出版文化の歴史を知る上で貴重な資料であるとして国の重文にも指定されています。
この他にも寺宝として、狩野孝信作で重文の「絹本着色開山元佶禅師像」や●紙本墨画竹林図屏風六曲 雨竹風竹屏風図(円山応拳作)は重文●。
庭園は山門を上ると枯山水の「奔龍庭」、そして更に中門を抜けると本堂前に池泉回遊式庭園の「十牛之庭」があり、このうち十牛之庭は、禅において悟りにいたる修行の過程の10段階を、牛を追う童子の様で10枚の絵に表現した「十牛図(じゅうぎゅうず)」を題材にして造られており、庭には十牛にちなんで牛に似た10の岩石が配されてているのが大きな特徴です。
また洛北で最も古いと言われる「栖龍池(せいりゅうち)」と、本堂前には妙音を奏でる「水琴窟(すいきんくつ)」もあるほか、楓と苔が美しいことでも有名。
とりわけ秋は紅葉の名所として知られ、燃えるような真っ赤な紅葉で包まれる庭園を書院から眺めると、敷居と柱を額縁代わりにまるで絵画のような「額縁紅葉」が楽しめることで人気を集めています。
また見頃の終盤には、地面いっぱいに敷き詰められた美しい「敷き紅葉」を楽しむことができ、シーズンを通して国内外から多くの参拝者が訪れます。
この他にも春の新緑の季節や、夏の百日紅の花も見事です。
境内の奥、竹林の中から続く遊歩道を進み、鐘堂を過ぎて階段を上った山上には、開基でもある徳川家康を祀った東照宮があり、裏山からは京都市内が一望できるほか、上から見下ろす形で「十牛之庭」を眺めることができ、また墓地内にはNHKの大河ドラマの第1作である「花の生涯」のヒロインとして知られる村山たか女や、広島の原爆で亡くなったマレーシア留学生サイド・オマール氏などの墓があることでも知られています。