京都市左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院で、松尾芭蕉や与謝蕪村の句碑、芭蕉庵がある俳諧ゆかりの寺として知られています。
山号は佛日山で、聖観音菩薩を本尊とする観音の霊場です。
清和天皇の時代の864年(貞観6年)、国家安泰、衆生教済の円仁(慈覚大師)の遺志を継いだ安恵僧都が創建し、円仁自作の聖観音菩薩像を安置したのがはじまり
創建当初は天台宗の寺院でしたが、後に荒廃していたものを江戸中期の元禄年間(1688-1704)に円光寺の鉄舟(鐡舟)によって再興した際に円光寺の末寺となり、臨済宗南禅寺派に改宗されました。
この点、この鉄舟は松尾芭蕉と親しかったとされており、芭蕉が京都を旅した際に庭園の東側にある草庵を訪れて風流を語り合い親交を深めたことから、後に「芭蕉庵」と名付けられました。
後に草庵は荒廃しますが、1776年(安永5年)に芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって再興され、しばしば当寺にて句会も開かれたといいます。
このような経緯もあり当寺は「俳諧の聖地」とされていて、本堂背後の丘には草葺きの芭蕉庵のほか、与謝蕪村ら近世の俳人の墓や句碑が数多くあり、蕪村、呉春、景文、中川四明、青木月斗、穎原退蔵とのゆかりも深い寺院です。
また舟橋聖一作歴史小説「花の生涯」や諸田玲子の「奸婦にあらず」のヒロイン・村山たか女ゆかりの寺として知られています。
この点、たか女は幕末に「安政の大獄」を断行した井伊直弼(いいなおすけ)の女スパイとして活躍した人物で、文久2年、「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺された後に勤皇の志士に捕らえられ三条河原で晒し者にされますが、3日後に助けられ金福寺に入寺しり尼僧となり、その後は直弼の菩提を弔いながら1876年(明治9年)までの晩年の14年間を過ごしています。法名は清光素省禅。
本堂では与謝蕪村と村山たか女の遺品が拝観できるほか、書院の庭園は皐月の築山と白砂の簡素な枯山水で、3段の生垣越しには素朴な趣の芭蕉庵の萱葺き屋根が見えるなど、俳味のある境内となっています。
四季折々の草花が楽しめることでも知られ、3月の紅梅とアセビの花、11月の山茶花(サザンカ)と紅葉が有名です。
中でも近くにある詩仙堂や円光寺とともに紅葉の名所として有名で、境内の各所、とりわけ「芭蕉庵」の周囲は美しい紅葉に彩られます。
また与謝蕪村の墓所や芭蕉庵のある境内の高台からは、紅葉越しに京都市街を一望することができます。