京都市左京区一乗寺葉山町、石山丈山が隠棲した洛北一乗寺の詩仙堂の前にある宗教法人悟心会が運営する寺院。
元々は昭和期に茶人としても知られた実業家・上田堪一郎(上田堪庵)(うえだたんいちろう(うえだたんあん) 1906-?)の別荘として使われていたもので、由緒ある住宅や茶室を移築し、好みに合わせて改修したものといいます。
上田堪一郎(上田堪庵)は京都の湯どうふ料理の老舗「順正」の創立者で、京都有数の古美術愛好家としても知られるほか、茶の湯を趣味とする風流人・数寄者として知られ、1978年(昭和53年)には茶道黌会(さどうこうかい)を設立し茶会を多く催したといいます。
また1958年(昭和33年)には江戸初期の京都における公家文化の伝統を受け継いだ数寄屋造の茶室「堪庵(たんあん)」を京都国立博物館に寄贈していて、現在も茶会等の利用に一般開放されています。
門前入口では明治・大正・昭和期に内閣総理大臣も務めるなど政治家として活躍した元老・西園寺公望(さいおんじきんもち 1849-1940)が幕末動乱の最中に国事に奔走中、新撰組の追手から難を逃れて京都府下の丹波須知村に隠棲した際の寓居に構えた長屋門を移築したという茅葺きの「正門」と門前の狛羊が参拝者を出迎えます。
そして門をくぐると高低差のある境内は木々に囲まれた回遊式の庭園のような形になっていて、その随所に京都の町家の格子によく見られる赤いベンガラ(紅殻・弁柄)の外壁が印象的な主屋や、正門同様に丹波須知村から移築された西園寺公望ゆかりの茶席「陶庵席」、日本や中国の古典に素材に幻想の世界を迫真的に描いた怪異小説「雨月物語」の作者として知られる江戸後期の文人で国学者の上田秋成(うえだあきなり 1734-1809)ゆかりの茶席「雨月席」、そして「幽扉席」といった茶室などの建物が点在し、それらを縫うように整備された細い参道のあちらこちらではその寺名の通りに百数体にも及ぶ数多くの石像や地蔵の「野仏」たちがひっそりとたたずんでいて、訪れる者の心を癒してくれます。
竹林や楓、山野草なども美しい静寂に包まれた境内では、野仏や野花を愛でつつ、時には堂内で茶菓子なども頂きながら、ゆったりと落ち着いた時間を過ごすことができ、またその一方で正門の東側に隣接する「不動明王堂」には凄まじい怒りの形相をした「降魔不動明王座像」が祀られていて、その力で諸悪や悩みの根源を焼き尽くし悩める人々を救済に導いてくれます。