紅葉の美しい参道で知られる修学院・山端の産土神
平安期に比叡山南西麓の赤山禅院付近に創建。応仁の乱後修学院離宮の山中を経て元禄年間に離宮造営のため現在地に。
神使の鷺が森に群集していたのが由来で木々に覆われた閑静な境内と桜や楓の美しい参道は森林浴や紅葉の名所。
霊元天皇行幸の御幸橋や縁結びの八重垣の石、5/5には奇祭さんよれ祭
鷺森神社のみどころ (Point in Check)
京都市左京区修学院宮ノ脇町、修学院離宮の南西300m、曼殊院の西300mの地点に位置する、修学院・山端地区の産土神として知られる神社。神号は鬚咫天王(すだてんのう)。
平安中期の貞観年間(859-77)の創建と伝わり、最初は比叡山麓、赤山明神(赤山禅院)の付近に祀られていましたが、「応仁の乱」の兵火で罹災し、現在の修学院離宮の山林中に移されたといいます。
その後、後水尾上皇による修学院離宮の造営のため再度移転することとなり、霊元天皇の思召しにより現在地の鷺の社に社地を賜り、元禄年間(1688-1704)の元禄2年6月に遷座。後水尾上皇も度々この神社を訪れたいわれています。
ちなみに「鷺森」の名は、神の使いとされる鷺がこの神社の森に多くいたことに由来したものです。
八坂神社と同じ素盞鳴尊(スサノオノミコト)を祀り、修学院、山端地区の産土神として厚く崇敬されてきた神社で、深い森に囲まれた閑静な境内には、荘厳な本殿のほか、安永4年建造の拝殿、手水舎、昭和42年造営の回廊や、離宮にゆかりの石碑や幸橋などが配置されています。
この他にも離宮御幸震記の御歌日記にある霊元天皇が詠まれた和歌「をりゐるを 見し鷺の森 すきかてに わけきて今日は むかふ神垣」の記念碑がありますが、文学博士吉沢義則が執筆揮毫したもの。
また触れると悪縁を切り、良縁が授かるという縁結び・夫婦和合・家内安全のご利益のある石「八重垣」があることでも知られていますが、これは素盞嗚尊が櫛名田姫神とともに出雲の地に至ったときに詠んだ和歌「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」にちなんで名付けられたものです。
閑静な森に覆われた境内は森林浴、また桜や楓の美しい参道は散策に最適で、とりわけ紅葉は地元の人以外は余り知られていない知る人ぞ知る穴場スポットで、本殿へと長く続く参道は、紅葉のトンネルへに包まれ、イロハカエデやイチョウなどが色づき、黄色から橙、そして赤色と紅葉のグラデーションを楽しむことができます。
行事としては毎年5月4日・5日に開催される例祭「神幸祭(さんよれ祭)」が有名で、5月5日の巡行では少年達が着物姿に紅たすき、菅笠姿で手には扇子を持ち「さんよれ、さんよれ」のかけ声で鉦、太鼓で神輿とともに氏子区域を練り歩く姿が印象的です。