大徳寺 芳春院

大徳寺 芳春院

 

 

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大徳寺 芳春院とは?(基本データ)

名前
大徳寺 芳春院(だいとくじ ほうしゅんいん)
エリア
紫野・鷹ヶ峯
ジャンル

寺社 茶室 紅葉 木蓮 桔梗 京の四閣

建立・設立
1608年(慶長13年)
創始者
[開基] 前田利家夫人・芳春院(まつ)
[開山] 玉室宗珀
宗派
臨済宗大徳寺派 大徳寺塔頭・北派
山号
 
本尊
釈迦牟尼仏
寺紋
加賀梅鉢
アクセス
  • 京都市営地下鉄烏丸線「北大路」駅下車 西へ徒歩約15分
  • 京都市営バス「大徳寺前」(1・12・急101・急102・204・205・206・北8・M1号系統)下車 徒歩約5分
駐車場
■大徳寺駐車場
├バス20台分 2,000円
└自家用車50台分 1時間まで500円、以後30分毎100円
拝観料
大人500円
中高生300円
小学生以下無料
お休み
通常非公開
11月に「秋の定期拝観」
拝観時間
9:00~16:00
住所
〒603-8231
京都府京都市北区紫野大徳寺町55
電話
075-492-6010
FAX
-
公式サイト
大徳寺 芳春院盆栽庭園 Twitter
芳春院盆栽庭園 Instagram

大徳寺 芳春院の地図

大徳寺 芳春院のみどころ (Point in Check)

京都市北区紫野大徳寺町、堀川北大路より約400m西に大伽藍を構える、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の20余りある塔頭寺院の一つで、加賀百万石の藩主・前田家ゆかりの寺院。
塔頭の中では最も北に位置する寺院で、本尊は釈迦牟尼仏。

江戸初期の1608年(慶長13年)、加賀百万石の礎を築いた戦国武将・前田利家(まえだとしいえ 1539-99)の正室で、2002年(平成14年)の大河ドラマ「利家とまつ 加賀百万石物語」の主人公としても知られる松子(まつ)(後の芳春院)が、大徳寺147世・玉室宗珀(ぎょくしつそうはく 1572-1641)を開山として建立。まつの法号である「芳春院殿花巖宗富大禅宗定尼」より「芳春院」と名付け、前田家の菩提寺としたのがはじまり。

この点、松子(まつ 1547-1617)は、尾張国海東郡沖島(現在の愛知県あま市)の出身で、篠原一計(しのはらかずえ ?-1549)の娘といわれていますが、地元では沖之島(愛知県あま市七宝町)の郷主・林日開常信の子で篠原主計の養女となったとする説もあるそうです。

まつの母と利家の母・長齢院(竹野氏)(ちょうれいいん ?-1573)とは姉妹であることから、利家とは従兄妹関係にあたり、幼くして父親が亡くなり母親が再婚することとなったため、母親の妹の嫁ぎ先である尾張荒子城主・前田利春(まえだとしはる ?-1560)に預けられて養育されることとなり、後に利春の子・前田利家の正室として12歳で結婚、利家との間には2男9女の11の子女をもうけたといい、その子孫の中には近代以降の皇室などに血脈を伝えている者もいるといいます。

学問や武芸に通じた才女であったといい、1583年(天正11年)の「賤ヶ岳の戦い」の際には柴田勝家方に与することとなった利家が敗走した際に、越前・府中城で羽柴秀吉と面会して和議を講じ、また1599年(慶長4年)の利家没後に起きた1600年(慶長5年)の「関ヶ原の合戦」に際しては直前に徳川の人質として江戸に下り、以後15年にわたる人質生活を送り、前田家の存続に尽力しました。

その後、長男で第2代藩主・前田利長(まえだとしなが 1562-1614)の死去後に金沢に戻り、その3年後の1617年(元和3年)に71歳で亡くなっています。

「芳春院」の開創期には多くの公家や武家、茶人などが集い、寛永文化の発信地ともなりましたが、江戸後期の1796年(寛政8年)の火災によって創建当時の建物は焼失。
その2年後に加賀前田家第11代・前田治脩(まえだはるなが 1745-1810)によって再興され、現在も残る方丈(客殿)・庫裡・呑湖閣(どんこかく)などが再建されています。

明治期には明治新政府の神道国教化政策に伴って起きた仏教の抑圧・排斥運動である「廃仏毀釈」の嵐の中で荒廃し、1875年(明治8年)になってようやく復興され、現在に至っています。

方丈の背後北側にある「飽雲池(ほううんち)」は江戸初期の1617年(元和3年)、京都の名医・横井等怡が作庭家として名高い小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579-1647)に諮って作庭した伝わり、度々改造されてはいるものの創建時の面影を伝えており、市内でも珍しい楼閣山水庭園として名高く、杜若や睡蓮が美しいことで知られています。

そしてその池の中に「打月橋(だげつきょう)」で結ばれて立つ二重楼閣建築の「呑湖閣(どんこかく)」は、庭園と同年の1617年(元和3年)に前田利家の子で加賀藩初代藩主・前田利長(まえだとしなが 1562-1614)が、小堀遠州に依頼して建てたものと伝えらる臨済宗の名僧で玉室宗珀の師・春屋宗園(しゅんおくそうえん 1529-1611)の昭堂で、現在の建物は江戸後期の1804年(文化元年)に再建されたもの。

楼閣の上層から東方には比叡山の壮大な景観が広がっており、その比叡山の背後にある琵琶湖を呑み込むという意味からその名がついたといわれていて、金閣・銀閣・西本願寺の飛雲閣と並んで「京の四閣」と称される名建築です。

その他にも方丈前庭の枯山水の庭園「花岸庭」、現在も各流派が茶会を行っているという茶席「迷雲亭」などがあり、また墓地には芳春院の霊屋(みたまや)や「東寺百合文書」の整理を行ったことで知られる加賀藩第4代藩主・前田綱紀(まえだつなのり 1643-1724)の霊屋をはじめ、前田家代々の墓、近衛家の墓などもあるといいます。

そして江戸初期から後期にかけての建築が多く残る点が貴重であるとして、2002年(平成14年)に芳春院霊屋、瑞龍院霊屋、昭堂(呑湖閣)、打月橋、表門、墓参門の計6件が京都府指定有形文化財に指定されています。

通常は非公開の寺院ですが、秋に定期拝観が行われているようです。

大徳寺 芳春院の施設案内

 

境内

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    表門

    清泉寺と呼ばれていた塔頭の表門が残ったもので、屋根は元々は檜皮葺であったと思われるが、現在は本瓦葺
    2002年(平成14年)に京都府指定有形文化財に指定

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    寺号標と駒札

    門前右

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    参道

    門をくぐると紅葉やさつきの木々に囲まれた長い石畳が続く

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    中門

     

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    沙羅双樹

    門前右手

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    鐘楼

    中門の東側

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    庫裡

    中門入って左手

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    唐門

    中門入って西側

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    花頭窓

    唐門の正面

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    方丈(本堂)

    本尊・釈迦如来像と普賢・文殊菩薩像のほか、芳春院像、開山・玉室和尚像を安置

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    方丈前庭「花岸庭」

    方丈の南側にある中根金作作庭の枯山水庭園
    山渓から流れ出る水がやがて大海に帰る自然の大らかさを表現したものといわれる

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    飽雲池

    方丈の背後にある
    小堀遠州により造園された通常非公開の庭園
    市内でも珍しい「楼閣山水庭園」で、池中に「打月橋」で結ばたれた二重楼閣建築の「呑湖閣(どんこかく)」が建つ

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    打月橋

    方丈(本堂)と呑湖閣の間にある池に柱を建てた屋根付の橋
    開祖・玉室宗珀の筆による「打月」の2字の額が掛かる
    2002年(平成14年)に京都府指定有形文化財に指定

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    呑湖閣(昭堂)

    本堂背後に建つ2層(重層)の楼閣建築
    下層に春屋宗園の木像や壇越の位牌を安置し、上層には天神を祀る
    1617年(元和3年)に横井等怡(とうい)が小堀政一(遠州)に諮り創建
    現在の建物は露盤宝珠銘から1815年(文化12年)の再建と判明
    金閣・銀閣・飛雲閣と並び「京の四閣」と称されている
    開山尊像に位牌壇を備えた祠堂を組み合わせた、他に例を見ない貴重な建物であるとして2002年(平成14年)に京都府指定有形文化財に指定

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    渡り廊下

     

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    大書院

    近衛家の寄進

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    茶室「落葉亭」

     

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    茶室「迷雲亭」

    現在も各流派が茶会を行っているという

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    茶室「松月軒」

     

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    茶室「如是庵」

     

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    墓参門

    尼崎にあった大徳寺派の栖賢寺(せいけんじ)の門を1931年(昭和6年)に譲り受けたもので、元々の建造年代は江戸中期に遡ると考えられる
    2002年(平成14年)に京都府指定有形文化財に指定

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    墓地

     

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    芳春院霊屋・瑞龍院霊屋

    前田家の墓所の中央に並んで建てられている松子(まつ)、前田利長・利常の前田家霊屋
    瑞龍院霊屋は1614年(慶長19年)、芳春院霊屋は1617年(元和3年)の建立
    両者とも近世初期の大名家の霊屋建築として貴重なことから2002年(平成14年)に京都府指定有形文化財に指定

周辺

関連

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    瑞円寺

    愛知県あま市にある芳春院ゆかりの寺で生誕地碑が建てられている

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    尾山神社

    石川県金沢市にある神社で、加賀藩の藩祖・前田利家と妻の芳春院(まつ)を主祭神とする
    境内に芳春院の石碑が建つ

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