京都府宇治市宇治東内、京阪宇治駅そばにある宇治橋東詰から南へ100mほどの所にある真言律宗の寺院。
正式名は「放生院常光寺」で、山号は雨宝山、寺号は常光寺、本尊は地蔵菩薩。
寺伝によると、604年(推古天皇12年)、聖徳太子の発願により側近で広隆寺を建立したことでも知られる秦河勝(はたのかわかつ)が建立と伝わります。
そして646年(大化2年)に境内のすぐそばに「宇治橋」が架けられて以来、その橋の管理を任されたことから「橋寺(はしでら)」の通称名で呼ばれるようになりました。
ちなみにこの架橋は宇治川のものでは最古と考えられ、「日本三古橋」にも数えられています。
その後、1286年(弘安9年)に宇治橋が再興された際、西大寺の僧・叡尊が浮島に十三重石塔を建立し大放生会(橋供養)が営んだことから「放生院」と名付けられ、一般にはこの時期に建立と考えられています。
また叡尊思円(1201-90)は鎌倉時代の律宗の僧で、奈良西大寺中興の祖でもあり、貧民の受戒、殺生禁断、架橋など社会事業に尽くした人物です。
室町時代の1479年(文明11年)に兵火に遭い、この時には室町幕府の援助などにより復興されますが、江戸時代の寛永8年(1631年)にも火災に遭い焼失しています。
本堂には鎌倉後期作の本尊・地蔵菩薩立像、および平安時代の不動明王立像を安置し、ともに国の重文に指定。
このうち地蔵菩薩像は高さ1.9m、金箔、極彩色の衣を身にまとった美しい姿で、その胎内には聖徳太子の念持仏の尊影が納められたといわれています。
この他に境内には十二支守本尊像が祀られており、自分の干支の像を見つけてお参りする参拝者も多くみかけます。
また境内の本堂の前にある「宇治橋断碑」は宇治橋が「大化2年(646年)」に元興寺の僧・道登によって架橋されたと記録しており、宇治橋創建の経緯・由来を記した貴重な資料であり、「日本三古碑」にも数えられるなど日本現存最古の石碑の一つと考えられ、重要文化財にも指定されています。
境内は緑豊かで四季折々の花に彩られ、躑躅、酔芙蓉、銀杏などを目当てに訪れる人も多く、とりわけに9月中~10月上旬には酔芙蓉が美しい花を咲かせることで知られています。
また「宇治市銘木百選」にも選ばれている銀杏(イチョウ)は樹齢250年と推定される古木であるほか、紅葉も美しく無料で見物することができます。
行事としては橋寺にちなんで「箸供養」が8月4日に行われることで有名です。