京都市伏見区東柳町、京阪の中書島駅近くの濠川沿いにある真言宗醍醐派の寺院。
入口の山門は竜宮城を思わせる中国風の独特の形をした朱塗りの竜宮門で、この門のある濠川沿いのすぐそばには観光用の十石船の発着場もあり、風光明媚な場所に位置しています。
ちなみに「中書島」は豊臣秀吉による伏見城築城時、賤ケ岳七本槍の一人脇坂安治の邸宅があったことにちなむもので、中務大輔の唐名「中書」が地名として定着したものとされています。
創建は江戸中期の1699年(元禄12年)。戦国時代に天下人となった豊臣秀吉、そして江戸幕府を開いた徳川家康から秀忠、家光の徳川3代まで使われた伏見城は1619年(元和5年)に廃城となり、その後は伏見の町は衰退。
その衰退していた伏見に繁栄をもたらしたとされる13代目伏見奉行・建部内匠頭政宇(たけべたくみのかみまさのき・たけべたくみのかみまさとき?)が、水運の中継地点となる中書島を再開発した際、深草大亀谷の即成就院から塔頭・多聞院を分離して創建し、寺名は建部姓の一字と自らの長寿を願って「長建寺」と命名されました。
ちなみに即成院(そくじょういん)は平安中期に藤原頼通の第三子である橘俊綱(たちばなのとしつな)が、伏見に山荘を建てる上で祀ったとされる寺院です。
本尊は鎌倉後期の作で8本の腕を持つ弁財天「八臂辨財天(はっぴべんざいてん)」で、通常非公開の秘仏。
また脇仏も珍しい裸形弁財天です。
ちなみに「弁財天」は多くの神社仏閣で祀られていますが、本尊として祀っている寺院は京都では唯一この寺だけだといい、「中書島の弁天さん」「島の弁天さん」と呼ばれて親しまれています。
弁財天は元々はインドの「サラスヴァティ」という水の女神に由来する神で、手に琵琶を持ち、音楽で人々を救ってくれる七福神の中でも紅一点の女神として知られ、技芸上達や福徳や智恵、財宝の現世利益(げんぜりやく)をもたらす神様として多くの人々の信仰を集めています。
とりわけ弁財天が元々川の神様ないし水の神様だったことから伏見と大坂を結ぶ淀川を往来する船の守り神として崇められ、また江戸時代には中書島の一帯に遊郭があったことから技芸上達を願う多くの遊女たちから信仰を集めたといいます。
また江戸時代より今に伝わるという古銭型のお守りの「宝貝守り」や「和歌のおみくじ」でも有名で、ともにここでしか買うことができない珍しい授与品として人気を集めています。
このうち「宝貝守り」は江戸時代から伝えられる四角い穴の開いた古銭型のお守りで、小銭の裏に貝のような絵が書いてあることからこう呼ばれているらしく、貝が昔の通貨の始まりだったため経済運、また貝運が開運につながることから健康や交通安全など様々な幸運を呼ぶお守りとして人気です。
もう一方の「和歌のおみくじ」は山門を入って左側の鐘楼の下にあり、平安時代の天台宗座主の慈恵大師良源(じえいだいしりょうげんが人生において困った時に役立つようにと観音様から授かった100の言葉「元三大師百籤」を分かりやすい短歌に訳したもので、吉凶の数も忠実に再現されており、通常のおみくじではあまり見られない凶の数も多くなっていますが、的確なアドバイスが頂けるとこちらも人気です。
またまろやかで質の良い名水の地で、酒どころとして発展を遂げた伏見には御香宮神社などの名水スポットが数多くありますが、長建寺にも本堂弁天堂の前に伏見の名水の一つ「閼伽水(あかすい)」があることでも有名。
他にも正月元旦から15日の間に行われる「伏見五福めぐり」のスポットの一つにもなっており、同時期には普段は見ることができない本尊を拝むこともできます。
四季折々の花も美しく、とりわけ春は桜の名所として知られ、4月第2日曜には桜祭も開催されます。
中でも「糸桜」と呼ばれる早咲きの枝垂桜は、京都・円山公園の枝垂桜を育てたことでも知られている桜守・佐野藤右衛門氏ゆかりの名木です。
この他に有名な行事としては7月第4日曜日の夜に開催される「弁天祭」がありますが、以前は淀川に篝舟(かがりぶね)を繰り出す「船渡御(ふなとぎょ)」が盛大に行われていたそうですが、淀川の河流の変化などもあって1951年(昭和26年)を最後に途絶えています。