京都市東山区本町15丁目、京都屈指の紅葉の名所として知られる臨済宗東福寺派の大本山・東福寺の日下門前にある、25ある塔頭寺院の一院。
南北朝時代の正平年間(1346-70)に、東福寺第30世・無夢一清(むむいっせい)が開創した東福寺五塔頭の一つで、その後は年とともに寺は衰微していましたが、大機慧雄(だいきえゆう)により中興されました。
1614年(慶長19年)、東福寺第227世・文英清韓(ぶんえいせいかん)が住菴となり、豊臣秀吉や秀頼に五山文学を教授する学僧として手厚い扱いを受け、秀頼の請に応じて方広寺の鐘銘を撰文することになりましたが、豊臣家が滅亡した「大坂の陣」の引き金にもなったいわゆる「方広寺鐘銘事件」で鐘銘中の「国家安康 君臣豊楽」の文字が家康の文字を引き裂くことで徳川家を呪詛し、豊臣家の繁栄を願うものとして家康の怒りを買い、難詰された結果、天得院は取り壊されました。
その後、江戸後期の1789年(天明9年)に再建された後、1868年(明治元年)に山内の塔頭・本成寺を合併して現在に至っています。
美しい杉苔に覆われた枯山水の庭園は、桃山時代に作庭されたと伝わり、1968年(昭和43年)に中根金作の指導により一部補修されたもので、現在はこの庭園内の土塀に沿って桔梗や萩などの四季の花が美しく咲く花の寺として親しまれており、とりわけ桔梗は作庭された頃から植えられていたといい「桔梗の寺」として知られ、寺紋も桔梗となっています。
また紅葉やツワブキも美しいことで知られ、初夏の6~7月と秋の11月の年に2回特別公開され、初夏は枯山水庭園一面を覆うように紫色や白色の花を咲かせる約300本の美しい桔梗の姿を、秋は杉苔に覆われた枯山水庭園と紅葉との美しいコントラストを本堂内の華頭窓と呼ばれる独特な形をした窓を通して楽しむことができます。
期間中は庭園を鑑賞しながら書院にて「桔梗膳」または「紅葉膳」の精進料理のほか、抹茶や甘味を頂くこともできるほか、日没後には庭園ライトアップも開催され、夜の庭園を楽しむこともできます。